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原稿料0円は当たり前!サブカルの総本山と呼ばれた伝説の漫画雑誌『ガロ』とは…

かつてサブカルの総本山と呼ばれた伝説の漫画雑誌があった。その名は『月刊漫画ガロ』。その独自の編集方針で、才能ある若手漫画家をあまた育て、ガロに掲載されるようなアングラ色の強い漫画をガロ系と称したりと一時代を築いた。現在は廃刊状態であるが、未だ根強いファンが多いこの漫画雑誌についてまとめた。

更新日: 2014年06月13日

だらくださん

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サブカルの総本山

1964年〜2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。漫画界の異才をあまた輩出した事で知られる。

「月刊漫画ガロ」は今では伝説の漫画雑誌の地位を不動にしています

創刊当時から、大学生やサラリーマンなど比較的高い年齢層の読者に支持された。

当時の大学生は漫画などを軽蔑して誰も読む人がいない風潮の中で、大学生に読まれる漫画が登場したことは先駆的兆候であった

その誌名は白土三平の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っている他、我々の路という「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあったという

出版社青林堂の創業者であり、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長の長井勝一。

中小というより零細と行った言葉の似合う、神田の材木屋の二階に居を構える小さな出版社でした

長井さんは編集者らしくない人で、通常、雑誌作りでは大事だとされる事柄について一切無頓着だった

目玉になる強力連載、読者層の設定、誌面のバラエティ、デザインやレイアウトなど、ほとんど念頭になかった

独自路線の漫画雑誌

編集者の干渉が少なく、作家が自由に作品を発表出来た。

経営的には苦しかったが、特に1960年代~70年代にかけて、才能ある若手漫画家を育てる役目を果たした

商業性よりも作品そのものを重視した。その為、他の漫画雑誌にはない独創的な作品が数多く掲載された。

有望そうな新人に門戸を開いているとか、実験的な作品も意欲的に掲載するという編集方針

また活躍の場を失った漫画家への媒体提供、新人発掘の場という側面もあったという。

大手出版社の少年雑誌における表現の不自由さに突き当たった結果として生まれたのが漫画雑誌「ガロ」

他の雑誌では敬遠される前衛的実験的な作品もガロは平気で載せました。そんなアングラ色の濃い漫画作品の事を称して「ガロ系」という言葉が産まれます

カルト的な人気を誇ったが…

一部のマニア、知識者層、サブカルチャーファンなどからは熱狂的な支持を受けるも、販売部数は少なかった。

当時も評価自体は非常に高かったのですが、一般の人達には暗く、よく分からない、の評価で売れない、この厳しい現実に、漫画家も稿料が受け取れず、社員も給与がロクロク払われない

つげ義春さんとか白土三平さんも『ガロ』そのものが売れてお金に余裕ができるまでは、原稿料なかったんじゃないかな

販売部数の落ち込みによる慢性的な経営不振の為、作家たちに原稿料が支払えない状態が続いた。

ガロの最大の伝説というか、もうトレードマークやキャッチフレーズ化しているアレ。"原稿料ゼロ"

原稿料ゼロだからこそ、『タダでもいいから載せて欲しい』といった"本当に描きたいもの"を描く作家さんが出てきます

歴代の作家陣などの経済的支援と強い継続の声もあり、細々ながら刊行は続いた。

そこには「お金」には変えられない、描き手と雑誌との強い結びつきがあったのだ

ガロで執筆した代表的作家とその作品

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だらくださん

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