1. まとめトップ
  2. デザイン・アート

小さくまとまるな!反逆の芸術家『岡本太郎』のアツ過ぎる生き方

『太陽の塔』や「芸術は爆発だ」の名言で知られている、二十世紀の日本を代表するアーティスト岡本太郎。芸術に捧げたその人生と反骨精神溢れる言動に、今なお新たなファンを増やし続けているという…。

更新日: 2014年06月13日

だらくださん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
1170 お気に入り 317679 view
お気に入り追加

日本の現代美術のパイオニア

経歴【1911年〜1996年】、日本の芸術家。作品を制作するかたわら、文筆活動や雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演するなど、多方面で活躍した。

アートなんて子供にわかる訳もなくテレビで見る "キテレツおじさん"な印象しかなかった…

1970年の大阪万博のシンボル《太陽の塔》、そして「芸術は爆発だ」をはじめとするインパクトにみちた発言、数々のテレビ出演など、 20世紀後半の日本において、最もよく知られた芸術家のひとり

岡本太郎の代表作の1つ『太陽の塔』。1970年に開催された大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造された。

こんな「奇妙キテレツ」で「非日常的」で「非実用的」なものを作ろうと思い立ち、それを作ってしまうほどの勢いのある時代があったんだな

怒りやアンチという精神が 強く感じられる作品が多い!彼はパンクであり、アナーキストだ!

生い立ち

父は漫画家の岡本一平、母は作家の岡本かの子。芸術一家の一人息子として生まれた。

皆が知る"岡本太郎"となる原点をつくったものは何か?それは、他ならぬ「岡本家」とその人々

岡本太郎の母親は非常に自由な芸術家で、子育ても家事もそっちのけで作品を作り、恋愛も自由に行い、父親も住む自分の家に若い男を呼んでは住まわせていたそうです

パリ時代

芸術の神に導かれるようにして渡ったパリは、太郎の芸術に決定的な影響を与え、芸術家としての礎となります

十代後半から約十年ほどパリに滞在。岡本太郎は、最も多感な時期を芸術の都で過ごした。

絵画の修行だけでなく、既成芸術や自己への問いを解決するためにパリ大学、ソルボンヌ大学で学びました

マン・レイやロバート・キャパを名のる前のアンドレ・フリードマン、マックス・エルンスト、アンドレ・ブルトン、クルト・セリグマン、ジョルジュ・バタイユと岡本太郎のこのころの人間関係の動きはかなり面白い

パリの画廊でピカソの作品を見て、強い衝撃を受け、芸術の捕らえ方に変化が起こる。

ピカソに感動して運命をひらく以上、まったくピカソとは反対の表現をとる。つまり、ピカソに挑み、 乗り越えて、むしろ、反ピカソでなきゃならない。「ピカソを超える」事を決意し、以後は抽象芸術に道を求め、創作に打ち込むようになりました

帰国後

芸術とは、まわりの既成概念にいかにとらわれないで純粋な思いを形にするかだ、と開眼します

『傷ましき腕』などを二科展に出品して受賞、個展も開いた。

切り裂かれた傷口から生々しく溢れ出る現実。観る者を独特の緊張へと導く

新しい芸術について論じ合う会。文学と美術のジャンルにまたがる前衛芸術の研究会とも言える。

「夜の会」のメンバーは、岡本太郎のほかに花田清輝、埴谷雄高、野間宏、安部公房、佐々木基一、関根弘など。なるほどすごいメンツです。

名前はアトリエに掛けられていた新作《夜》から取られ「夜の会」と命名された。《夜》は、闇夜の不気味な雷光の樹の前でナイフ片手に白いドレスの女が髑髏に向かう

反逆の芸術家

社会の権力や権威、人の自由と権利を阻害する者に対し、徹底的に反抗しとおした太郎さんの生き様は、本当に格好良く、素敵です

日本の美術界が見たこともないような作品を次々と発表していった。

岡本太郎というと戦後の日本の美術界に燦然と輝くきら星のような存在だったように思う

日本の美術界を『石器時代』と呼び、痛烈に批判した。

1 2 3





だらくださん

どうぞよろじぐおねがいじまず。