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【閲覧注意】ナナシシリーズ 全編【洒落怖】

2007年2ちゃんねるに投稿されたナナシシリーズを、掲示板にある分、ホームページ掲載の分全編まとめてみました。

更新日: 2014年02月23日

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この記事は私がまとめました

kokko00さん

ナナシシリーズ

[懺悔(始めに)]

あれからどのくらい経つだろう。
失って初めて気付くことがあると、身を持って知ったあの幼かった頃から、随分時間が経った。
知りたくなかった。そんなことは、知らないまま大人になりたかった。
怖かったことも、悲しかったことも、いっしょにいたことすべて、思い出にしてしまいたかった。
「ああ、こんなこともあったね」なんて笑って話せるような、楽しい思い出にしておきたかった。

でも、
それは永久に叶わなくなった。

僕があの時気付いていれば、きみが怯えていたことに気付いていれば、
せめてあのとき、
僕がきみから逃げ出さなければ。



こんな未来はなかったのかも知れない。
僕たちは今も、いっしょに笑っていたのかも知れない。




すべては、後の祭り。




これから僕が書くものは、
かつての僕と、僕の親友の話である。


そして、その親友への懺悔の物語である。

ごめんね。ごめん。ごめんなさい。
なにもしてあげられなくて、なにも気付かなくて、いつもきみに甘えていて、
ごめんなさい。

ちゃんと覚えてるよ。
絶対忘れないよ。
今も、これからも、生まれかわっても。

絶対わすれないから。
そしてもし、また逢えたら今度こそ、あのときできなかったことを、するから。


だからこれからも、きみを親友だと、呼ばせてほしい。










なんと図々しい、でも、心からの僕の願い。
 



どこかにいる親友に、届くことを願って、物語りを始めよう。

【親友の話】

今から数年前,僕と僕の親友が、学生だったころの話。
ときは夏休み、自由研究のため、友人…仮にナナシとするが、僕はそのナナシと、「心霊現象」について調べることにした。

ナナシはいつもヘラヘラしてるお調子者で、どちらかといえば人気者タイプの男だった。いるかいないかわからないような陰の薄い僕と、何故あんなにウマがあったのかは、今となってはわからないが、とにかく僕らはなんとなく仲がよかった。なので自由研究も、自然と二人の共同研究の形になった。

また、心霊現象を調べようと持ち掛けたのは、他ならぬナナシだった。

「夏だし、いいじゃん。な?な?」

しつこいくらいに話を持ち掛けるナナシに、若干不気味さを感じながらも、断る理由は無かったし、僕はあっさりOKした。

そのとき僕は、ナナシはそんなにオカルト好きだったのか、そりゃ意外な事実だな、なんて、くだらないことを考えていた。

「どこ行く?伊勢神トンネルとか?」

僕は自分でも知っている心霊スポットを口にした。しかしナナシは首を横に振った。

「あんな痛いトコ、俺はムリ」

そのナナシの言葉の意味は、僕は今も理解ができないままでいる。何故「怖い」ではなく「痛い」なのか、今となっては確かめようがない。だが、ナナシは確かにそう言った。

話を戻すが、ナナシは僕が何個か挙げた心霊スポットは全て事々く却下した。意見を切り捨てられた僕は、いい加減少しムッとしてきたが、ちょうどそのとき、ナナシが言った。

「大門通の裏手に、アパートがあるだろ。あそこにいこう」

そのアパートの存在は、僕も知っていた。もっとも、心霊スポットだとかオカルトな意味じゃない。天空の城ラピュタとかに出てくるような、蔦や葉っぱに巻かれたアパートで、特に不気味なアパートってわけではないが、入居者はおらず、なのに取り壊されることもなく、数年…下手したら数十年、そこに在り続けているアパートだ。

「あんなとこ行っても、なんもねーじゃん。幽霊がいるワケじゃなし」 「いいから。あそこにしよう。」

ナナシは渋る僕を強引に説き伏せ、結局、翌日の終業式のあとに、そのアパートに向かうことになった。




時刻は午後4時36分。僕らはアパートの前にいた。

終業式を終え、昼飯を食べてから、しばらく僕らは僕の部屋でゲームなんかをしたりした。何故すぐにアパートに向かわなかったのか、向かわないことを疑問にも思わなかったのか、あの時の僕にはわからなかったし、今の僕にもわからない。

ただ、すぐにあのアパートに向かわなかったことを、僕は未だに後悔している。否、あのアパートに行ってしまったことを、後悔してるのかもしれない。

とにかく、しばらく遊んだあと、唐突にナナシが

「さ、そろそろかな。」

と言い、僕はナナシに手をひかれてあのアパートに向かった。そのときのナナシの横顔が、なんだか嬉々としていたような、逆に悲しげなような、なんとも言えない表情だったことを、僕は忘れないだろう。

そして、僕らはアパートに着いた。ナナシはひと呼吸置くと、

「終わった、な。」

と言った。


その言葉の意味がよくわからなかった僕は、ナナシに聞き返したが、ナナシは無言のまま僕の手を引いた。

いつものナナシじゃない、お調子者のナナシじゃない。

そんな不安が胸元にチラついたが、ナナシは構うことなくアパートの階段を上る。そして、「302」とプレートのついた部屋の前に立った。

異様な空気が、僕の背中を掠めた。

「ナナシ…?」

ナナシは答えないで、ドアの前にあった、枯れた植木鉢から鍵を取り出し、ドアを開けた。

すると、そこには。

「人間だったもの」が、あった。



「うぁあぁあぁあっ!!!」



僕は大声を上げてヘタリこんだ。

玄関先には女のひとが倒れていて、はいずるように俯せている。その体の下からは、夥しい量のまだ生々しい赤黒い血が、水溜まりのようになっている。

僕はガタガタ震えながら、ナナシを見た。でも、ナナシは、




「あはははははははははははははははは!!!!!!」



笑っていた。

僕はナナシが発狂したのかと思ったけど、そうじゃなかった。

「見ろよ!!これが人間の業なんだよ!!ラクになりたくて死のうとしたって、死ぬことにまだ苦しむんだ!!この女、2日も前に腹をかっさばいたんだぞ!!2日だぞ!!2日も死ねなくて、痛い痛いって死んだんだ!!痛い苦しい助けてって、声も出ないのに叫びながら死んだんだよ!!!!死にたくなって腹を切ったのに、死にたくないなんて我が儘もいいとこだ!!」

ナナシが早口でまくし立てる。僕は、死体よりも、血よりも、何よりも、ナナシが凄くこわかった。

「死にたくないなら死ぬんじゃねぇよ!!!!死にたくなくても死ぬんだから!!!!馬鹿馬鹿しいにも程がある!!!神様なんていやしない!!!助けてくれるやつなんか、世界が終わっても来やしないんだよ!!!!」

ナナシは叫び続けた。僕はナナシに必死にすがりついて、わけのわからないことを口走りながら、泣いた。

しばらくして、我にかえると、ナナシが僕の頭を撫でていた。

「警察、呼ばないとな。」

ナナシは、そう言った。さっきまでの凄まじい形相のナナシはいなかった。でも、僕の友達だった、ヘラヘラ笑うお調子者のナナシも、もうどこにもいなかった。

僕らは警察を呼び、簡単に事情を聞かれて、家に帰された。僕らは一言も口を聞かぬまま、別れた。

その日、僕はいろんなことを考えた。

何故、ナナシはあのアパートに行こうと言い出したのか。
何故、ナナシはあの女のひとが2日前に自殺を図ったことを知ってたのか。
何故、ナナシはあの部屋の鍵の場所を知ってたのか。

ナナシがつぶやいた、「終わったな」って、なんだったのか。

オカルト的な考えになるが、きっとナナシは、死人の声みたいなものが聞こえるんだろう。死ぬ間際の、断末魔なんかが聞こえるタチなんだろう。ナナシが

「終わったな」

って呟いたとき、あの女のひとは死んだんだろう。鍵の場所も、あの女のひとの生き霊みたいなものが、助けてほしくて、教えてくれたんだろう。

でも、僕らは間に合わなかったのだ。僕はそう考え、凄く悲しくなった。僕らが間に合わなかったせいで、あのひとは死んだんだ。まだ、助かったかもしれないんだ。

僕らが早く行っていれば--

そこまで考えて、僕はひとつの疑問が浮かんだ。

もし、もしさっきの仮説が正しくて、ナナシに不思議な力があるなら。何故、ナナシはすぐにアパートに向かわなかった?何故、ナナシはすぐに警察なり救急車なりを、昨日の時点で呼ばなかった?

否、否否否。ナナシが早口でまくし立てていただけで、本当に自殺かどうか、実際はわからない。まして、あの部屋には、血溜まりと死体はあっても、凶器なんかは見当たらなかった。

否、否否否。それ以前に、それ、以前に。僕らが部屋に入ったあの時点で、本当に、あのひとは死んでいたのか?もし、まだ死んでなかったなら。そして、自殺じゃなかったなら、そこまで考えて、背筋が凍った。

それからしばらく、僕はナナシとマトモに喋ることができなかった。その後、ナナシと僕はある事件をきっかけに永遠の断絶を迎えるが、それはまた別の話。

【窓の向こう側】

あの悪夢のようなアパートでの事件から数カ月が経ち、僕とナナシはまたお互いに話をするようになっていた。初めのほうこそ、多少ギクシャクしたが、結局ナナシに不思議な力があろうがなかろうが、あの女の人がどうであろうが、ナナシはナナシで、僕の友達だということに変わりはない。

僕はあの日のことは記憶の底に沈め、ナナシと普通に話すようになった。ナナシも、今までと同じようにヘラヘラ笑って、話掛けてきて、僕らはすっかり以前のような関係に戻っていた。

そんな、矢先のこと。そろそろマフラーやらを押し入から出さないとな、なんて時期の授業中。それは、起きた。

教室では、窓際の最前列に目の悪かった僕と委員長の女の子、その後ろにナナシと、アキヤマさんと言う女の子が座っていた。

その頃、その窓際席の僕ら4人は授業中に手紙を回すのをひそかな楽しみにしていた。つまらない授業の愚痴や、先生の悪口を小さいメモに書いて先生が見ていない隙にサッと回す。もしバレても、委員長がごまかして僕らが口裏を合わせることになっていたし、端とはいえ、前列で手紙を回すのは、ちょっとしたスリルだった。

そしてそれは、たしか3時限目あたりの国語の授業中。どこの学校にも一人はいるであろうバーコードハゲの教師が担当で、今にして思えば大変失礼だが、僕らは彼の髪型をネタに手紙を回していた。

くだらないことをしていると時間が過ぎるのは早く、すでに何枚か紙が回され、授業も半ばを過ぎた。

そのとき、だった。

教科書に隠しながら手紙を書いていた僕は、ドン、と何かに背中を突かれた。どう考えてもそれは後ろの席のナナシで、

「まだ書いてるのに、催促かよ」

と、僕は少しムッとしながら振り返った。

するとそこには、眉間に皺を寄せた凄まじい形相で、僕に何かを向けているナナシがいた。

手には開いたノートがあり、真ん中にデカデカとマジックで



窓」

と書いてあった。

思わず窓を見ると、



「ひっ…」





人と、目が合った。





蛙のような体制で落下してきたその人は、顔だけをこちらに向けていた。恐怖か苦痛か屈辱かわからない、むしろ全て入り交じったような悶絶の表情を一瞬見せて、その人は消えた。

「うわぁああっ!!!」 僕ではない誰かが叫んだ。叫んだのとほぼ同時に、ドシン、と音が響く。しばらくフリーズしていた教師やクラスメート達も、2,3秒して騒ぎ立て、窓に駆け寄り出す。

僕はその様子を茫然と見ながら、フラッシュバックを感じていた。

まただ。またナナシが、人の死を言い当てた。僕は震えながら、ゆっくりとナナシを見た。ナナシは、震えもせず騒ぎもせず、窓の前に立っていた。遠い目で窓を見ている。僕は、ナナシに駆け寄った。

「ナナシ、あれ…」

縋るように駆け寄った僕に、ナナシは振り返ることもせず言った。

「お前、なにか見た?」

なにか。

そんなの解りきっているというのに、白々しく尋ねてくるナナシに僕は無性に腹がたった。

「当たり前だろ!!お前が窓を見ろって言ったんじゃないか!!おかげで僕は目が合ったんだ!!見たんだぞ!!あの人が堕ちる一瞬を!!!」

僕は、あの死に行く人と目を合わせてしまったのだ。悲痛と苦痛に染まった、間もなく死ぬであろう見知らぬ人と、目が合った。一生トラウマになりそうな、表情を見たのだ。

「なら、いよいよオカルトだな。」

ナナシは言った。

僕にはその言葉の意味がわからなかった。わかりたくもなかった。だが、

「見てみなさいよ、下。」

さっきまで黙っていたアキヤマさんが、僕に言った。

僕は恐る恐る、人を掻き分けて下を見た。そこには、こちらを向いて目を見開き、苦悶の表情を浮かべながら体を不思議な方向に曲げた死人がいた。ドス黒い血が彼女の白いブラウスを赤茶に染めていて、僕は思わず目を反らした。

そして、気付いた。

僕は、彼女と目が合ったんだ。それは確かだ。あの表情は、夢じゃない。蛙のような、這うような姿勢で彼女は落ちて来た。そして、僕を見ていた。

…なら、何故、彼女は「こちらを向いて」死んでいるのか。 俯せに落ちたはずの人間が、何故仰向けに死んでいるのか。空からたたき付けられた人間が、まさか寝返りなどできるはずもない。まして、あの数秒間で、誰かが動かしたはずもない。

否、それよりも。どんな飛び降り方をすれば、「蛙のような体制」に、落下することができるのか。否、どんな飛び降り方をすれば、「蛙のような体制で、こちらを向いて落下できる」のか。

その疑問が浮かんだとき、震えは一層強まり、首筋に冷たい何かを感じた。

不意に、ナナシが口を開く。

「死んだ先に何がある。救いなんて、あるはずないのに。闇から逃れても、闇しかないんだ」

その言葉には恐ろしいくらい感情が篭っていなかった。アパートのときよりも、数倍、僕は、ナナシを怖いと感じた。赤い海に浮かびながら、僕らを見上げる曲体の死人より、ナナシの言葉が怖かった。


その後、席替えがあり、僕が窓際の席になることは二度となかった。

【恋煩い】

あの夏を迎えてから、僕は少しずつナナシが変わっていくような気がしていた。
アパートでの豹変振りはもちろん驚いたが、窓の向こうの「もの」を見たときの、ナナシの表情や言葉が、明らかに今までのナナシとは違っていた。
でも僕は、なにがどう違うのかがはっきりと言葉にできなかった。
もともとナナシは普段は明るくてクラスの人気者だったが、どこか大人びているというか、
ときに冷静で、なにか揉め事がおきてもヘラヘラと笑いながら、でもいつのまにか事態を円く収めていた。
そうだ、そんなどこか不思議なやつだったから、ああいう言動や表情も、きっと僕が今まで知らなかっただけなんだろう。
僕はそう思い込むことにした。

そんな中、僕らのクラスでは席替えをすることになった。
僕は廊下側の後ろから二番目の席になった。偶然にもナナシは僕の後ろだったので、「また手紙回せるな」と二人でニヤニヤ笑っていた。
そして、僕の隣にアキヤマさんが座った。

僕は心臓が縮れるような感覚を覚えた。
委員長は残念ながら離れてしまったけど、またアキヤマさんも一緒に手紙を回したり、話をしたりできる。そう思うとなんだか嬉しくて仕方なかった。

「ああ、またいっしょだね。」

アキヤマさんが言った。僕は小さな声で「そうだね」と答えることしかできなかった。
そんな僕に、早速ナナシが手紙を回してきた。

数学のノートの切れ端でできたその手紙には、

「おまえ、アキヤマのこと好きなんだろ?」

と直球に書かれていた。僕は顔が茹蛸のように赤くなるのが自分でもわかった。
確かに、隣の席になれたのは嬉しかった。でも、そのとき僕はそこまで考えていなかった、否、自分の気持ちに気付いていなかった。


「何言ってんだ馬鹿」

そう書いて手紙を回した。
するとアキヤマさんが不服そうな顔をして、

「何?今日はあたしは仲間外れなんだ?」

と僕に言った。
違う、そうじゃないといいたかった。だが、手紙の中身は見せることはできない。
見られたら最後、僕は学校を飛び出して歩道橋から身を投げるしかない。
今思えばそれこそ馬鹿みたいな話だが、本気でそう思っていた。

「そうじゃ、ないんだけど・・」

僕は言葉を濁した。ナナシがヘラヘラといつもにように笑ってるのが見えなくてもわかって、すごく嫌だった。

「まあ、いいけどね」

アキヤマさんはそういうと僕から目線を逸らし、ノートに向かってしまった。ひどく情けない気持ちでいっぱいだった。そいて沸沸とナナシへの怒りがこみあげてきた。

休み時間になり、僕はナナシを陸上部の部室の部室に呼び出した。今日の鍵当番は僕だったので、話をするにはもってこいだった。

「なんだよ」

ナナシは相変わらずヘラヘラ」して言った。

「なんだよ、じゃないだろ。おまえのせいで僕は今日死にたくなったよ!どんだけ恥ずかしかったか!」
「まあアキヤマは競争率高いからなー」
「ナナシ!」

話を聞かないナナシに僕は本気でカチンときた。しかしナナシはそ知らぬ顔で
――否、あのニンマリとした表情で、僕を見た。

「アキヤマがいかに難しいオンナか、おまえにわからせてやるよ」

ナナシはそう言うと、僕の手を引いて歩き出した。
つれていかれるままについたのは、アキヤマさんの靴箱のまえだった。

「なんだよ!ラブレターでも書けって言うのか!」

僕はむっとして言った。しかしナナシの表情は変わらず、

「見てみろよ」

と言うと、靴箱の扉を開けた。

「ちょ、かってにあけたら・・・・・っ」

僕は言葉を継げなかった。


アキヤマさんの靴箱から、たくさんの紙が落ちてきた。
しかしそれは、ラブレターなんてかわいいものではなかった。

「あしたあいにいきます」
「いま○○にいます」
なんていうメリーさんのようなものから、
アキヤマさん自身の無数の写真、すこし言いにくいが、その、どう見ても使用済み、のゴムなんかも靴箱には入っていた。

「これ・・・」
「恋ってのはこわいねえ。俺はゴメンだな。こんな愛情ほしくない」

ナナシは笑いながら、でも心から嫌悪したように言った。
僕もアキヤマさんも、まだ同じ中学生だというのに、こんな気持ちの悪い目にアキヤマさんが遭っているなんて、考えられなかった。否、考えたくなかった。
僕はなんとかアキヤマさんを助けてあげたいと思った。そう思うとこの間にも、アキヤマさんはこの気持ちの悪いストーカーになにかされているかもしれない。
僕は掃除当番でまだ残っているはずのアキヤマさんが気になって、走り出そうとした。
しかし、ぐいっとなにかに手をとられた。
振り返ると、怖いくらいの無表情なナナシがいた。

「おまえ、まだわかんないの?」

ナナシは冷たい声で言った。

「後ろ見てみろ。人を好きになるのは、人間だけじゃねえぞ。」

言われて、ナナシの向こう側に目をやった。

「ひっ・・・」

僕は小さく悲鳴をあげた。
ナナシのちょうどうしろ、アキヤマさんの靴箱のまえに、人が立っていた。
否、人だったもの、というべきだ。
体は、ぼくらと同じ学生服の男の子だったが、その人は

首が折れ曲がっていた。

「あ、ああああ」

折れ曲がった首がゆっくりとこちらに向く。
その目は、燃えるように僕たちを睨みつけていた。

「ななななし、あ、あ、あれ」
「だから言ったろ。アキヤマは難しいオンナだって。」

おまえもああなりたいか?とナナシは言った。
その言葉の意味は今もよくわからないまま、多分永久にわからないだろう。
否、わかりたくもない。

振られて自殺でもしたのか、それとも・・・なんてこと。考えるのも嫌だった。

「愛情ってのは、迷惑だよな。人間をああも醜く変えちまうんだから。」

ナナシは小さく呟いた。
その言葉の本当の意味に気付くのは、もっとあとの話になる。

「さ、帰ろう」

ナナシはそう言うと僕の手を引いて、また歩きだした。
あんなものをみたあとでも、僕はアキヤマさんが心配だったが、ナナシは心配ないと笑った。

「あいつには強力なお兄様がいるからな」

ナナシがそう言ってすぐ、突然高校生らしき人が玄関から入ってきた。
僕らを一瞥するとその人は「カエデー!!かえっぞ!」と大声を出しながら階段を上がっていった。


ほらね、とナナシが笑った。
「あれには百年の恋も勝てねぇよ」

そう言うとナナシは靴箱を指差した。
あの男の子はもういなかった。

ひとをすきになるのはにんげんだけじゃない。
そんなあいじょう、おれはいらない。

ナナシはそういった。
ナナシの言葉は、今思えばとても重たい言葉だったと思う。
あのころは恐怖が先だって何も思わなかったが、今思えばあの言葉は



でもそれも、あとのまつりの話。

【きみのて】

学生時代、まだ桜も咲かない3月のその日。

僕はクラスメートのアキヤマさんという女の子と、同じくクラスメートの友人の家に向かっていた。

友人は仮に名をナナシとするが、ナナシには不思議な力があるのかないのか、とにかく一緒にいると奇怪な目に遭遇することがあった。

そのナナシがその日、学校を休んだ。普段はお調子者でクラスの中心にいるナナシが学校を休むのはすごく珍しいことで、心配になった僕は放課後見舞いに行くことにした。

そこに何故か

「私も行く」

と、アキヤマさんも便乗したわけだ。

とにかく僕ら二人は連れだって、ナナシの家に向かった。

ナナシの家は、学校から程遠くない場所にあった。僕はナナシと親しくなって1年くらい経つが、たまたま通りかかって

「ここが俺ん家」

と紹介されることはあっても、自宅に招かれたことはなかった為、少しワクワクしていた。

ナナシの家は、今時珍しい日本家屋で、玄関の門柱には苗字が彫り込まれていた。

「…やばい家。」

アキヤマさんが呟く。僕はこのとき、

「確かにヤバイくらいでかい家だな」

なんて思っていたが、今にして思えばアキヤマさんが言っていたことは全く違う意味を持っていたのだと思う。それは「今となっては」言える話で、あのとき僕がこの言葉の意味に気付いていれば、僕らとナナシには別の未来があったかもしれないと悔やまれるが、それは本当に今更なので割愛する。

呼金を鳴らし、

「すみませーん」

と声をかけた。

しばらく無音が続いたが、1,2分後に扉が開き、背の高い女の人が出て来た。僕とアキヤマさんは、自分たちがナナシのクラスメートであること、ナナシの見舞いに来たことを伝えた。

女の人は

「ありがとう」

と笑うと、ナナシの部屋に案内してくれた。

部屋に入ると、布団にくるまって漫画を読んでいるナナシがいた。僕らに気付いたナナシが、ヘラヘラ笑ってヒラヒラと手を振る。案外元気そうな姿に、僕は安堵した。

「なんだよお前、元気なんじゃないか」

僕は笑ってナナシに話掛けた。アキヤマさんは黙って鞄を置くと、部屋を見回した。

「なんでアキヤマがいんの」

ナナシが小声で僕に尋ねた。僕もなんとも答えられず、

「まあまあ」

とわけのわからない返答をした。

ナナシの声は、小声だからというのもあるだろうが、かなり掠れていて痛々しい程だった。見た目と違い、かなり酷いのかと心配になった、そのとき。



「ナナシ。あれ、何。」


アキヤマさんが、口を開いた。

アキヤマさんが指差した場所には、コルクボードがあった。眼鏡をかけて改めて見ると、何枚もの写真と、何枚かの手紙やプリントが貼られている。なかには僕らが授業中に回していた手紙もあった。

「なんだよ、わざわざ飾ってんのかよ」

ナナシが手紙をとっといてくれたことが、なんだか無性に嬉しかった僕はナナシを肘でつついた。しかし、アキヤマさんはニコリともせず、

「そうじゃなくて。その真ん中。」

と、続けた。

僕は目線を真ん中に向けた。すると、そこには、異様な写真があった。

「…え」

それは、どう見ても心霊写真です、といった感じの写真だった。写っていたのは、ナナシと先程の背の高い女の人で、見事な夕日を背景にしている。

そこまでは、なんらおかしくなかった。おかしいのは、ナナシの、一部。否、ナナシを囲むもの、というべきか。女の人にもたれ掛かるようにしたナナシの顔の両端に、白いものが写っている。

それは、手のような形をした、白い靄だった。

「ナナシ、これ…」
「ああ、それか。」

少しガタついてる僕に、ナナシは漫画を置いて、向き直った。その表情は哀しそうで、そしてどこか嬉しそうでもあった。

「それは、母さんと撮った最後の写真なんだ」

ナナシは、そう言って語り始めた。

「俺の隣が母さん。2年前に、死んだ。」

ナナシは少し俯いて言った。

「その写真撮った次の日に、その写真撮った屋上から飛び降りた。」

淡々とした言い方だったが、それはナナシが背負ってきた悲痛が全て凝縮したような切ない響きを持っていた。見事な夕焼けを背にして笑う親子、まさかそれが翌日には哀しい別れ方を迎えるなんて、哀し過ぎる。

「その写真、母さんの誕生日に棚整理してたら見つけてさ。半年くらい前。2年前に現像して見たときは、たしかに何も写ってなかったんだけど。そんとき改めて見たら、その靄が写ってて。」

僕は黙って聞いていた。アキヤマさんも、じっと写真を見つめて黙ってた。

僕は今更、ならばさっき会った女の人は何だとか、わかりきった追求をする気はなかった。ナナシといたら怖い体験をする、ってのは、それこそ今更だったし。

きっと、死んだあともナナシのお母さんは、ナナシが心配で、この家にいるんだろう。遺して来たナナシが、心配なんだろう。そう思った。

「その靄、手の形してるだろ?俺も最初は怖かったけど、見てるうちに、きっと母さんが、俺を守ってくれてんだ、って思ってさ。」 その手が、きっと俺を守ってくれてるんだ、って思って。

ナナシは、そう言って笑った。

「だから、飾っちゃってるわけ。マザコンぽくて、アレだけどな。」

ナナシは掠れ声でそう言うと、いつもより少し照れたようにヘラッと笑った。僕はうっかり泣きそうになるのをグッと理性で押さえ、

「このロマンチストが」

なんて馬鹿馬鹿しいツッコミを肘で入れた。

ナナシとは怖い体験も何度かしたけど、この話を聞いて、やっぱり僕はナナシを好きだと思った。僕らを見て

「ありがとう」

と笑った、ナナシのお母さんの顔を思い出す。僕は、ナナシとずっと友達でいよう、あのお母さんのぶんも、ナナシの傍にいよう、と心底思った。

そのとき、

「元気そうで何よりだわ。明日は学校で会いたいわね。」

と、アキヤマさんが唐突に言った。一瞬にして先刻までの感動ムードが吹っ飛ぶ。アキヤマさんはそんな空気変化を無視し鞄を抱えて、お大事に、と一言掛けると、部屋を出た。

僕は一瞬呆気に取られたが、我に帰り、慌ててアキヤマさんを追い掛けた。

「また明日な!!!」

ナナシに声を掛けると、ナナシはいつものヘラヘラした笑顔で手を振った。それを見届けてから、僕はアキヤマさんを追い掛けて広い廊下を走った。

あの女の人は、もういなかった。


僕がナナシの家を出たとき、アキヤマさんはすでに数純=[トル先を歩いていた。僕は必死でアキヤマさんを追い掛け、並んだところでその肩を掴んだ。

「アキヤマさん!!」
「…なに」

アキヤマさんは振り返る。その顔に撫薰ヘなく、異様なくらいの冷たさを感じた。

「なんで、あんな言い方したんだよ。ナナシが可哀相じゃん、お母さんが…」

そこまで言って、僕は何も言えなくなった。アキヤマさんが、嫌悪と怯えを入り交じらせたような形相で、僕を睨んでいたからだ。

「…アンタ、本当にあれが『守り手』だなんて思ってんの?」

アキヤマさんが強い口調で言った。その真っ直ぐに向けられる視線は、信じられないとでも言うように僕を刺していた。

「だって…それしか」
「本当にそう思ってんならシアワセね。」

アキヤマさんは心底馬鹿にしたように言い放った。

「アタシには、あの手がナナシの首を絞めようとしているようにしか見えなかったわ。」

そう言うと、アキヤマさんは足を早め、帰っていった。曲がり角を曲がって、見えなくなるアキヤマさんを呆然と見送りながら、僕は、あの写真を思い出していた。

夕焼けを背にした親子、その翌日に飛び降りて死んだ母、息子の首元にかかる手型の靄。そして、良好そうな体調の割に、酷く掠れた、ナナシの声。

もし仮にアキヤマさんの台詞が真実なら、僕らが見たあの人は、

ナナシをどうするつもりだろう?

耐え難い悪寒と戦慄を感じ、僕は走った。嫌な頼エが現実にならないのを祈りながら、ナナシの家が見えなくなるまで、走った。

翌日、ナナシはいつもどおり学校に来ていたが、声はさらに掠れていた。このときすでにカウントダウンは始まっていたのかもしれないが、やっぱりそれは今更の話。

【きみが呼び出したかったものは】

学生生活も残り半年あまりとなった頃。
その頃すでに僕らは進学組と就職組に別れ、それぞれの勉強を始めていた。
僕とナナシは進学組、アキヤマさんは意外にも就職組で、その頃は次第に疎遠になっていた。

「イイの見つけた。」

その日、視聴覚室に篭って勉強をしていた僕に、青灰色のボロい本を携えたナナシがヘラヘラ笑って近づいてきた。
その本はどうやら図書館の寄附コーナーからナナシがパクってきたらしい。
僕らの地元にあるその図書館は、木々に囲まれた公園の端に建っており、なかなか貫禄がある。
また、よく寄附本が集まり、なかには黒魔術なんかの怪しい本も集まる。
ナナシいわく、その中にたまに「アタリ」があるそうだ。

「で、それはアタリなわけだ。」
「アタリもアタリ、大アタリだ」

ナナシは笑った。
普段はお調子者でヘラヘラしてて、クラスの人気者なナナシだが、ある日を境目にオカルト好きな本性を見せるようになっていた。

「これ、革が違うんだよ。」

ナナシが嬉々として本の表紙を摩った。
僕も触れてみたが、たしかに普通の本よりザラザラした革表紙だった。

「なんだよコレ」

聞いてもナナシは答えなかった。
ヘラヘラ笑いながら、革を撫でている。
そしておもむろに本を開くと、

「さあ、始めようか」

と言った。

ナナシは僕にあの本を渡すと、視聴覚室の隅に立つよう命じた。
僕は今から何が起こるかもわからないまま、素直に隅に立った。
ナナシは本から切り取ったページを片手に、すごい早さで黒板いっぱいに文字を書き出した。
英語なのか漢字なのかわからないが、みたことのない文章や図がズラリと並ぶ様は相当薄気味悪い。
おまけにナナシは一言も喋ることなく、まさに一心不乱といった様子でカツカツと黒板にチョークを滑らせている。

「ナナシ、何だよこれ」

ナナシは答えない。

やがて書き終えたのか、ナナシがこちらに向き直る。
その顔はいつものヘラヘラした笑顔だが、何かが違う気がした。

「それ、読んで。」

ナナシが本を指差す。
雰囲気からして洋書かと思ったが、中は意外にも日本語で書かれたものだった。
なんと書かれていたかは今はもう覚えていないが、なんだか意味を成さないような不気味なものだったと思う。
それでも、怖いもの見たさもあったのか、僕は書かれた文章を読み上げた。
そのとき、聞き慣れた声がした。

「あんたたち何してんの?」

窓枠に寄り掛かり僕らに声を掛けてきたのは、他ならぬアキヤマさんだった。

「面白そうじゃない、あたしも混ぜてよ」

窓枠に足をかけ、中に入ろうとする。
怪しい行為をしていた最中だったのでにちょっと僕もビビッたが、久しぶりにアキヤマさんと話せることが嬉しくて、僕はアキヤマさんに駆け寄った。
そのとき。

「アブないぞ、ソレ。」

ナナシがアキヤマさんを指差した。
そのナナシの物言いにカチンと来た僕は、ナナシに抗議した。

「ソレってなんだよ、おま…」
「よく見ろよ、ソレはどっから来た?」
「どこって窓からに決まって…」

そこで、めちゃくちゃ遅ればせながら気付く。
ここは視聴覚室。
----3階だ。



『コレ』は、アキヤマさんじゃない。そう気付いた瞬間、「ソレ」は酷く歪んだ笑顔で、体をクネクネさせながら僕に近づいてきた。
白目に赤い筋がたくさん浮かび、それでも口元は笑っている。

「うぁあぁあぁあ!!!!!!」

僕は無我夢中で『ソレ』を払いのけ、外に押し込み、窓を閉めた。
途端、けたたましいくらいにガラスを叩く音がする。

…内側、から。

「ナナシ!!!ナナシ!!」

僕は半狂乱になりながらナナシを呼んだ。
ナナシなら助けてくれる、と漠然に思った。でも、ナナシは僕を見て笑っていた。

「ははははは!!最高だよお前!!!!!」

僕は本気でナナシに殺意を抱いた。
気がついた時、僕は汗だくになって床にヘタリこんでいた。
ナナシが自分のTシャツで汚いものを拭くかのように僕の顔を拭っていた。

「結局、あの本は何だったんだよ」

叫び過ぎて掠れた声で、僕はナナシに聞いた。ナナシはヘラっと笑うと、

「降霊術みたいなもんさ」

と言った。

「会いたいものを呼び出せる呪文と方位がのってる。さすがに犬皮使ってる本だから、ヤバそうだとは思ったけど」

いろんなヤバイモンが詰まってるよ、コレ。
ナナシは笑って言った。

「俺じゃなくて、本持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな。まあ、中身は違うけど。お前、よっぽどアキヤマに会いたかったんだな。」

ナナシはそう言うと、またヘラヘラ笑いながら本を抱えて歩いて行った。
ちょうど下校の鐘が鳴って、僕もナナシの後を追う。
前を歩くナナシの背中を見ながら、僕は思った。

『いろんなヤバイモンが詰まってるよ、コレ。』
『俺じゃなくて、本持ってたお前の会いたいやつが出て来たのは誤算だったな。』
そこまでして、ナナシは一体 なにを 呼び出したかったんだろう?

その答えを知ることになるのは、もう少し、先の話。

【知らないしあわせ】

学生時代、二学期も半ばに差し掛かった頃。
僕らのクラスでは、なぜか『学校の怪談』というアニメが大流行し、今更ながらオカルトブームが訪れていた。
女子はこぞっておまじないなどにハマりだし、男子は肝試しに出掛けた。
僕としては、今まで友人のナナシと体験してきたことのほうがよっぽど怖かったし、当のナナシも今までの体験談を話すこともなく、いつものようにヘラヘラして皆の話を聞いていたから、何も言わなかった。
散々出まくった都市伝説にキャーキャー言うクラスメイトたちを見ていると、『知らぬが仏』って本当に名言だなあ、と思っていた。
そんなとき、唐突に声をかけられた。

「今日、俺ん家来ないか?」

それは、ヤナギと言うクラスメイトからの誘いだった。
ヤナギは、親父さんが貿易だか輸入なんたらだかの会社の社長で、まあ、いわゆるお金持ちだった。
でも金持ちにありがちにな厭味がなく、むしろサバサバして皆から好かれていたし、僕やナナシも仲良くしていた。

「なんで突然?」

僕が尋ねると、

「ウチの親父が、珍品コレクター、っての?なんか不気味なモンばっか集めててさ。いわくありげな物もあるから、見に来ないかなぁと思って」

と、ヤナギは言った。
すると、いつの間にかナナシが僕の隣に立っていて、

「行く行く。ぜひともお邪魔します。俺もこいつも、そうゆうの好きでさぁ」

と、僕の肩をつかんで引き寄せ、僕の意思や意見は完璧無視で誘いを受けやがった。
こうして、僕らはヤナギの家にお邪魔することになった。


「ここなんだよ。」

放課後、馬鹿デカいヤナギの家に着くなり、僕らは地下室に案内された。
地下室と言っても、じめじめした嫌な雰囲気はなく、特に怖いことが起こる予感はしなかった。
正直、ナナシといると変なことばかり起こるので、来るまでは不安だったのだが。

「今日は親父いないから、まあゆっくり見てけよ」

ヤナギが地下室の鍵を開ける。
なんだかんだ言いながら押し寄せていた期待感に心臓をバクつかせていると、ドアが、開いた。

「…ん?」

しかし、中には期待していたようなおかしなものはなかった。
古い本や、ちょっと大きな犬の剥製、振り子時計なんかが置かれているだけだった。

「べつに珍品じゃないんじゃね?」

もっと、こう、動物の生首だとか奇形物のホルマリン漬けだとか、殺人鬼が使っていた刀だとかを想像していた俺は、なかばがっかりしながら言った。
しかし、隣に目をやると、ナナシが笑っていて僕はゾッとした。
いつものヘラヘラした笑顔ではなく、あの不気味な歪んだ笑顔だった。

「まあ、そうでもないんだよ」

ヤナギはそんなナナシの様子に気付くことなく、僕の発言に答える。

「たとえばこの振り子時計。
これは、どっか外国の殺人鬼の物でさ、この扉の中に殺した人間の指の骨を入れて集めてたらしいよ。
こっちの剥製は飼い主の赤ん坊を噛み殺した犬らしいし、この本は自殺した資産家が首をくくるときに踏み台にしたものなんだと。」

ヤナギがスラスラと不気味な話をし出す。
つまりヤナギの親父さんは、そうゆういわくつきの物をコレクションしてるわけだ。

「まあ、本当かどうかはわかんないけどさ。」

ヤナギは笑った。
そのとき、

「なあ、これ、何?」

ナナシが何かを見つけた。

それは、ちょっと煤けていたけど、立派な女の子の人形だった。
フランス人形か何かだろうか、青い瞳を伏せている。

「ああ、それか」

ヤナギが人形を持ち上げる。

「これは特に不気味なもんじゃないんだけど、変わった作りがしてあってさ。」

ココ、と、ヤナギが人形の瞳をつつく。

「なんか、角度や色が細かく計算してあって、絶対に目が合わないようになってんだよ。」

なるほど、確かに目が合う人形は山ほどある、というかむしろ人形とは目は合うものだが、絶対目が合わない人形とはめずらしい。
僕も人形をヤナギから受けとり、目を見てみた。
確かに、微妙に目の焦点がズレて見える。

「へぇ。こいつは面白いな」

僕は人形を色んな位置に移動させて、目を合わせようと試みた。
けど、やはり目が合わない。
どこか違う方を見ている。

そのとき、気付いた。
どんなに移動させようと、角度を変えようと、目の合わない人形。
その人形が、僕から目をそらし、見ている一点。
それは、 ナナシだった。

「え?え?」

僕は場所を変え角度を変え、立ち位置を変え、人形を動かした。
しかし、どんなにそれらを変えても、目の合わない人形はナナシの方を見ていた。
どの位置に立っても、ナナシがいる方に目線が向いている。じっと、睨みつけるように。
おかしい。
オカシイオカシイオカシイ。
僕はパニックになって人形を揺さぶっていた。
怖くて怖くて仕方なかった。
どうしてナナシの方を見るのか。どうして。
そのとき。


「ホラ、いい加減にしろ。」

ナナシが僕の手から人形を奪うと、元の場所に置いた。
僕は汗だくになっていた。

「悪いなヤナギ、こいつ夢中になると我を忘れるから。でも面白いな、親父さんのコレクション」

ナナシがヤナギに詫びを入れ、ほかに話を振る。
ヤナギも特に何か疑う様子もなく、話をしている。
それでも僕は、やっぱり人形を見ていた。
人形は、やっぱりナナシを睨みつけていた。

しばらくお喋りをして、僕とナナシはヤナギの家を後にした。
帰り道、僕はナナシに思い切って言った。

「ナナシ、あの人形…」
「ずっと俺のほう見てただろ?」

やっぱりナナシはわかっていた。
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら、僕を見る。

「なかなかお前も、だいぶカンがよくなったじゃねぇか」

俺の教育の賜物だ、などとふざけたことを抜かすナナシに腹を立てつつ、半ば呆れて僕は言った。

「お前、よく怖くないよな。」

するとナナシは、ハッ、と鼻で笑うと、

「俺はお前の後ろに突っ立てた、手足がやたら折れ曲がった女のが怖かったぜ?」

ベキベキベキって、聞こえてきそうでさ。
と、言った。
僕は急速に体が冷えてくのを感じた。

「ん?知らなかった?」

ナナシはケラケラ笑って、

「『知らぬが仏』って、ホント名言だよな。」

と言った。
どこかで聞いたセリフだと頭の隅で感じながら、僕は走ってその場を去った。

それから僕がヤナギの家に行くことは、二度となかった。

【きみに出逢った春の夕暮れ 1】

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