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この記事は私がまとめました

hidepon777さん

どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!




もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!



医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!



ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂に行き、お弁当はゴミ箱に捨てていた。
ある朝母が「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校に行き、こっそり中身を確認した。すると確かに海老は入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とてもたべられなかった。
家に帰ると母は私に「今日のお弁当美味しかった?」としつこく訪ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜まっていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつくいってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記がでてきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど…喜んでくれると良いな」
何で食べてあげなかったのだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。

嫁が風呂に入っている時に携帯を見てしまった
俺が送った「今から帰る」
みたいな下らないメールばかり
でもフォルダがあってそこにメールが一杯たまってた

知らない男から彼女にあてた甘い内容のメールばかり……
百通ぐらいあったもしれん
感情的になってしまい風呂からあがってきた嫁に問い詰めた
そしたら
『自分が送ったメールなのに忘れてしまったの?』
と言って嫁は笑った

さっぱり気づかなかった
言われてみれば
差出人が俺の昔の番号だった
忘れていた
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた

もう何年も前から同じ携帯だ
機種変しないのか?
と聞いたら
メールが消えるのが嫌だったんだと……

なんだか携帯を盗み見た自分が恥ずかしくなかった
謝ると、嫁は笑いながら
『こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません』
と言って俺を抱きしめてくれた

今週末嫁の携帯を機種変しに行ってきます
もちろん俺の自腹です(ρ_;)

僕のうちは兄弟三人の母子家庭です。

母子家庭という事もあり、母は何も言わなかったけど家庭は火の車でした。

電気が止まった時も。

ガスが止まった時も。

中学の校納金を払えなかった時も。

母はいつも笑いながら『忘れてた、ゴメンね』と言いました。

それが辛くて、心苦しくて、何もできない自分が情けないと思いました。

僕が中3になり、高校受験の前に思い切って言いました。

母さんは三人育てるの辛くて大変じゃない? 僕は進学せず就職したほうが良いんじゃないの?

母は言いました。

『あんたが進学しない方が、何倍も辛いよ』

涙が出ました。

進学したら母はもっと大変になるのに。

それでも進学を願ってくれた母が僕は大好きです。

必ず今の高校を卒業して、たくさん親孝行したいと思います。


母さん、ありがとう。

彼は幼い頃に母親を亡くし、
父親と祖母と暮らしていました。

彼が17歳の時に、急性骨髄性白血病にかかってしまい、
本人すら死を覚悟していましたが、
骨髄移植のドナーが運良く見つかり、死のふちから生還しました。

そのときに1人でも多くの人を助けることができたらと
医者になることを決意し、猛勉強の末に某国立医科大学を卒業、
インターンを経て無事彼が骨髄移植を受けた病院に
就職することができました。

その病院で私の友人、彼女もまた医師をしていますが、
彼女と出会い、晴れて婚約をしました。
彼の祖母が先日亡くなったので、しばらく沈んでいたようですが、
日々忙しく働く中で、徐々に持ち直していたようです。

そんなある日、1人の救急患者が運ばれて来ました。

50代後半くらいの女性で交通事故に遭い意識不明の重態だったので、
至急家族に連絡が必要だったのですが、
身分証明を所持しておりませんでした。

首にかかっていたペンダントが俗に言う、
「ロケット」タイプだったらしく、
手がかりになればと開けてみたところ、
なんと幼い頃の彼の写真が。
彼はすぐに父親と連絡を取り、
その旨を話すと父親もすぐ病院に駆けつけました。

父親から聞いた事情はこうでした。
もともと彼の祖母をはじめとする親族が
父と母の結婚に大反対していたらしく、
それを押し切って結婚したものの、
彼の母親はものすごい嫌がらせを受け、
心身ともに参ってしまったそうです。

母親は不眠症に陥り、睡眠薬が欠かせない状態で
自律神経失調症になってしまいました。
医師からは環境を変えなければ治りようが無いと言われ、
少しの療養のつもりが、結局父親の親族から追い出された
形になってしまったのです。

何度も息子に会いに家を訪れる母親を、
祖母が知り合いの医者を使って精神異常との診断書を書かせ、
それを裁判所に持ち込み、
息子との接触を許されない状況にされてしまいました。

そんな状態でしたが、
母親が唯一彼と接触した日があったそうです。
急性骨髄性白血病にかかったとき、
親族で誰一人として型が一致する者がおらず、
苦肉の策で母親を呼び出し検査したところ、
見事に一致することがわかったのです。

もちろん母親は何の見返りも求めませんでしたが、
ただ1つ、夢にまで見た息子とどうしても話が
したいと申し出たところ、手術のあと眠っている間に
顔を見るのはいいと言われ、
もちろん彼は覚えてはいませんが、
実際20分ほどだけ同じ病室にいたそうです。

彼も大好きだった遠い記憶にある優しい母が、
夢にまで見た母親が目の前にいて彼女は重態だということ、
親族一同が母親にした仕打ち、
ものすごい感情と闘いながら必死で治療を続けました。

しかし2日間の集中治療の甲斐も虚しく、
今日か明日かという状態になり、
病院長から
「是非お母さんと一緒にいてあげてください」と言われ、
彼はずっとお母さんの傍に座り、
一晩中手を握っていたそうです。
そして翌朝、お母さんは息を引き取ったそうです。
事情を知っている同僚や看護婦もみんな涙したそうです。


後日、お母さんのアパートを友人の婚約者と訪ねたところ、
たった一人で暮らしており、
とても質素な暮らしぶりだったそうです。

部屋には彼の幼い頃の写真がたくさん飾られていて、
彼が手にすることのなかった、
親族が送り返した大量の手紙、クリスマスプレゼント、
誕生日プレゼントなどが押入れに残っており、
通帳の表表紙には彼の名前がサインペンで書いてあって、
預金額はその質素な暮らしぶりからは考えられないほどの
金額でした。


最後に預金した日がお母さんが交通事故に遭った
1日前の日付けで、彼と婚約者はその場にうずくまって
泣きつづけたそうです。

本当に残念なのが、彼の父親が手紙を送っており、
彼が結婚を予定していること、祖母も亡くなり、
今さらだが息子のために結婚式参加してもらえないかという
内容の手紙を送っていたにもかかわらず、
母親は受け取らないままに亡くなってしまったことでした。



約30年近く夢にまで見たかけがえのない息子を
抱きしめることができただろうに・・・・



みなさん、お母さんを大切にしてあげてください。

一度でいいから

「ありがとう」と声をかけてあげてください。

入社4年目で初めての結婚記念日の日。

社内でトラブルが発生した。

下手したら全員会社に泊まりになるかも

知れないという修羅場なのに、

結婚記念日なので帰らしてくださいとは

絶対に言えなかった。

5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、

封筒を渡して、

「これをK物産に届けろ」 と言う。

K物産は、隣の県にある得意先で、

今から車で出ても8時までに着けるか

どうかすら分からない。

「届けたら直帰していいから」と言うが、

直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、

きっと11時は過ぎるだろう。

文句を言いたかったが、

「わかりました」

と言って封筒を預かった。

中身を見ようとすると

「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」

とつれないT課長。不満たらたらの声で

「行ってきます」 というと、

課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。

車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。

「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」

と書かれていた。

会社に入って初めて泣いた。




その翌年、

T課長は実家の家業を継ぐために退社した。

送別会の席でお礼を言ったら

「そんなことあったか?」

と空とぼけていた。

この話は実話で、私はこの話を読むたびに、
「価値観」や「解釈」は人によって違うことを深く感じます。
その子は、生まれながら知恵おくれでした。

幼稚園は、近所の子供たちと一緒に通っていましたが、
小学校に上がると、ちょくちょく学校を休むようになり、
一年生が終わる頃には、全く学校へ行かなくなってしまったそうです。
二年生になっても、三年生になってもその子は、
学校に行こうとはしませんでした。
そして、四年生に上がる頃、父親と、母親が話し合って、
養護学校に預ける事にしました。
養護学校には、寮みたいなものがあって、
勿論、家に帰る事はできませんでした。
四年生で入ったその子は、一年生の学習から
始めなければなりませんでした。
専門の先生が、主要教科を一対一で丁寧に教えていきました。

その日習った新しい事を、毎日毎日、
その子は母親に電話で報告していました。
ほんの少しずつでは、ありましたが一年間でその子は、
たくさんの事を学び、覚えていきました。

その子を、ずーっと教えていた先生が、
ある日、算数を教えようとしてお金の問題を出しました。
「ここに、五百円玉、百円玉、十円玉、三つのお金があります。
どのお金が、一番大きなお金ですか?」
と、その子に質問しました。
「十円玉」
と、答えるのだそうです。先生は、
「五百円なのよ」
と、教えましたが、同じ問題を繰り返すと、
どうしてもその子は、
「十円玉」
と、答えてしまうのです。

何度も、何度も、やはり答えは、十円玉だったので、
先生は、
「五百円玉と、百円玉と、十円玉では、五百円玉が、
 一番たくさんのものが買えるのよ。
    だから、一番大きいのは、五百円玉でしょ?」
と、言うのですが、
その子が、どうしても違う、十円玉だと言うので、
先生は、
「それじゃ、十円玉のほうが大きいと思う訳を言ってごらん」
と、言ったそうです。

すると、その子は、

「十円玉は、電話が出来るお金。
         電話をするとお母さんの声が聞けるの!」

と話したそうです。

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、
死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。

「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。
 2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。


そして、サキちゃんの3歳の誕生日。
1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)

「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。
 だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。
           だったら、ママ、また会いに来ます。」


サキちゃんの小学校入学の日。
2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。
 ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 『ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、
 ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 
 エイッ!
  ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」


そして3本目のビデオ。
そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに。

そしてサキちゃんが10歳の時、
パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。


「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。
 えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。



……



 サキちゃん。今日で本当にお別れです。




……

 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。


 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)

 ママ、もっと生きたい…。

 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。

 あなたの成長を見つめていたい…。

 


 …じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

 それは、『ママを忘れる魔法』です。

 ママを忘れて、パパと、新しいママと、
 
 楽しい暮らしをつくってください。

 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」




そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。

パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

最高のママ

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