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ルパン三世の五ェ門の先祖「石川五右衛門」の壮絶な最後がすごかった

「ルパン三世」や「がんばれゴエモン」など創作物として有名な石川五右衛門。大泥棒で釜茹でにされて処刑されたくらいしか知らなかったので調べたら面白い伝説・伝承がありました。また有名な釜茹での刑もあまりに壮絶で驚きました。

更新日: 2014年01月05日

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安土桃山時代の実在の盗賊「石川五右衛門」

アニメ、ゲーム、小説、歌舞伎など様々な創作作品に登場する五右衛門

従来その実在が疑問視されていたが、近年発見されたイエズス会の宣教師の日記などを史料として、その人物の実在が確認されて現在に至る。

家族共々釜茹での刑に処されたという史料が残っている。

実は忍者だった?五右衛門の伝説・伝承

彼の実際の行動について記録されている史料は少ない。

それゆえ様々な伝承・伝説が語り継がれている。

五右衛門の出生地については、伊賀や河内、あるいは丹後、遠江などの諸説があり、伊賀忍者の百地(ももち)三太夫の弟子だったとも。

百地丹波(三太夫)は伊賀流忍術の祖。

忍者の一種で「乱破(らっぱ)」とも。戦国時代、武士がスパイとして育てた盗賊のこと。報道の特ダネの意味で使われる「スッパ抜き」の語源にもなっている。

五右衛門が忍術を学んだ伊賀には五右衛門の石碑が残っている。

三太夫の妻と密通した上に妾を殺害して逃亡した

抜け忍となった五右衛門は京都で手下を集め、盗賊になる。

安土桃山時代に忍びの者として、そのずば抜けた身体能力と腕力を活かし大泥棒を働き、まずしい人々にその盗品をばらまいていた

盗みに入るのは権力者(金持ち)の屋敷ばかりなので庶民のヒーローのような存在だったとも伝えられる。

歌舞伎「楼門五三桐」で、五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両……」と見得を切る場面が有名な、京都の南禅寺三門。

朝鮮出兵で警護が手薄だった京都を荒らしまわった

石川五右衛門は伏見に館を構えて100人余りの手下を住まわせ、白昼堂々と盗みに出かけた

100人もの悪党が怪しまれないために工夫したわけです。

その時、彼は立派な駕籠に乗り、手下は武士の格好で隊列を組んで行進したので、周囲は大名行列と思い込んだ。そして京に入ると、金持ちの屋敷に押し入って盗みを働いたのです。

文禄の役は約19万もの兵を動員したため、その間は京都の警護も手薄になりがちだった。そんな隙間をついたのが五右衛門だった。

秀吉の居城に盗みに入り捕まる

1594年8月23日夜、石川五右衛門は太閤、豊臣秀吉の居城、京都・伏見城の潜入に難なく成功する。狙うお宝は秀吉の寝所に置かれている「千鳥」と呼ばれる円筒形の青磁の香炉だ。

伊賀忍者の抜け忍だったともいわれる五右衛門は難なく侵入に成功。

五右衛門は「千鳥」を発見するも・・・

五右衛門がこの香炉に手を掛けようとした瞬間、香炉が鳴いたというのだ。これで目をさました秀吉。すぐさま五右衛門は周囲の警護に取り押さえられてしまう。

これが目的の宝の青磁香炉 銘「千鳥」。発色の美しい青磁の香炉。上部の千鳥が鳴いて五右衛門を捕らえたという伝説がのこる宝物。

五右衛門が伏見城に忍び込んだ動機については当時の関白、豊臣秀次の家臣、木村常陸介に秀吉暗殺を依頼されたとの説もある。

実の子の「秀頼」をかわいがる秀吉を養子の「秀次」は妬んでいたわけです。「絵本太閤記」に五右衛門という人物が常陸介とつるんでいたという記録があります。

捕まった五右衛門は釜茹での刑に処されることになります。

壮絶な処刑だった

五右衛門の終えんの地となったのは、現在の鴨川に架かる三条大橋周辺

中に張られた湯が、釜を隠すほどに釜の下からあふれ出した火により、地獄絵図のごとくグツグツと音を立てながら煮えたぎっていた。

五右衛門は有名な「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」の辞世の句を読み、覚悟を決める。

傍らにいたわが子、五郎市を抱きかかると、一気に釜の中に飛び込んだ。

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