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njip.fibさん

甲午(きのえうま)の「甲」とは

「甲」は物事の始まりを意味し、前の十年に通用していたものが通用しなくなる事を表す。

「昭和最大の黒幕」とも言われた陽明学者「安岡正篤(まさひろ)」によれば、甲は「草木の芽が殻を破って頭を出す」という象形文字で、「旧体制が破れ革新が始まる」という意味らしい

実践的には、「陋習(ろうしゅう)を破って、革新の歩を進めねばならぬ」ということになるそうだ。

甲午(きのえうま)の「午」とは

漢の説文では「陰気が陽にさからって出づる意、午は忤(さから)う」とされているそうだ。安岡さんは「旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象(かたち)である」としている。

180年前の甲午…「天保の改革」

1834年の天保“甲午”の年は、「天保の改革」を老中が施行。これが幕末の始まりであった。

貨幣経済の発達に伴って逼迫した幕府財政の再興を目的とした。

倹約・風俗粛正を断行し、農村復興のための人返しの令、株仲間の解散、物価引き下げなどの諸改革を行った。

120年前の甲午…「甲午農民戦争」

120年前の朝鮮半島では、李王朝の苛政に農民が反旗を翻した「東学党の乱」が起きた。これを機に出兵した日清両国はほどなく衝突、日清戦争が勃発したのが甲午の年だった。

圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動を公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月,全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。

役人による不当な課税などに対して民衆が怒り、そのころ朝鮮で広まっていた新興宗教「東学」の指導者を中心に武力蜂起したのです。

李朝政府は鎮圧のため清(しん)に出兵を求め、清に対抗して日本も出兵、日清戦争の契機となった。

「甲午農民戦争」を引き合いに出し、攻勢を誓う民主党

海江田氏は、甲午の年だった1894年に朝鮮半島で起きた「甲午農民戦争」を引き合いに出し、「農民が反乱を起こしたが正しい戦いで、その力が全土に及んだ年だった」と指摘。

「民主党を挙げて命と雇用と暮らしを守る国会にしなければいけない」と訴えた。

では60年前はどんな年だったのか

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