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過度に管理、依存してしまう「毒親」「依存母」が娘を追い詰める

世間に対していい親であろうと取り繕いすぎて、結果的に子供(娘)を過度に管理してしまう毒母の影響で、うつ病や不登校などに子供を追い詰めしまい、最悪のケースは自殺という最悪の結果を引き起こしてしまうという依存する母娘の関係が問題となっています。

更新日: 2017年03月03日

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egawomsieteさん

■毒親描くNHKドラマに異例の反響

「母娘問題」に切り込んだNHKの連続ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」(毎週金曜午後10時)。波瑠さん演じる娘と、斉藤由貴さん演じる母が火花の散るようなバトルを繰り広げる中、異例の盛り上がりを見せているのが番組掲示板です。自分の体験談を吐露したり、悩みを打ち明けたり……。出演者へのエールが多い番組掲示板とは異なる展開を見せています。(朝日新聞名古屋文化グループ記者・原知恵子)

「幼い頃から母親から行動をコントロールされたり、気に入らないことがあると罵声を浴びせられてきました」

 「『結婚するなら縁を切る』という言葉しか言われないまま4年交際し…いつ結婚に踏み込めばいいのか悩む日々です」

掲示板には、母との関係に悩む娘たちからの長行の投稿があふれています。

 「ドラマ制作に25年以上関わってきましたが、こんな形の反響は異例」。演出を手がけたNHK名古屋放送局の笠浦友愛(ともちか)エグゼクティブ・ディレクター(55)は、そう言います。

 一般的に、ドラマの掲示板は感想や出演者・登場人物へのエールが多いもの。でも、ここでは実体験を交えた切実な内容が多く、なかでも40、50代の投稿が目立ちます。

脚本は「14才の母」の井上由美子さん

ドラマは、母(斉藤由貴)と恋人のように仲良しだった25歳の娘(波瑠)が、母の顔色をうかがって生きてきたことを自覚し、「呪縛」から逃れようとするも、母が暴走していく――というストーリー。

「14才の母」(2006年)や「昼顔~平日午後3時の恋人たち~」(14年)など、社会を映した作品を多く手がけてきた井上由美子さんのオリジナル脚本です。

 母娘関係の悩みはここ数年、女性誌や情報番組でもたびたび特集が組まれ、当事者が発信する本も多数出版されてきました。子にとって害悪となる行動を繰り返す親を指す「毒親」という言葉も広まっています。

 ただ、娘を苦しめるのは暴力や暴言のような行為ばかりでなく、過干渉や依存など「見えにくい」事象もあり、十分に認識されているわけではありません。

 ドラマでは、当事者らへの取材や臨床心理士の信田さよ子さんの臨床心理考証などをもとに、「コーディネートを母に決めてもらう」「娘の日記をチェックする」――など、さりげない言動を積み重ね、見えにくい不健全な密着の姿を浮かびあがらせました。

「言えずに苦しんでいた人が大勢いる」

番組には「私のことかと思った」という声も多く寄せられています。

 笠浦さんは掲示板の反響について、「周りには『仲良し母娘』に映っていたり、家族のことを悪く言うことをタブー視する風潮があったりして、言えずに苦しんでいた方がそれだけ大勢おられるということではないか。ドラマが『私だけじゃない。苦しいと言ってもいいんだ』と応じてもらえるきっかけになったとしたら、それだけで制作した意義があった」と語ります。

 直近の第7話は、開始以来、最高となる7.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録しました。

最終回は「家族の絆」で終わらない?

ドラマは残り1話。娘に暴走をとがめられても「娘のため」「私が悪いの?」などと返す母の姿は「悪役」そのものです。でも、母もまた母(祖母)との関係に悩んできたことや、夫(父親)が家庭にあまり目を向けてこなかったいきさつなどを知ると、母の苦しみや必死さもわかります。

気になる結末について笠浦さんは「家族にまつわるドラマは最終的に家族の絆に答えを見いだすのが定番だと思うのですが、このドラマは、それでは終わりません」と断じます。

 その愛や絆こそが、裏をかえせばお互いを苦しめているからです。笠浦さん自身も「母には私の苦しさは一生わからないと思う。夫が理解してくれていることで救われているが、それで母の重さが解消されるわけではない」などと語る当事者と会い、問題の根深さを痛感したそうです。

 「母娘問題はそれぞれ個別で、万人に通じる正解は出せません。このドラマなりの母、父、そして娘の決断を見届けてもらえれば」と話します。

■祖父を虐待する毒親 娘には1日何十通のメールで束縛

〈前回までのあらすじ〉

母親がいわゆる“毒親”に変貌したのは、私が小5の夏に、初潮を迎えたときから。少女から女に変わる娘に、殴る蹴るなどの暴力をふるい、生ごみや包丁が飛んできたことも。母との葛藤に疲れ、部屋に引きこもると、なぜか母は上機嫌。その代わり、同居しはじめた祖父の悲鳴が家の中に響くようになった。

祖母が亡くなった後、3人きょうだいの中でいちばん折り合いの悪かった母が、なぜ祖父を引き取る気になったのか、私は不思議でした。「専業主婦で時間にゆとりがある私が面倒を見ないで、誰が見るの」と、母は歌うように言っていましたが、はたしてあれが「面倒を見る」といえるものだったのか。

 祖父と私のために食事を作ることは、母のプライドになったようで、以前のように、私を食事抜きにするようなことはしなくなりました。

 が、もともと食べることに興味のない人の作る料理がおいしいわけがありません。上手下手の範囲を超えた、味覚オンチだったのだと思います。

高校浪人して自室に引きこもっていると、祖父が母に見つからないようにやってきて、「いっしょにご飯を食べてくれ」と言います。母の「食べろ」の集中攻撃から逃れたいのです。大会社の役員まで務めた80才過ぎた祖父から泣きそうな顔で頼まれると、断れません。

 とはいえ、母の用意した食卓は、動物のエサか、それ以下でした。たとえば、夏に2日続けておでんを出して、ツンとするにおいがしても、「好き嫌いを言わずに食べなさい」と命令します。

 みそ汁に蝿が浮かんでいたので指摘したときは、よほど逆鱗に触れたのでしょう。「それはごまだから健康にいい。食べなさい」と言い張って、のみ込むまで席を立たせてもらえませんでした。

耳の遠くなった祖父を母は虐待した

それだけではありません。母は祖父を虐待しだしたのです。冬の朝、私がトイレに立つと、パジャマ姿の祖父が、玄関で震えています。

「あんたなんか出て行け」と叫びながら、母が祖父に玄関マットやスリッパを投げつけるので間に入ると、私が平手打ちされました。狭い玄関で、よほどいいところに当たったのでしょう。「ピシーッ」という音ほど痛くなかったのですが、母は自分のしたことに驚いたみたい。

「私は悪くないから。お父さんが死んだ方がマシだと言うから、私は止めたんだから」

必死に私に言い訳していましたが、なぜ祖父が「死んだほうがマシだ」と言ったのか。トイレに立つ回数から箸の上げ下ろし。耳の遠い祖父の反応が遅いこと。それから昔の恨み言。興奮する材料には事欠きません。

 私の部屋まで、祖父の「ひぃ~、ひぃ~」と、のどの奥から絞り出すような泣き声が届くようになると、私は家にいることもつらくてたまらなくなりました。逃げ場所がほしかった私は、高校に通うようになりました。

深夜2時3時まで母の繰り言は止まらない

大学生になると、心理学を勉強したことがきっかけで、母は孤独なんだと思うようになり、母の話に耳を傾けてみました。

 最初は、「あんたなんかに話しても仕方がないことだけど」ともったいをつけていましたが、根気よく聞いていたら、母の態度が少しずつ変わってきました。

 私や祖父に対する態度が、前のように攻撃的ではなくなってきたのです。大きな声を上げることも少なくなりました。その分、いつ果てるとも知れない繰り言と説教と愚痴。

「あんなパパと結婚なんかするんじゃなかった。私だって商社で働いていた時は『いちばん仕事を任せられる女性』と言われたのよ」と。これが出ると話が長くなります。

 37才になるまで家の犠牲になって働いたのに、妹はこう言った、父親にはこう言われた。そんな時に、「明日朝から予定が…」などと言おうものなら、「私と予定とどっちが大事?」。深夜2時3時まで離してくれません。

会社の飲み会が開かれる店の前に母が立っていた!

社会人になってからも、母親の束縛は続きました。新入社員は覚えなくてはいけないことがいっぱいで、母のことで悩んでいるヒマはありません。経済的に自立することは、母と離れられること。私は張り切っていました。それが母は気に入らないのです。

 会社にいる間も携帯が鳴り、「今、何をしているの。いい? 仕事は要領よくするのよ」。電話に出なくなると、今度は、「何しているの」とメールが何十通。

 カウンセラーに相談すると、逃げようとするから追いかけられるんだと言われ、それで、一日の予定を書いたメモを朝、テーブルの上に置いて母に渡していたこともあります。

「これを見ると安心するわ」と、笑顔を見せてくれたのもつかの間。「夜、課内の飲み会」と書いて渡すと、「どんな店?」と聞くので、正直に店名を教えたら、なんと、その店の前に母が立っていたのです。「あなたが心配で、来ちゃった」と、満面の笑みで言われたときは、その場に泣き崩れそうになりました。

 いい大人なんだから、早く家を出た方がいいというアドバイスは何人からも言われました。「でも、母には私がいないと」とつぶやく私に、周りはだんだん何も言わなくなりました。今考えれば、私も母にどっぷり依存していたのだと思います。

私の突然の家出に母は「恩知らず」と激怒した

あれは私が24才の春先のことです。祖父が亡くなり、葬儀と四十九日が終わったら、私の中の何かがコトンと地に落ちたような感覚がありました。「あぁ、もうがまんしなくていいんだ」と思ったら、体が勝手に動いて、私は荷物をまとめて家を出ていました。

 アパートを借りるのに保証人になってもらったのは、父方の従妹。母とはまったく接点のない人。私の突然の家出に、母は怒って「あんな恩知らず、私の葬式にも来なくていい」と父に何度も言ったそうです。

以来6年間、一度も会っていません。その間、「ママ」とか、「母親」と言うこともなくなり、「あの人」がしっくりくるようになりました。それでも私が母の無事を知っているのは、ときどき父から入った母の愚痴話と、週に3、4度、携帯に入る無言電話。私が出ると切れてしまいますが、母に決まっています。

 最初は無言の母に向かって怒っていましたが、最近ではそんな感情もなくなり、「あら、元気なのね」と、出ない電話に話しかけています。

 変な話ですが、母とは、会わなければ「大学まで行かせてくれてありがとう。不器用な愛情で育ててくれて感謝」と思うこともできます。

 つい最近、母は父と離婚の調停を始めたとか。ということは、一人っ子の私が、何かあったら母親の面倒を見るのか。それを思うと胸の奥がざわめいて、どうしようもありません

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