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ブラジルでプレーしたことのある日本人サッカー選手のまとめ

三浦知良だけじゃない!サッカー王国ブラジルで本場のフットボールを学んだサムライたちのまとめ

更新日: 2014年01月08日

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ブラジルでプレーした日本人第一号。10歳でブラジルへ渡り、サンパウロ、サンベント、ポルトゲーザなどでプレーした。
「キャプテン翼」の主人公のモデルになったことでも有名

1982年、高校を一年で中退し単身ブラジルへ。4年後サントスと初めてプロ契約を結び、その後パルメイラス、コリチバ等の名門チームを渡り歩き、およそ8年間ブラジルでプレーした。ブラジルのプロの登竜門であるサンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ(U-21)に日本人として初出場や、サッカー専門誌『プラカー』の年間ポジション別ランキングで左ウィングの第3位に選ばれるなど、ブラジルで最も成功を収めた日本人

1984年ブラジルに渡りキンゼ・デ・ジャウーの入団テストに合格し入団。5月には、タッサ・サンパウロ・デ・インファンチュウ(14歳~15歳までのブラジル全国大会)に、10番の背番号をつけて出場。その後は地方プロリーグを経験し1993年12月にはついに名門コリンチャンスへの入団を果たす。残念ながらトップチームでの出場はなかったが未だに同クラブでプレーしたことのある日本人はいない。

1998年10月、ブラジル・サンパウロ州の名門クラブ、サントスFCにレンタル移籍。10月18日、ブラジル全国選手権ポルトゲーザ戦に後半20分(65分)から交代で初出場、直後の66分に初ゴール。この後は出場試合数・時間は少なく、1999年に出場機会を求めてゴイアス州の強豪クラブ、ゴイアスECにレンタル移籍。移籍当初はゴイアス州選手権、コパ・ド・ブラジル(ブラジル杯)等に主力として出場していたが、次第に出場機会を失いシーズン途中で退団した

習志野高校から千葉大学に進学し1996年ジェフユナイテッド市原入団。国立大Jリーガーとして注目される。2001年にパラグアイのセロ・ポルテーニョに移籍し、2002年にはブラジルのスポルチ・レシフェでプレーした。その後はポルトガル、フランスのチームを転籍。リベルタドーレス杯に初めて出場した日本人

高校痔は書道部所属という異色の経歴の持ち主。卒業後はブラジルへのサッカー留学。約3年の間にノロエスチ、ンテルナシオナウ・ベベドウロ、バフェットス等を渡り歩いたがブラジルでプレーしていた土屋の存在を知ったヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)から練習参加のオファーが届き帰国、1997年にヴェルディとプロ契約を結んだ。

埼玉の高校を卒業後にブラジルに渡り、1年後にパラナ州の「ポルトゲーザ・ロンドリネンセ」で初めてプロ契約を結ぶ。その後4つのクラブを渡り歩き3年半をブラジルで過ごした。帰国後は水戸ホーリーホックへ入団

2004年からサンパウロ州のパウリスタFCの下部組織に移り、12月には2年間のプロ契約を結ぶ。2006年にはトップチームに昇格して、同年4月2日にアメリカ-SP戦でプロデビュー。サンパウロ州選手権やブラジル全国選手権・セリエB(2部)などで活躍した。日本人選手としては廣山望、福田健二、澤昌克に続く4人目のリベルタドーレス杯出場も果たしている。
2008年に鹿島アントラーズに入団し、日本に帰国。学生時代は無名な選手だったが、ブラジルで成長したことで三浦知良以来の逆輸入選手の一人として注目を集めた

アルビレックス新潟ユースから2012年に新潟トップチームに昇格。同年3月にブラジルのサンパウロ州4部のチームであるグレミオ・エスポルチーボ・マウアエンセ へ期限付き移籍しプレーした

川崎フロンターレU-18出身。当時リオデジャネイロ州1部、ブラジル全国4部のFriburguenseというチームで武者修行をした

高校卒業後は中京大学に進学したが、3年次の2007年に大学を休学し、ブラジルに渡りカンボリウエンセと契約、プロ選手となった。その後はパラナクルービ等ブラジルのクラブを渡り歩いたが、出場機会に恵まれず2010年7月からアルビレックス新潟に入団し日本へ帰国

ヴェルディユース出身。トップチームには昇格せずに名古屋グランパスへ入団。その後横浜FC、本山雅を経て2013年7月にブラジルペルナンブッコ州1部、全国選4部のサルゲイロACに入団。

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