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人物

生誕 1905年(明治38年)5月28日
日本の旗 日本 東京府東京市神田区
別名 吉井昌子
田中加代
罪名 殺人罪
刑罰 懲役6年(未決勾留120日を含む)
職業 芸妓、娼妓
両親 阿部重吉
阿部カツ

阿部 定は、明治38年5月20日、東京神田区(現在の千代田区)の畳屋の娘として生まれた。小さなころは全く普通の少女であったが、定(さだ)が15歳の時、遊びに行った友達の家で慶応大学の学生とふざけあっているうち、そのまま強姦のような形で犯されてしまう。

この時から意識が変わり、「私はもう、嫁にも行けない身体になってしまった。どうにでもなれ。」という考えを持ち始め、家の金を持ちだしてはワルの少年たちと遊びまわるようになる。

数多くの男たちと関係し、相変わらず家の金を持ちだす定に、怒った父親は「そんなに男が好きなら遊郭(現在のソープランドに似たようなもの)に売り飛ばしてやる!」と、定を店に売ってしまった。

出会い、駆け落ち

芸者や娼婦などをしながら各地を転々として暮らしていた阿部定は、交際していた大宮五郎の紹介で東京・中野にある「石田屋」の女中として田中加代という偽名で働き始め、その店の主人・石田吉蔵に惹かれる。吉蔵も次第に阿部定に惹かれ、次第に二人は関係を持つようになり、他人に気づかれないように店を離れたびたび二人で会うようになる。

それはたちまち妻の知るところとなり、激怒した妻に追い出され定と吉蔵は同年4月23日に出奔。しばしの放浪生活が続く。

事件の現場である待ち合い、満佐喜

二人は旅館「満佐喜(まさき)」に泊まっていた。
二人の何気ない会話の中で吉蔵が定に言う。
「首を絞められるのは気持ちいいんだってね。」
定「じゃあ絞めてみて。」

吉蔵はちょっと定の首を絞めようとするが、すぐに「なんだかかわいそうだからイヤだよ。」と、止めてしまう。
「じゃあ、私が絞めてあげる。」と定が吉蔵の首を少し絞めると、
「あはは。よせよ。くすぐったい。」と吉蔵は軽く流した。

この男女は滞在中、夜も昼も布団の中でたわむれているのが目撃されていた。

犯行

5月18日午前2時、石田が眠っている時、定は二回、腰紐で死ぬまで彼を絞めた。

定は包丁で彼の性器を切断した。雑誌の表紙にペニスと睾丸を包み、逮捕されるまでの3日間、彼女はこれを持ち歩いた。そして彼女は血で、シーツと石田の左太ももに「定、石田の吉二人キリ」と、石田の左腕に「定」と刻んだ。

18日午前8時ごろ女だけが「水菓子を買いに行く」と言って外出し、そのまま帰って来ない。しかも、男の方がなかなか起きてこないので、不審に思った同家の女中の伊藤もとが、午前11時ごろになって2階4畳半の「桔梗(ききょう)」の間を覗いて見たところ、男が蒲団の中で惨殺されていたのである。

男は枕を窓側にして、赤い絹の腰ひもで絞殺されており、その顔にはタオルがかけてあった。

その後

5月18日の朝、定は吉蔵を殺害して「満佐喜」を出たあと、大宮五郎に会い、日本橋のそば屋に寄り、大塚の旅館「緑屋」に入って2時間ばかり休憩して別れた。

事件発生から二日後の5月20日。定は品川駅近くの旅館「品川館」に「大和田 直」という名前を使って泊まっていた。この辺りの捜査をしていた高輪署の安藤刑事らは、この「大和田 直」の身元が本庁に問い合わせても確認が取れなかったため、偽名ではないかと疑いを持ち、調査に訪れた。

警察を名乗って部屋を開けると女はビールを飲んでいた。
「昼間っから飲んだくれか。女のくせに。」
「誰かお探しかい? 刑事さん。・・阿部 定とか?」
「なに?」
「あたしがその阿部 定だよ。」
「ふざけとるのか?」

所持品の中にはハトロン紙で包まれた吉蔵の局所が帯の間にはさんであった。他に、吉蔵の猿股、褌、メリヤスのシャツ、刃渡り15センチの肉切り包丁があった。定は切り取った吉蔵の局所を眺めて少し舐めたり、ちょっと当ててみたりしたと、のちに供述している。

定の愛情

吉蔵が死んだことが分かった定は自分を楽しませてくれた吉蔵の局所を切り取って自分の肌から離したくないと考えた。局所を切り取るというのは定の吉蔵に対する愛情であり、これ以上の表現はないというのが定の考えであった。

「それは一番可愛い大事なものだから、そのままにしておけば湯棺のとき、お内儀さんが触るに違いないから、誰にも触らせたくない」

文献

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schowisさん

永遠の中二病です