1. まとめトップ

新日本プロレス IWGPヘビー級王座・チャンピオン&動画まとめ

日本プロレス界の先頭を走る「新日本プロレス」。IWGPヘビー級王座はその象徴であり、トップであることを意味する。アントニオ猪木に長州力、闘魂三銃士に佐々木健介、ミスターIWGPと言われた永田裕志に統一王者となった小島聡ら第三世代。そして棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカ…。

更新日: 2015年07月13日

karykaruさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
15 お気に入り 125614 view
お気に入り追加

IWGPヘビー級ベルト デザインの歴史

1983年から1997年まで使用された。
1997年は旗揚げ25周年にあたり、このタイミングで一新されることに。
初代ベルトはアントニオ猪木に寄贈されたとのこと。
(予備を含めて数本存在していると言われている)

1997年から2005年10月8日まで使用。
改変時に巻いていたのは橋本真也だった。

その後三代目ベルトに変わり、ブロック・レスナーが持ち帰ってしまった際はこの二代目ベルトが代用される珍事が起こった。

役目を終えた二代目ベルトは、橋本真也の功績がたたえられて寄贈された。

2005年から2008年まで使用。
初代、二代目の使用期間からすると短期だが、ベルトのデザインがコロコロ変わるのはプロレス界においてそれほど珍しいことではない。

こちらのベルトは寄贈されず新日本プロレスの管理下にあるとのこと。

2008年から使用。
今までは大胆にデザイン変更がなされてきたが、四代目ベルトは三代目ベルトと似ているという意見も多い(よく見ると結構違うが)。

IWGPリーグ戦として

IWGPは「International Wrestling Grand Prix」の略称。

アントニオ猪木は世界統一の構想をぶち上げ、日本・韓国・中近東・欧州・メキシコ・アメリカを転戦する超弩級の壮大なリーグ戦を考案するが、さすがに各プロモーターからの協力が得られなかった。
それまで行われていたMSGシリーズと大差ない内容だが、注目度は高まった。

1980年に構想を発表し、「IWGP決勝リーグ戦」が第一回を迎えるのは1983年と月日を費やした。
猪木はそれまでフラッグシップタイトルだったNWFヘビー級王座を返上し、リーグ戦自体は海外の強豪選手が集うリーグ戦であることに違いなく、ファンが注目するに値する条件は十分。

アジア地域予選リーグの最中にスタン・ハンセンが全日本プロレスに引き抜かれる騒動があったものの、わずかな期間でスター街道を駆け上ったハルク・ホーガンの台頭と、団体内で「ポスト猪木」と期待されていた前田明(当時)の存在でカバーを図った。

82年には新間寿氏が「北米地区予選」をニューヨークのMSG定期戦で仕掛け、ワールドプロレスリングで放送されると同大会への期待感は更に高まった。
WWF(当時)との提携契約金は年間10万ドルとも言われており、それでも国内独占はできず、全日本プロレスにもルートがあった状態で、新日本プロレスは苦しい状況だったが、まだまだ「日本人vs外国人」がマッチメイクの主流だった当時だけに、無理をしてでも規模の大きい仕掛けが必要だったといえる。

ちなみに新日本プロレスは82年にようやくNWAへの加盟申請が通り、認められた。最初の申請から実に8年もの時間を要したことになる。これで更に華やかな外国人選手たちが大挙して押し寄せるリング上が想像でき、IWGPの箔も相当につくものと考えられたが、「同じテリトリーに一つのプロモーションしか派遣できない」という壁が立ちはだかる。無論、日本でNWAといえばジャイアント馬場率いる全日本プロレスが存在し、新日本側はオファーをかけても招聘できない状態が続いた。
ただしその後のNWAは組織として弱体化し、WWFの侵略にしてやられ、WCWが継承して設立されると今度は新日本が国内の招聘力を圧倒した。

第一回大会「IWGP決勝リーグ戦」優勝者はハルク・ホーガン

様々な話題を呼んだ第一回大会。決勝戦は「アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン」。1983年6月2日に東京の蔵前国技館で時間無制限1本勝負にて行われた。

場外でホーガンのアックス・ボンバーを喰らった猪木は、鉄柱に頭部を強打し、何とかエプロンに上がるも、ロープ越しにもう一発喰らうと場外に転落し、動かなくなってしまう。
セコンドがリングに戻すも、うつ伏せの状態で舌を出し、気絶している様子であった。
これが世に言う「猪木舌出し事件」である。

アクシデント(?)によってだが、優勝はハルク・ホーガン。
IWGPヘビー級のベルトを一番最初に巻いた選手となった。

ただしこれはリーグ戦でのIWGPタイトルであるので、王座遍歴には記されていない。

○ホーガン(21分27秒 KO)×猪木

日本代表:アントニオ猪木、キラー・カーン、ラッシャー木村(北米代表ディノ・ブラボーの代打出場)
北米代表:アンドレ・ザ・ジャイアント
米国代表:ハルク・ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド
中南米代表:エル・カネック、エンリケ・ベラ
欧州代表:オットー・ワンツ、前田明

第二回大会「IWGP王座決定リーグ戦」優勝者はアントニオ猪木

第一回から微妙に名称が変わってます。
予選リーグを制した者が、前回優勝者のハルク・ホーガンと決勝戦を争うといった形式。

予選の最終戦はアントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントで行われ、猪木が反則勝ちで決勝進出の切符を手にした。

肝心の決勝戦だが、

決勝戦 ホーガン(両者リングアウト 17分15秒)猪木
延長戦 ホーガン(両者カウントアウト 2分13秒)猪木
再延長戦 ○猪木(リングアウト勝ち 3分11秒)×ホーガン

といった連続不透明決着で、最後はなぜか乱入してきた長州力が二人にラリアットをみまい、猪木が先にリングインして決着というよく分からない結末にファンは暴徒化する。
物は投げるわ破壊するわ、火をつけるわで暴動に発展し、新日本プロレス及び猪木への不満が高まった。UWFへ客足が移っていくのもこの頃からと言われている。

ちなみに優勝が猪木と言われているが、この試合が前回優勝者のホーガンが持つタイトルの防衛戦なのか改めての決定戦なのかも明確にはされていない。

アントニオ猪木、藤波辰巳(当時)、マサ斎藤、長州力、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック、アドリアン・アドニス、マスクド・スーパースター、ビッグ・ジョン・スタッド、ケン・パテラ、オットー・ワンツ、ビッグ・ジョン・クイン

第三回大会「IWGP&WWFチャンピオンシリーズ」優勝者はアントニオ猪木

前回同様、前回覇者のアントニオ猪木は決勝で待ち構える格好。
トーナメントの決勝は藤波辰巳とアンドレ・ザ・ジャイアントで争われ、アンドレが勝利。

第三回大会の決勝戦は猪木とアンドレで行われ、猪木が連覇した。

次回からリーグ戦に戻った。

坂口征二、藤波辰巳、木村健悟、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック、アドリアン・アドニス、マスクド・スーパースター、エル・カネック、キングコング・バンディ、アイアン・マイク・シャープ、ロン・ミラー、スーパー・ストロング・マシン

決勝戦 1985年6月11日東京体育館 60分1本勝負
○猪木(13分50秒 カウントアウト)×アンドレ

第四回大会「IWGP王座決定リーグ戦」優勝者はアントニオ猪木

前回同様に猪木が優勝して三連覇した。
第三回はお馴染みの顔ぶれでそこまで大きな盛り上がりをみせず、今大会はUWFの崩壊に伴い、前田日明がエントリーしたため、猪木との対戦が期待されたがブロックが違うので実現せず、決勝でも実現しなかった。

第二回大会からのこの体たらく、第一回も話題は呼んだがロクな内容を残していない。「呪われたIWGP」と呼ばれるのも仕方のないことだろう。

「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」。前田はこう言葉を残した。
伝説となった二人の死闘は同リーグ戦での出来事だった。

もはやIWGP自体にそれほど高い価値を覚えている人は少なかった。

Aブロック:アントニオ猪木、坂口征二、木村健悟、藤原喜明、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター、クラウス・ワラス
Bブロック:藤波辰巳、前田日明、上田馬之助、ディック・マードック、ジミー・スヌーカ、ワイルド・サモアン、キューバン・アサシン

決勝戦 1986年6月19日 60分1本勝負
○猪木(30分7秒 体固め)×マードック

初代王者ならびに第五回大会「IWGP王座決定リーグ戦」優勝者はアントニオ猪木

第五回大会の決勝戦は、両国国技館にて1987年6月12日に行われた。
Aブロックからアントニオ猪木、Bブロックからマサ齊藤が進出し、両者で争われた。

第五回大会は、WWF(現WWE)との提携解除、元ジャパンプロレス軍の参加が契約上不可能、藤波の怪我による途中棄権など手厳しい情勢が山盛りだった。
壮大なスケールで行われるリーグ戦というのは現実的ではなくなったため、タイトル化された背景もある。

新日本プロレスとWWF(当時)の友好な関係は、マクマホンSR代表が他界した84年5月から徐々に怪しくなっていった。
跡を継いだ(継いだというか他界する数ヶ月前から大半の株式を買い占めていた)マクマホンJRは、提携継続の条件に契約金の5倍アップを通達した。
泣く泣くこの条件を飲んだ新日本だが、ホーガンのドタキャンなどが相手都合により生じたり不都合ばかり。契約を更新しない方針をとった。
以降はフリッツ・フォン・エリック率いるWCWA(World Class Wrestling Association)に招聘窓口を切り替えたが、WWFと比べると、NWAを脱退したWCWAではラインナップの充実度に明らかな差があった。ちなみにWCWAはそれまで全日本プロレスと提携していたが、こちらもそれを切り替えた格好だ。

Aブロック:アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、藤原喜明、コンガ・ザ・バーバリアン、スコット・ホール、キラー・ブルックス
Bブロック:マサ斎藤、前田日明、木村健悟、上田馬之助、ジョージ高野、ハクソー・ヒギンズ、アレックス・スミルノフ

1987-06-12 両国国技館
マサ斎藤
体固め 14'53"

<防衛戦>
1
1987-08-02 両国国技館
C・B・ビガロ
体固め 9'38"

2
1987-09-01 福岡国際センター
D・マードック
体固め 15'22"

3
1987-10-25 両国国技館
S・ウイリアムス
リングアウト 11'47"

4
1988-02-04 大阪府立体育会館
長州力
レフェリー・ストップ 13'58"
※5/2猪木の左足骨折による王座返上を新日プロが発表。

第2代王者 藤波辰巳

反則裁定による王座戴冠だったので、藤波自身が納得せず、ベルトは腰に巻かないという意思表示をした。
試合後は怪我から復帰した猪木との闘いを熱望。

初防衛戦は長州力と行ったが、無効試合の裁定が下り、コミッショナー預かりとなった。

1 2 3 4 5 6 7 8





karykaruさん

色々なものをまとめます。

このまとめに参加する