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シルクロードの最北端は山形県鶴岡市になるの知ってた?

日本近代化の象徴「繊維産業」選択ひとつで未来を変えた影響は計り知れない。山形県鶴岡市にて、シルク文化保護活動を通じ、学ぶことでつながった「過去と今」日本におけるシルクロード物語として読み知ってほしい。

更新日: 2014年01月16日

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三浦宗平さん

シルクロードは通常中国から西を指すが、それを東に伸ばすと山形県鶴岡市が最北端となーる

庄内藩十四万石の城下町として栄えた山形県鶴岡市。日本の最北限の絹産地です。 蚕種にはじまり絹織物の製品化まで一貫した工程がこの地に集約されています。
シルク製品の製品工程(蚕種、養蚕、製糸、撚糸、製織、精錬、染色、捺染、縫製)。しかも現在、日本において一連の工程を全て抱えているのは鶴岡市だけである。シルク製品で名高い、京都の西陣・丹後、群馬の桐生、福島、福井の金沢等も、これらの工程を全て持っているわけではない

精練って何んなのさー?

精練技術は世界イチ、中国・ドバイなど世界各国で使われている上質なシルク布のほとんどは、鶴岡で精練されてます。

鶴岡にシルク産業が発達した歴史背景

時代はさかのぼり幕末期。
戊辰戦争において、薩摩藩・会津藩と共に征討の対象となった庄内藩は、新政府軍との戦いにおいて、不敗のまま降伏を申し出たトコロまでさかのぼります。
同盟の盟主であった会津藩が解体と流刑となったのとは逆に、庄内藩は比較的軽い処分で済んだ。これには明治政府軍でも薩摩藩の西郷隆盛の意向があった。西郷の恩義と、政府に対する忠誠を示す証として、庄内藩藩士は刀を捨て鍬を持ち変え、侍が農に従事し、養蚕に必要な桑畑の開墾を行った。ここから鶴岡の近代化はシルク産業と共に発展していく。

不敗のまま、降伏するってどゆこと?

江戸の警戒、海防警備に従事していた、新徴組を庄内藩酒井家の御預かりとなったことに加え、領民を手厚く保護する政策がにより藩主・家臣・領民の結束が固い上に、当時日本一の大地主と言われ庄内藩を財政的に支えた商人本間家の莫大な献金を元に最新式兵器を購入装備出来たことが重なり、幕末最強の名を欲しいままにした。
しかし列藩同盟盟主の一角である米沢藩が降伏したため、庄内藩は撤兵を決断。さらに会津藩も降伏し、庄内藩以外のすべての藩が恭順した。明治元年9月26日(1868年11月10日)庄内藩も恭順した。結果的には恭順したものの庄内藩は最後まで自領に新政府軍の侵入を許さなかった。

「シルク産業」でまちの近代化

明治維新の殖産興業政策から始まった絹織物産業を中心にして、金融機関が発生し、発明家の牽引も手伝い、関連企業が発展し、人財育成する為の学校が生まれ、鶴岡近代化に大きく関与した。
地元有力財閥による投資(ベンチャーキャピタル)
齋藤外市による絹織機の発明と事業化(先端技術開発、ベンチャー企業、知財ビジネス)
鉄工所や電力会社の設立(先端産業基盤の連鎖的設立)
染色技術者や技能工の育成(産業人材育成)等といった過程を踏み、一大産業が形成されたのである。その成立過程が「産業クラスター」の形成事例として位置づけられた。

地元有力財閥(ベンチャーキャピタル)

地主経営、金貸し業にも乗り出し、1900年代には織物業も手がけるなど、地方財閥としての基礎を固めた。そして1917年には、従来の金貸し業を近代的な銀行業へと転換を成しとげ、風間銀行を設立した。1941年、六十七銀行、風間銀行、鶴岡銀行、出羽銀行が合併し荘内銀行を新立。

齋藤外市(発明・開発・ベンチャー企業・知財ビジネス)

発明家、実業家、政治家。トヨタグループの創業者の豊田佐吉と共に、織機の発明王と呼ばれ、絹の斎藤外市、綿の豊田佐吉と言われていた。
1889年:陸軍に軍用軽気球と、海軍に軍用潜航艇を発明し献納する。
1895年:改造水雷艇を発明
1907年:両羽実業新聞社を設立し、日刊新聞「両羽実業新聞」を発行。
1910年:飛行機を発明し特許出願
1911年:鶴岡瓦斬新斯会社(現・鶴岡ガス株式会社)を設立し社長就任
1913年:飛行機より信号で操縦する水雷を発明。
1921年:鶴岡町会議員に当選

染色技術者や技能工の育成(産業人材育成)

・鶴岡工業高等学校(1895年)
絹織物産業が盛んになり、織物組合立染織学校として鶴岡町立鶴岡染織学校が創設された。
・鶴岡家政高等学校(1910年)
基幹産業であった絹織物の技術者育成のため、裁縫と一般教養を教える私塾を設立。

産業クラスター?意味?

「特定分野における関連企業、専門性の高い供給業者、サービス提供者、関連業界に属する企業、関連機関(大学や業界団体、自治体など)が地理的に集中し、競争しつつ同時に協力している状態」のこと。

地域ブランド「kibiso」の誕生

1965年までは基幹産業であったシルクが、化繊や中国等の廉価な製品の登場により大きく後退している。キビソとは、生糸の原材料となる繊維を繭からたぐる糸口の部分で、蚕が繭を作るときに最初に吐き出す糸である。2008年に中小企業地域資源活用促進法の認定を受け、新素材として“kibiso”が開発され、NHKの国際放送番組で取り上げられるなどして、アパレル市場だけでなく、インテリア雑貨市場等の新市場開拓と共に、日本を代表するシルクブランドとして成長している。

「シルクガールズ」 の誕生

2010年に鶴岡中央高校(鶴岡家政高が統合され名称変更)が鶴岡織物工業協同組合と連携し(産官学連携)、「鶴岡シルク」で制作したドレスなどを発表するファッションショー「シルクガールズ・コレクションがスタートする。

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