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トイレの歴史があまりにショッキングで多くの事を教えてくれた

トイレの歴史は人類の歴史とも言えます。それは驚きの連続でこれまでの世界観が覆ってしまう事必須です。あの栄華を極めたヴェルサイユ宮殿が、中世のヨーロッパの町並みがトイレ問題に苦しみ糞便で溢れかえっていた、、しかしその黒歴史があったからこそ現代に通じる多くの発明や流通があったのです。

更新日: 2014年01月28日

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この記事は私がまとめました

yusffさん

トイレの歴史は人類の歴史である

そしてこれから見ていく事はあまりに衝撃的で現実味もなく嘘?と疑いたくもなるような事ですし、これまで持っていたあらゆる世界観が覆される様な事ばかりですがしかし、、

全て史実に基づいた事実なのです

中世ヨーロッパでは窓から排泄物が投げ捨てられていた

中世から近世にかけての数百年間、パリの路上には人や動物の糞尿があふれ、腐った食品のくずが散乱し、セーヌ川には屠殺された牛や豚の臓物や血が途切れることなく流れ込んだ。うっかり道の端を歩こうものなら、頭上から容赦なく屎尿がぶちまけられた。街は悪臭に満ち、それは王宮にまで及んだ。ひとたび疫病が発生するや、あっという間にパリを席巻し、数千数万の人々の命を奪った。

中世ヨーロッパはトイレの暗黒時代だった

古代ローマ人が創りだした水流トイレは中世ヨーロッパには受け継がれずトイレ文化的には退化した時代だったのです。

一般の家にはトイレがなく、住民は「おまる」を使用して、「おまる」が一杯になると定められた場所に捨てるのが決まりになっていましたが、定められた場所へは持っていかずに、窓から外へ投げ捨てるのが習慣になっていた

排泄を恥ずかしいこととみなすキリスト教の考え方から、個室トイレが発達するようになり、中世の修道院や城館では、「トイレはベッドと同数だけあるのが望ましい」とされましたが、それを実現できたのは、財力と権力を持つ一部の修道院や貴族に限られ、そのような手間のかけられない弱小貴族や一般庶民の間では、所謂『おまる』が使用されていたのです。

外へ直接落とすタイプのトイレも普通でした。下を歩いていると頭上から降り注いでくるという事も普通の光景だったのです。

1371年にロンドンで、汚物を窓から捨てるのを官吏に見つかると、シリングの罰金という法律ができています。

同様の法律はフランスやポーランド等多くのヨーロッパ諸国で制定されましたが監視の目を搔い潜って汚物を投げ捨てる人が後を絶たずなかなか機能していなかったようです。ドイツのニュルンベルグでも夜間に汚物を捨ててはならないという法律を制定したもののまなこっそりと投げ捨てていたようで、、

道路は、ごみと汚物で想像を絶する不潔さであり、雨の日などはどの通りもどろどろにぬかるんでいた。道路の真ん中には汚物を集める溝があり、そこを横断するためには 道路の端から端に渡された板を渡るしかなかった。

上流階級の女性が通りを渡る時は、通りの向かい側まで背負っていってくれる「渡し屋」という商売の人に頼むこともあったほどだそうです。

こうした汚物を「処理」するために導入されたのが、豚や羊などでしたが、牙に引っかけられたりして、大怪我する者が後を絶たなかった

街を汚すのは人間ばかりではなく、馬や、豚自身の排泄物も相当な量に及び、ひとたび路地に入れば、彼らの「汚物」がうずたかく山をなしており、上流階級の住む地域にも、彼らの排泄物と人間とのが平均10センチの厚さに積み重なっていたそうです。

糞尿が路上に捨てられ、ペスト菌を持ったネズミたちが繁殖した。14世紀にペストで死んだ者は少なくとも2500万人いると言われる。

ペスト大流行の原因には都市の衛生問題以外にも防疫手段が確立されていないこと、都市の密集化、また当時は風呂に毎日入る習慣がなかったことなどさまざまな要因が上げられます。

知りたくなかったヴェルサイユ宮殿のトイレ事情

17世紀のルイ14世もルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきた

1つの城にあまり長く住むとその城があまりに不潔になってしまうので、中世・ルネサンス時代の王様は、1つの城にじっとしていることが少なく、城から城へ渡り歩いていたそうだ。渡り歩いていた理由には、当時はまだ国王の権勢が隅々まで浸透していなかったため、直接地方に行って国王の威光を誇示する必要があったこともあるそうだ。

ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があった。

椅子式便器とは椅子の中が中空になっており、そこに汚物受けを仕込んだものだそうです。しかし、当時のヴェルサイユ宮殿には1000人の王侯貴族と4000人の召使いが常時出入りしたと言いますから、まったく足りませんでした。宮殿には水道が通じておりましたが、それはもっぱら噴水のために使用され、トイレに使われることはなかったそうです。

ルイ14世が使用していた椅子式便器。彼はお腹をくだす事が多くこの部屋で便をしながら会議をする事も多かったそうです。
便器というよりも家具、調度品といった風格があります。引き出しがついていて、中の便をとり出し捨てる事ができます。

宮殿に住むことになった王一家以外の貴族たちや召使いのためのトイレはなく、彼らの用をまかなっていたのは2000個に及ぶ「おまる」だった。

所謂日本人のイメージする『おまる』というよりはポットといった形状で『chamber pot』と呼ばれます。当時は陶器のおまるが利用され清潔好きの紳士淑女の中には常に持ち歩いている人もいたとか

中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は中庭や通路、回廊など糞尿であふれ、ものすごい悪臭だった。ある廊下のはずれは、「汚物で沈んでいた。」

信じられないような話ですが、王侯貴族をはじめとして、多くの人々は、建物の片隅や庭先に平然と便をしていたのです。

ルイ15世の時代に清潔好きだった王は従来の十四世型の汲み取り式便器を「イギリス式のイス」と呼ばれる水洗式に変えた

これは現在の水洗方式の元祖である便座の横のコックを引くと天井裏の水槽から鉛管を通して出てきた水が、汚物を地下の屎尿槽に流し込むという装置で、少なくとも五十ほどは設置されたといいます。しかし、これらはもっぱら王族や、その取り巻きの大貴族たち専用の施設であり、それ以外の中小貴族、その他使用人などは従来どおり、「おまる」生活を強いられており、この時代もヴェルサイユの庭は、あいも変わらぬ臭いに満ちていたとのこと。

トイレ暗黒時代のおかげで様々な発明と流通が

街中にうず高く積もった汚物を避けるために、ハイヒールやブーツなどの丈の高い靴が考案されたと言われています。当初、ハイヒールは、こうした道路を歩くための男性の履き物でした。
また、今は姿を消しましたが靴の上に履く靴等も利用されていたようです。

宮殿内のひどい匂いをごまかすためや、当時の紳士淑女の服は月1回洗濯できれば良い方で、服にカビが生えているのは当たり前で、お風呂やシャワーも全く利用しなかったため、体臭など臭いをごまかすため、香水を大量にふりかけていました。ヨーロッパではこういう背景から香水が発達していったそうです。

1658年に書かれた本には、舞踏会に参加した女性が、庭の鉢植えに立ち小便をしたという記述があります。同じころの作法書にも、「尿意を感じたらすぐさま放出すべし」と書かれているそうです。
その時に、立ったまま廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足しやすいようにとの配慮から生まれたのがこのフープスカートと言われています。

日傘は、道路を歩いていた時、上から降ってくる排泄物を直に被らない為に中世のヨーローッパで流行したものだそうです。

紳士たる者は、汚物を浴びやすい歩道の外側を(当時の家は、2階が歩道に突き出ていたので、歩道の内側は2階の床下になっていて汚物を直接浴びる心配がなかった。そのかわり歩道の外側はもろに汚物を被っていた)レディーは安全な内側を歩くマナーが生まれていました。危険な歩道側を歩く紳士の側も、勿論無防備ではなく、それが外套の着用でした。街を歩く人は、頭にバケツを被り、幅の広い長い外套・マントを着用していました。当時の紳士達のシックな帽子と外套姿も、投げ捨てられる汚物から衣類を守るためだったのです。

現代、「礼儀作法」というような意味で使われているエチケットは、フランス語で「立て札」という意味です。ルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿であまりにも宮廷人たちが手入れした庭に踏み入り、木陰で用を足すので、庭師が「立入禁止」の札を立てました。そこから礼儀作法の意味が派生されエチケットと呼ばれるようになったのです。

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