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冬にいろんな所で開催されている「駅伝」の意味が深かった

高校駅伝、ニューイヤー(実業団)駅伝、箱根駅伝、全国女子・男子駅伝、日本ではすっかり冬の風物詩になった「駅伝」。てっきり鉄道の駅の事だと思っていました…が真実は違うようです。

更新日: 2014年01月17日

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■冬の定番スポーツ「駅伝」

元日恒例の全日本実業団対抗駅伝は、コニカミノルタが4時間53分35秒で2年連続8度目の優勝を遂げた。

ニューイヤー駅伝

第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(読売新聞社共催)の最優秀選手(金栗杯)に3日、総合優勝した東洋大のアンカー、大津顕杜けんと(4年)が選ばれた。

今年の総合優勝は東洋大でした。

第32回全国都道府県対抗女子駅伝は12日、京都市の西京極陸上競技場発着の9区間、42・195キロで行われ、京都が2時間15分32秒で3年ぶりの栄冠に輝き、最多だった優勝回数を15に伸ばした。

この間の女子駅伝は京都が優勝…15回って…。

■「駅伝」の駅は鉄道の駅ではなかった…。

宿駅のこと。この字を用いる場合は特に古代の律令制で設けられた“駅家”を指すことが多い。

由来は中国にあった!

中国では律令制の施行に伴い、国内に官道を張り巡らせて各地の連絡を図った。

また急を要する手紙などを運ぶ場合、早馬によるリレー形式で繋いでいく方が効率的であり、それを行うには中継ぎの場が必須であった。

これらの役割を果たすために駅伝制が導入され、駅が全国に設けられた。

■中国から日本へ伝わった「駅伝」

日本の「駅伝制」は7世紀から8世紀にかけて、唐の制度にならってつくられ、朝廷による「駅制」と国・郡のもとにあった「伝馬制」とにわけられていた。

「駅伝」という言葉自体は日本書紀にも記されている

日本書紀は奈良時代に成立した日本の歴史書。

奈良時代に中央と地方を結ぶ幹線道路に整備された「駅制」がルーツです。

江戸時代には、途中、途中に置かれたポイントである中継地点をすでに駅と呼んでいました

タスキを渡す場所を中継所という言い方をしていますが、昔は馬を乗り換える場所だった

「駅」では朝廷にのぼる役人や公文書を運ぶ使者が到着すると、宿舎や乗りつぎの馬を用意し、次の駅まで案内人をつけた

■競争としての「駅伝」という名称を採用したのは武田千代三郎

駅伝競走の命名者として知られる。

Wikipediaにも書いてあった。

競技としての最初の駅伝は、讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催し1917年4月27日に行われた「東海道五十三次駅伝競走」とされる。

大正6年。

京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。

凄まじい距離…。その際に武田千代三郎は考えた

「東海道を走るわけだから、それにふさわしい名前」ということで検討された結果、江戸時代に宿場町の荷物を運んだ「駅伝」という職業にちなみ、駅伝と名づけられた。

国際陸上競技連盟では、駅伝の国際名称をRoad relayとしているが、日本発祥であることからそのまま"Ekiden"と呼んだり、説明的に"Marathon relay"と呼ばれることがある。

国際的にも名が通っているんですね。

■そんな駅伝、これからの見どころは?

広島市の平和記念公園前を発着点とする7区間48キロのコースで行われる。

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