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【バルサ】消えたカンテラの星たち、未完の大器 まとめ #海外サッカー #FCBarcelona

1990年代以降にはシャビやリオネル・メッシ、イニエスタ、ビクトール・バルデス、カルレス・プジョル、ジェラール・ピケなどを輩出する一方で期待されながら去っていた未完の大器のまとめ

更新日: 2019年07月30日

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hakatanotoraさん

ラ・マシア寮の建物は田舎風の住宅として1702年に建てられたが、1957年のカンプ・ノウの落成式の際に建て替えられ、クラブの本部を置くために拡張された。

クラブの規模が徐々に拡大されるにつれて、クラブの本部としては手狭になり、1979年10月20日に下部組織の若い選手が生活するための選手寮に変えられた。

開所から30年で500人以上の選手がラ・マシアに在籍したが、その半数はカタルーニャ州出身であり、残りの半数はスペインのその他の地域出身である。

2011年6月30日をもって閉鎖され、32年間の歴史に幕を閉じた。

ラ・マシアでは選手のテクニックに焦点が当てられ、細かなパス交換能力が必要不可欠とされている。

しばしば持ち出されるFCバルセロナの成功理由のひとつに、パス&ムーブの哲学の継続と傾倒がある。グアルディオラは中盤の深い位置からゲームメイクを行う選手(いわゆる「4番」の選手)の先駆けであり、シャビやイニエスタがその後継者である。

ラ・マシア寮は70人以上を収容することができ、約60人の選手が暮らしている。そのうちの50人ほどはスタジアムに隣接した主棟で暮らしており、残りの10人ほどはカンプ・ノウの中にある別棟で暮らしている。

13歳以上の選手のうち、ラ・マシア寮で生活する選手は40%ほどであり、それ以外の選手は自宅などで暮らしている。

ラ・マシア寮に入ることができるのは13歳以上と定められており、ラ・マシアの12歳以下の選手はカタルーニャ州出身者であるか、家族とともに移住してきたスペイン国外出身選手である。

世界で最も優れた下部組織のひとつとして称賛されており、2010年のFIFAバロンドール投票では最終候補の3人(MFシャビ、MFアンドレス・イニエスタ、FWリオネル・メッシ)をすべてラ・マシア出身選手で占めるという偉業を成し遂げた。

2010年にはスペイン代表が2010 FIFAワールドカップで優勝を果たしたが、このうちの8人はFCバルセロナ出身であり、7人がラ・マシア出身選手であった。スペイン代表のスタメンにはピケ、カルレス・プジョル、イニエスタ、シャビ、セルヒオ・ブスケ、ペドロの6人が名を連ね、FIFAワールドカップ決勝における単一クラブからの最多人数記録を更新した。

ロイターはスペイン代表のFIFAワールドカップでの成功にラ・マシアの存在が大きく影響しており、その他の要因としては経済の発展と幸運が挙げられることを示した。

No.1 “天才” ビクトール・バスケス

名  前:ビクトル・バスケス・ソルソナ
国  籍:スペイン
生年月日:1987年1月20日(30歳)
身  長:178cm
体  重:72kg
ポ ジ ション:FW/MF
所  属:トロントFC
経  歴:FCバルセロナB
     FCバルセロナ
     クラブ・ブルッヘ
     クルス・アスル
     トロントFC
在籍期間:1996〜2011
代表経歴:U-16スペイン代表

彼の強力な武器は、状況の読みの正確さと状況判断の速さ、優れたテクニック、そしてゴールの嗅覚

フィジカル的に強い選手ではない。飛び抜けたスピードがあるわけでもない。彼の強力な武器は、状況の読みの正確さと状況判断の速さ、優れたテクニック、そしてゴールの嗅覚。

2007-08シーズン、ペップバルサでプレーする彼は、左エストレーモというポジションに置かれながらも、監督からの動きの自由を得ている唯一の選手だ。

■バルセロナでの軌跡

1996 - 99:アレビンA
1999 - 00:インファンティルB
2000 - 01:インファンティルA
2001 - 02:カデッテB
2002 - 03:カデッテA
2003 - 04:フベールB
2004 - 05:フベールA
2005 - 06:FCバルセロナC
2006 - 07:FCバルセロナB
2007 - 08:FCバルセロナB
2008 - 09:FCバルセロナ・アトレティック
2008 - 11:FCバルセロナ

“天才ビクトル・バスケス”と呼ばれるようになった

1998年、9歳のときにFCバルセロナの下部組織(アレビンA)に入団し、インファンティルカテゴリーでプレーするようになってから、もうすでに騒がれていた子供だった。“天才ビクトル・バスケス”と呼ばれるようになったのも、このインファンティルカテゴリー時代からだ。

同世代にはセスク・ファブレガス、リオネル・メッシ、ジェラール・ピケがいる。

彼らと共に黄金のカデッテチーム形成。

※写真:向かって右下・メッシ、右上・セスク、左上・ピケ(バスケスはメッシの隣り)

カデッテカテゴリーに上がり、メッシーが本格的にグループに入ってくると同時に、“ビクトルとメッシーあり!”と話題になるチームとなる。

セスクがいかにチームの引っ張り役となろうと、ジェラール・ピケがセントラルとしていかに奮闘しようと、あくまで主役はビクトルとメッシーの二人だった。

ビクトルはスキルと得点能力では群を抜いていた

彼はカンテラでラ・プルガと共に最も将来を嘱望された選手として語られていた。しかし、育成年代で彼が残したインパクトはエリートのサッカーに辿り着くことはなかった。
「当時、周囲はメッシのことよりも私のことを話していた。」現在、彼はそのように認めている。

ビクトルはスキルと得点能力では群を抜いていた。レオと一緒に恐るべきコンビを形成していた。グアルディオラはこのメディアプンタの才能を知っており、彼にトップチームでいくつかのチャンスを与えたが、一度も地位を確立することはできなかった。

ドデカイ壁にぶつかることになる…

フベニルAからバルサCへと上がっていく彼だが、かつての“天才ビクトル・バスケス”と呼ばれた面影はなく、ごく普通の選手と化していくようだった。

しかも、プレーするカテゴリーは三部リーグ、厳しい肉弾戦が展開されるこのカテゴリーの試合で、彼はもがきながらアップアップ状態でプレーしているかのようだった。

2011年5月10日、ベルギーのクラブ・ブルッヘに3年契約で移籍した。

1998年、9歳のときにFCバルセロナの下部組織(アレビンA)に入団し、2006年にはFCバルセロナBに昇格。トップ下のポジションで1トップのボージャン・クルキッチとのホットラインを形成したが、チームは不振に陥りテルセーラ・ディビシオン(4部)に降格した。

ジョゼップ・グアルディオラ監督が就任した2007-08シーズンは9得点12アシストを記録し、プレーオフを勝ちぬいてセグンダ・ディビシオンB(3部)昇格を果たした。2008年4月12日、アウェイで行われたレクレアティーボ・ウェルバ戦でサンティアゴ・エスケーロと代わってピッチに入り、トップチームデビューを果たした。

【ユナイテッド✖️ブリュージュ】 ブリュージュで7番をつけて出場しているビクトル・バスケスはバルサ・カンテーラ出身。 ビラノーバなども指導に絡み、メッシ、セスク、ピケを擁し「華の87年組」と言われた世代の中でも特別な光を放っていたと言われています。 スルーパスは天才的です。

No.2 “スキャンダラスなカピタン” フラン・メリダ

名  前:フランシスコ・メリダ・ペレス
国  籍:スペイン
生年月日:1990年3月4日(26歳)
身  長:175cm
体  重:73kg
ポ ジ ション:MF
所  属:CAオサスナ
経  歴:FCバルセロナ
     アーセナルFC
     レアル・ソシエダ(loan)
     アトレティコ・マドリード
     SCブラガ(loan)
     エルクレスCF
     アトレチコ・パラナエンセ
     SDウエスカ
     CAオサスナ
代表経歴:U-17スペイン代表
     U-19スペイン代表
     U-20スペイン代表
     U-21スペイン代表

まさにオールランドプレーヤー

攻撃的であろうが守備的であろうが‘4番”としてのピボッテをやらせば最高だし、左インテリオールをやらせても完璧、さらにボールを奪ったり攻撃の軸となったりセンターリングセンスやゴールセンスも抜群という、まさにオールランドプレーヤーなのがフランだ。

■バルセロナでの軌跡

1999 - 00:ベンハミンA
2000 - 01:アレビンB
2001 - 02:アレビンA
2002 - 03:インファンティルB
2003 - 04:インファンティルA
2004 - 05:カデッテB

8歳の時に地元のFCバルセロナの下部組織に入団

カタルーニャ州・バルセロナに生まれ、8歳の時に地元のFCバルセロナの下部組織に入団した。

生涯カピタンの星のもとに生まれた少年

そして彼らにとってチームのカピタンは常にフランなのだ。アレビンカテゴリーから毎シーズンにわたってカピタンマークを付けているフランはカデッテBカテゴリーでプレーすることになった今シーズンもやはりカピタンとして選ばれている。グランド内でのオールランドプレーヤーとしてだけの評価だけではなく、彼の人一倍強いキャラクターがカピタンとして選ばれる最大の要因となっているのだろう。

14歳とは思えないほど落ち着いていて、しかもとても大人っぽい雰囲気を漂わせるフラン。

2005年9月にクラブを離れ、代理人のホセバ・ディアスによってクラブの目の届かない場所に移され、FCバルセロナにまったく補償なしにイングランドに旅立つ可能性があるとの推測を呼んだ。

フランはクラブ側にボージャンやヤゴと同じような待遇、つまり簡単に言えば、同じような年俸を要求したという。このカテゴリーでは“絶対”の選手であったボージャンとヤゴであるから、彼らには他の選手とは比べようもならない待遇がされていたらしい。同じようなものを望んだフラン・メリダだが、クラブ側はなかなか首をたてに振らない。

そうこうしているうちに、彼はクラブはもとより、バルセロナの街からも消えてしまう…

それから4か月たち、セスクの代理人にしてフランの代理人でもあるホセバ・ディアスが、彼の居所を明らかにする。彼の親戚の家だかフランの親戚の家だか忘れたが、ビトリアというバスク地方の町にいることが判明。

その町にあるアリスナバーラという小さいクラブで、毎日のように練習しているとも伝えられた。

16歳の誕生日を迎えたフラン・メリダはロンドンに向かう。アーセナルからのオファーを受け、入団契約をするためだ。

とりあえず二部カテゴリーの一員となった彼だが、しばらくしてアーセナルとのプロ契約を結んだ。契約期間は4年間だった。

17歳の誕生日にアーセナルFCと正式な契約を結んだ

2007年3月4日、17歳の誕生日にアーセナルFCと正式な契約を結んだ。

2006年8月、ボレアム・ウッドFCとのプレシーズンマッチでトップチームデビューし、その試合で得点を挙げている。公式戦のデビュー戦は、2007年9月25日に行われたカーリングカップ3回戦のニューカッスル戦(2-0)であり、メリダはこの試合の91分に途中出場している。同大会4回戦のシェフィールド・ユナイテッドFC戦(3-0)、準々決勝のブラックバーン戦(3-2)にも途中出場した。

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