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勝田清孝連続殺人事件【22人の殺害を自供した大量殺人者】

空き巣や窃盗は300件とも400件とも言われ、逮捕された後に22件の殺人を自供。このうち立件されたものは8件で、14件は自供のみで確証がないということで立件はされなかったが、日本ではまれに見るような大量殺人者。

更新日: 2014年07月24日

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win-winさん

勝田清孝事件

勝田清孝事件(かつたきよたかじけん)とは1972年から1983年にわたって行われた凶悪犯罪事件。

勝田清孝(かつた きよたか、1948年8月29日 - 2000年11月30日)は1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪極まりない犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官を交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。
殺人の人数については22件について疑われ、本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、確定しているのは8人のみである。なお、勝田の犯行とされているものの多くは初め別件だと思われていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E7%94%B0%E6%B8%85%E5%AD%9D

かつたきよたか
京都府生まれ
1948年08月29日-2000年11月30日
1964(S39)/04 京都府立木津高校農業科
1965/11/18 バイクひったくり.木津署逮捕.
1965/12/24 大阪府の和泉少年院送致.高校退学処分
1966/07/07 和泉少年院仮退院
父勤務自動車部品会社へ就職
友人紹介で鉄工所勤務

勝田清孝について

かつたきよたか
京都府生まれ
1948年08月29日-2000年11月30日
1964(S39)/04 京都府立木津高校農業科
1965/11/18 バイクひったくり.木津署逮捕.
1965/12/24 大阪府の和泉少年院送致.高校退学処分
1966/07/07 和泉少年院仮退院
父勤務自動車部品会社へ就職
友人紹介で鉄工所勤務
1968/09 友人紹介女性と同棲開始(大阪市生野区アパート)
1970/02 奈良市の運送会社に転職、長距離トラック運転手(友人紹介).
1970/03/23 結婚
1971/07 長男誕生
1972(S47)/01 奈良市加茂町で第一勧業銀行の女子行員(19歳)暴行殺害事件. 警察は「少年院帰り」の勝田を疑い、勝田が勤める運送会社へ寝堀り葉堀り聞き込み.居づらくなる...友人アリバイ証言
1972/3/31(23歳) 相楽中消防組合発足.父の紹介で消防職員に
元消防士
立件殺人8件(うち女性五名)

http://210.230.1.141/index.php?%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%82%AA%E5%85%9A%E5%88%97%E4%BC%9D%2F%E5%8B%9D%E7%94%B0%E6%B8%85%E5%AD%9D

生い立ち

勝田清孝は京都府相楽郡木津町(現・木津川市)に農家の長男として生まれる。高校在学中にひったくりで逮捕、大阪府の和泉少年院に送致される。退院後、職を転々とする。隣町の1歳下の女性と付き合い結婚を考えるが、「少年院帰りとは一緒にはできない」と女性の両親に断られ、勝田の両親も「家の格が違う」と反対。このため2人は大阪へ駆け落ち。奈良の運送会社で働き始めた後に、両家の承諾を得て結婚、子供が生まれる。

前歴を隠して23歳で消防職員採用試験に合格(すぐに職場で判明するが、それにより免職されることはなかった)。真面目な仕事ぶりで評価が高かったが、愛人や車などで金遣いが荒く、借金の穴埋めのために長距離輸送のアルバイトを始め、空き巣を始める。また、その前頃の時期に近隣の銀行で女子行員暴行殺害事件が起こるが、警察が勝田に疑惑の目を向け、そのために勝田は警察への不信と、うまくいかない人生への不満を募らせていた。水商売の女性のバッグには大金が入っていることが多いのに気付いた勝田は、クラブのホステスを狙いひったくりを繰り返すようになる。女性が騒ぐと容赦なく殺した。勝田が殺した5人の女性には、いずれも複雑な人間関係があり、それが発覚したために離婚や失職をした者もいる。大金を盗まれた形跡がないことから警察は怨恨や痴情のもつれが原因ではないかとの見方から顔見知りの犯行と判断し捜査を進めていたことから被害は拡大した。その裏で、勝田の借金はさらに膨らんでいった。

1974年、消防副士長となったのを機に、父親に賭博で負けたと嘘をつき200万円の借金を肩代わりしてもらって借金清算するも、車と酒と愛人の誘惑に勝てず、再び借金が増えていく。表彰20回、全国競技大会に2年連続入賞という実力で消防士長に昇格した頃には、昼間は真面目な消防隊員、夜は強盗殺人犯に変貌していた。

全国競技大会出場のころ、ぷっつり殺人も空き巣もやめていたのは、本職の消防士として責任ある地位についていたこと、また愛人の存在を知った妻が自殺未遂を起こし、愛人や車に貢ぐ金の工面どころではなかったからと後日、自供している。長距離輸送のアルバイトや空き巣や殺人を繰り返し、10年に及ぶ約300件の窃盗・強盗殺人の後、ようやく逮捕された。詳細な自供により、犯行の数々が明らかになった。

1972年から1980年までに7人を殺害した件と、1982年に警察官から奪った銃で警察庁広域重要指定113号事件を起こした件で2つの死刑判決を受けた。獄中で視力障害者のための点字翻訳ボランティアをしていた。なお名字を「藤原」に改名していた。2000年11月30日午前11時38分に死刑が執行されたが、自らの遺骨や所有物を全て燃やして欲しい旨の遺言を遺した。
1977年7月6日には殺人事件から6日後に「夫婦でドンピシャ!」というクイズ番組に出て優勝したというエピソードも残る(放映日は8月20日)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E7%94%B0%E6%B8%85%E5%AD%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

犠牲者

中村博子 24歳
藤代玲子 35歳
伊藤照子 32歳
増田安紀子 28歳
識名ヨシ子33歳

1972年9月13日

昭和47年9月13日、京都府山科区で空き巣に入ったが、その部屋に住んでいる女性(ホステス)(24)がちょうど帰宅してきて、見つかってしまった。開き直った勝田は「金を出せ!」と脅した。恐怖した女性は「お金はありません。私の身体でよければあげますから・・。」
と答えたので、すぐに犯した。

終わった後、顔を見られていることと、自分が逃げようとした時に大声を出したので、パンストで首を絞めて殺した。
逃げる時、財布から千円を奪った。この時、勝田は24歳。

金に困っている勝田は、この頃から消防士の仕事が休みの時には長距離トラックのアルバイトをするようになった。そしてこれを利用して荷物を運んだ先の地域でも空き巣を働くようになった。

中村博子(24歳)

被害品:現金1000円

1975年7月6日

3年後の昭和50年7月6日、大阪府吹田市で、空き巣に入れそうな家を探している時、クラブ経営者の女性(35)が、たまたま勝田の近くに車を停めて降りてきた。

ハンドバッグを持っていたので、これをひったくろうとして手をかけたが失敗する。その後、この女性と揉(も)み合いになったので、ロープで首を絞めて殺した。

遺体はこの女性の車に乗せて農業用の池に捨て、車の方は火をつけて燃やした。現金約10万円を奪った。

藤代玲子(35歳)

被害品:現金約10万円

1976年 3月5日

翌年の昭和51年3月5日、勝田が名古屋市中区を車で走っていた時、若い女性(ホステス 27)が運転する外車を見つけ、これをターゲットに決める。

そのまま車で後をつけ、女性が自宅らしき所へ車を停めて降りてきた所へ駆けよってハンドバッグをひったくろうとしたが、またしても失敗する。

騒がれたので絞殺した。遺体をその女性の車に乗せて自分で運転し、遺体は田んぼに捨てた。遺体のむき出しの下半身にすすきの穂を差し込んで立ち去った。この時には現金約12万円を奪っている。

この車も15kmほど離れた所に放置して逃げた。

伊藤照子(32歳)

被害品:現金約12万円

1977年 6月30日

さらに翌年の昭和52年6月30日、名古屋市南区で空き巣に入れる家を探していたところ、たまたま一人の女性(マージャン店のパート従業員 28)が、外出しようとしているところを発見した。

女性が鍵をかけずに、ドアから立ち去ったのを見た勝田はすぐにこの家に忍び込み、家具の中から4万円を見つけた。逃げようとしたところ、この女性が帰って来てしまい、バッタリと出くわした。女性が大声を上げたために、家の中に引っ張り込み、家の中にあったヒモ状のもので首を絞めて殺した。

増田安紀子(28歳)

被害品:現金4万円

1977年 8月12日

その2ヵ月後の8月12日、名古屋市昭和区で、勝田は次のターゲットにしようと思っていたマンションの下見に訪れた。3階の通路をうろついていると、すぐ前のドアが開き、一人の女性(美容師の女性 33)が顔を出した。

「あんた誰?何してんの?」

不審がられてヤバイと感じた勝田はこの女性に襲いかかり、部屋の中へと押し入って、パンストで女性の首を絞めて殺した。遺体はベッドと壁の隙間に隠し、45万円相当のダイヤの指輪を奪って逃走した。

識名ヨシ子(33歳)

被害品:45万円相当のダイヤの指輪

1977年12月13日

12月13日午後5時過ぎ、29歳のとき、神戸市中央区のビルの北側通路で兵庫労働金庫神戸東支店職員の井上裕正(25歳)めがけて散弾銃を発射。左肩から肺にかけて散弾30数発が入り、井上は2日後に出血多量で死亡した。このとき、現金約410万円が入ったカバンを奪っている。猟銃は11月20日、奈良県天理市の銃砲店の前に駐車している車から盗んだものだった。このときの犯行に使ったトラックは12月9日、名古屋市内の青果会社の駐車場から盗んだものだった。

12月30日、次男が誕生した。

1980年(昭和55年)2月15日、31歳のとき、名古屋市瑞穂区で、瀬戸信金瑞穂通支店職員(当時43歳)を散弾銃で脅して、小切手3通、収入印紙21枚、額面総計26万6100円が入った鞄などを奪った。

井上裕正(25歳)

被害品:現金約410万円

1980年 7月31日

7月31日午前0時過ぎ、31歳のとき、名古屋市名東区のスーパー「中部松坂屋ストア」(現・松坂屋ストア)の駐車場で帰宅しようと車の運転席にいた夜間店長の本間一郎(35歳)に散弾銃を突きつけ、「静かにして言うことを聞けば何もしない」などと脅迫。本間を事務所に連行し、金庫を開けさせ、総額576万円余りの現金と商品券を奪った。その後、本間に盗難車のカローラを運転させ、中区にある車庫に止めたところで、本間が銃を奪おうとするなど抵抗したため、散弾銃を胸にめがけて一発発射、出血多量で死亡させた。散弾は前年の12月8日に名古屋市内の車のトランクから、散弾銃は12月29日に名古屋市内の猟銃愛好家の自宅から盗んだものだった。

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