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【デヴィ夫人】米国の傷害事件に焦点をあててみる【まとめ】

デヴィ夫人、日本でマルチタレントとして活躍し始める以前におきた事件

更新日: 2017年06月06日

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この記事は私がまとめました

filoboxさん

デヴィ夫人が米国でおこした傷害事件とはどんな事件だったのか。
海外の新聞報道に焦点をあわせ、まとめました・

デヴィ夫人がアメリカで起こした傷害事件とは?

「上流社会の女神のためのヒックスビル真昼の決闘」(Daily Express )

満面の笑みのデヴィ夫人とミニー。
白黒写真は怪我をしたミニーの顔。





※真昼の決闘(HighNoon)のもじり

事件の概要

1992年1月、アメリカ、コロラド州で、フィリピン大統領の孫娘、ミニー・オスメニャ(Minnie Osmena)の顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う怪我を負わせて傷害罪で逮捕される。

禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て、34日間収監される (Wikipediaより)

旧アスペンクラブロッジ(現スカイホテル)
1泊約8万円~

巨大な丸太の梁が美しいロビーと窓から見えるアスペンの壮観な眺めで有名。


夫人はここで逮捕された

ホテルジェローム

いかにもデヴィ夫人がいそうな豪華さ。

1泊約8万円~

どちらも高級ホテルですね。

コロラド州アスペンは、世界をジェット機で飛び回る「ジェット族」(セレブ)が集まる、超高級リゾート地として有名です。

事件のおきたパーティと、現場に居合わせたセレブたち

事件は「オーストリア系貴族ハーナウ伯」が、ホテルで催したパーティでおきました。

ハーナウは、「欧州貴族」の名家。
http://de.wikipedia.org/wiki/Hanau_%28Adelsgeschlecht%29

プリンス・ハインリヒ・ハーナウ・シェーンベルク(98年没)が主催しました。


事件に居合わせた人たちも、女優や大富豪などセレブたちでした。

その有名人たちが、証人として、裁判に召喚される可能性があったため、
当時、アメリカでも話題になりました。

デイヴィット・コーク
世界の富豪トップ20人に入る資産家

(コーク(Koch)兄弟についての考察)
http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=763

イヴァナ・トランプ
大富豪ドナルド・トランプの元妻

【バーブラ・ストライザント】/女優
   アカデミー賞を二度受賞。

【エル・マクファーソン】/女優
    億万長者のアーパッド・ブッソンとの間に子供がいる。

【コーネリア・ゲスト】/アメリカ社交界で著明な一族の女性
   彼女の社交界デビューは新聞で特集された。

【ジョージ・ハミルトン 】/俳優、映画プロデューサー


ここにデヴィ夫人とミニーは招かれました。
2人は「裕福なアジア系の美人」として、欧米社交界ではそれなりに名前が通った存在だったのです。

なぜ喧嘩はおきたのか

「彼女はたくさんの人であふれた部屋を横切って私に近づいてきた。そして勢いよくシャンパングラスで私の顔をわざと殴ったの」

Manila Standard紙 92年1月9日 http://p.tl/T1Re

額、瞼、左頬を37針縫う怪我をしたミニー
http://p.tl/wnoJ

ミニーとデヴィ夫人は15年以上前からの知人。
夫人がフランスに滞在していた頃には、すでに知り合いだったようです。

2人は、どちらもパークアベニューにある、同じ建物に部屋をもっていました。
事件のあったパーティの時点では、どうやら、お互いを嫌い合っていたと見られています。

デヴィ夫人は喧嘩の原因として、「ミニーが自分を娼婦(Whore)呼ばわりしたため」と主張しています。

怪我をさせたのもわざとではなく、「中身をミニーに浴びせようとして、グラスがミニーの顔にあたってしまった」と、あくまで事故としました。

動機は、数ヶ月前スペインのイビサ島でのパーティに於いて、
ミニーが「フィリピン副大統領になる意志がある」と発表し、
デヴィ夫人が吹き出したことから2人の関係が悪化したため。

このやりとりは事件の半年前。
夏の避暑地での出来事でした。

二人の仲が悪化した切っ掛け、ということですが理由が面白いですね

フランス時代のデヴィ夫人(アメリカ移住前)

デヴィ夫人はスカルノ大統領失脚後、インドネシアから脱出し、パリに移住しました。
その後、ロンドン、ローマを経て、91年にアメリカに移りました。

フランス滞在時は、夫のスカルノ大統領が存命中にもかかわらず、別の男性と婚約発表するなど複数の男性と浮名を流したことから、貴族のパトロンの庇護をうけていると見なされることもあったようです。

フランスでは、あのマレーネ・ディートリッヒもかつて住んだ、高級アパルトマンに住居をかまえた。

「仏大統領ジョルジュ・ポンピドゥ」、
「マリー・エレーヌ・ロスチャイルド」、
「プリンセス·ド·ポリニャック」など

多くの著名人らと交遊し、「社交界の華」と美貌を讃えられた。





納得の美しさ。

デヴィ夫人逮捕される

デヴィ夫人は事件直後に通報され、「第2級暴行罪」でパーティ会場で、拘束されてしまいます。

連行される夫人は「セーブルのコートをまとい、宝石がクリスマスツリーのように煌めいていた」、
そして「なぜこんなに騒ぐのかわからない、と不思議そうにパーティに戻りたがっていた」と報道されました。
http://www.dougiethompson.com/high-noon-goddess-of-glitterati.htm

裕福なアジア人同士の社交上でのトラブルだったこと、
デヴィ夫人のスカルノ大統領夫人という立場、
仏での華やかなゴシップ、
また殴ったのがシャンパングラスだった…、

という、社交界ならではの状況が興味をよび、
丸1年にわたって、アメリカの複数のメディアで報道されました。

しかし夫人は、この事件で逮捕拘束されるとは、おもっていなかったようですね。

ミランダ条項を警官に読み上げられた時も、「なぜ彼らはミランダという人の話をしているんだろう?」と不思議に思っていたそうです。

また「他所の国なら大したことじゃない。警官に話せば解決することだ」と
いうようなことを、後にインタビューで答えています。

判決の行方

92年1月2日にホテルで拘束されたデヴィ夫人ですが、翌日、保釈金を払い、
警察から釈放されます。

裁判で無罪を訴えましたが、後に司法取引を受け入れて、「第二級暴行罪」で有罪となりました。
そして、禁錮60日間と罰金750ドル、、100時間の社会奉仕作業を言い渡されます。

93年1月から約5週間、コロラド州のピトキン郡刑務所で、刑期をつとめたのち釈放されました。

「世界で最も美しい刑務所」と夫人は呼び、
そこでの刑務所暮らしを、
「カントリークラブみたいなものだった」と語った

ピトキン刑務所の独房

高額な弁護料と事件後のデヴィ夫人

93年1月、アメリカの刑務所に収監されたデヴィ夫人は、一ヶ月と少しの刑期を終えて出てきたのち、意外な行動にでました。

今度は、「弁護士の報酬(約9千万円)が高すぎる」と、夫人を弁護した、弁護士に対して
訴訟をおこしたのです。

The Day - http://p.tl/_pGg
Toledo Blade - http://p.tl/9I4i

結果の報道はありません。
おそらく示談になったのでしょう。


さらにその後のデヴィ夫人ですが、5年後の97年、またもNYのハロウィーンパーティーで、
女性の髪を掴み、顔を殴ったとして報道されます。

Rome News-Tribune - http://p.tl/9lF7

時期を前後して、デヴィ夫人は、拠点をNYから、故郷の日本に移しました。

そうして徐々に日本のバラエティで活躍し始め、今度はマルチタレントとして日本を騒がせるようになっていったのです。 (了)

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