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大地震後の津波の被害を受けない神社仏閣の秘密

過去の津波を伴う大震災(大地震)や、2011年の東日本大震災での津波の被害を受けなかった神社仏閣が多数存在する事は有名ですが、神社仏閣の立地条件が教えてくれる先人たちからのメッセージとは?様々な情報を基に、津波の被害を受けない神社仏閣の秘密をまとめてみようと思います。

更新日: 2014年04月04日

shinseinetさん

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南海トラフ津波ー「神社」に逃げる!

今回出した『地名に隠された「南海津波」』(講談社プラスアルファ新書)では、津波から逃げる場所として「街道」と「神社」をあげました。「街道」については前回述べたので、今回は「神社」について述べてみましょう。

直接的なきっかけは昨年11月に出された『神社は警告する』(講談社)という本でした。3名の著者はテレビ番組に携わるジャーナリストで、東日本大地震を追って行く中で、「神社の前で津波が止まったのではないか?」ということに気づき、それを丹念に調べていったものです。

確かに神社の前で津波は止まっているように見えます。その裏をいうと、平地につくられた神社は津波で流されるごとに高台に移っていったということですが、これも1000年以上もの長い歴史を伝えている神様のなせる技とも言えましょう。

日本武尊の拠点となった熱田神宮は、言うまでもなく高台に鎮座しています。どんな津波が来ようと、熱田神宮は安全です。そのことを古代の人々は知っていたのです。

津波を伴う大きな地震が起きる地域では、大昔に建てられた神社が、津波の被害を受けずに存在している事が多い。

・歴史の浅い神社は・・・津波の被害を受けている場合も

・歴史のある神社は・・・見事な程に津波到達地点ギリギリのところで被害を受けずに存在し続けてる場合が多い。

比較的歴史の若い神社は、津波到達地点よりも下に移り住んだ住人たちが高さを津波浸水レベルよりも上に建てた?

先人たちが経験した過去の大津波を警告する位置に神社を建てた?

浪分神社には、過去に東北地方太平洋側で発生した地震に伴う大津波を伝える伝承が残されている。
現在の鎮座地は、慶長16年(1611年)の慶長三陸地震に伴い発生した大津波のときに当地を襲った津波が二つに分かれ、その後、水が引いた場所だと伝わる。
神社が創建された後、あるとき東北地方で大津波があり、何度も大波が押し寄せ、当地でも多くの溺死者が発生したと伝わる。
これらの津波に関する伝承は、稲荷神社を「津波除け」の神社としての神徳を高めることにつながり、「浪分大明神」という名で呼ばれるようになった。

津波が到達したとされる石碑のある石段
しかし、いや・・
やはり、神社はその石碑よりも上に建てられている。

村の神社 なぜ流されなかったのか?

なぜ、村の神社は流されなかったのでしょうか。理由は二つあると思います。

理由の一つ目は、神社の場所が津波の届くぎりぎりの標高にあったことです。標高線と神社の位置を重ねてみると、南相馬市原町区では標高10メートル、相馬市では標高5メートル近くに神社が立地していることがわかりました。また、そのような規則的な配置は古い神社に多く見られて、明治以降に新築・移転されたような新しい神社には見られませんでした。結果として、新しい神社には流されたものが多かったのです。

理由の二つ目は、鎮守の杜が津波の勢いを弱めていたことです。神社の周囲の樹木には、津波によって折れてしまったものが多く見られます。しかし、杜の陸側では、家屋などに大きな被害はありません。津波が杜の樹木にぶつかり、渦巻くことで、その勢いを弱める効果があったのです。

神社で止まる津波

神社の前にがれきの山ができている。

番組のきっかけは、熊谷君が福島県沿岸部82の神社を回って調べたことだった。(21日の日記)

番組では、熊谷君の案内で、南相馬市の八龍神社を訪れた。

小高い丘にある神社の土手の10メートルほどの高さまで津波が押し寄せ、水は階段を上がり社殿の土台すれすれまで達したあとがある。だが、不思議にも、社殿はまったく無事な姿で残っていた。

次にその近くの被災地を歩く。立ち並んでいたはずの家々は無残に流され、わずかに土台しか残っていない。その中に、照崎神社の杜と社殿が見える。ここも境内ぎりぎりまで水が来た跡があるが社殿には及んでいない。また、神社から100メートルほどの家々には津波が到達していない。つまり、津波でやられた集落と無事だった集落の境目に建っていたのだ。

番組で取り上げたのは、この2社のほか、相馬市の津(つのみつ)神社、陸前高田市の諏訪神社、仙台市の浪分神社、宮城郡の鼻節神社だ。

400年前に起きた「慶長の大津波」の教訓を「神社」という形で後世に伝えてくれていた先人の知恵がすごい!

いくつかの例がある。2008年、岩手県釜石湾の入り口に

1200億円以上の総事業費と約30年の歳月を費やして湾口防波堤が

完成し、最大水深63メートルはギネス記録にも認定された。

しかし今回の津波でその大部分は水没し、施設も大金も、

藻屑と消えてしまった。

 また、同県宮古市田老地区にある巨大防波堤は高さ10メートル、

全長2.4キロにも及び「田老の万里の長城」と言われてきた。

1933年の昭和三陸津波直後から建設された。

当時の地震学の権威から反対があったにもかかわらず、

時の村長が翌年より着工し、45年の歳月を掛けて完成させた。

しかし、今回の津波は楽々と越え、堤防の内側は完全な荒野と化した。

こうした人口の脆弱さを感ずる一方、自然の頑強さも目の当たりにした。

三陸海岸に屹立する高さ50メートルの「三王岩」には高さ約20メートル以上の

津波が襲ったにもかかわらず、以前の勇姿のまま。

宮古港の出口には、高さ40メートルで逆三角形の「蝋燭岩」があるが、

これも無事であった。これら頑強な自然に比べ、

人工物はいかに大金と時間を費やしても、日本列島に定住する国民を

守ることができないということが明らかにされた。

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