なぜ、村の神社は流されなかったのでしょうか。理由は二つあると思います。

理由の一つ目は、神社の場所が津波の届くぎりぎりの標高にあったことです。標高線と神社の位置を重ねてみると、南相馬市原町区では標高10メートル、相馬市では標高5メートル近くに神社が立地していることがわかりました。また、そのような規則的な配置は古い神社に多く見られて、明治以降に新築・移転されたような新しい神社には見られませんでした。結果として、新しい神社には流されたものが多かったのです。

理由の二つ目は、鎮守の杜が津波の勢いを弱めていたことです。神社の周囲の樹木には、津波によって折れてしまったものが多く見られます。しかし、杜の陸側では、家屋などに大きな被害はありません。津波が杜の樹木にぶつかり、渦巻くことで、その勢いを弱める効果があったのです。

出典村の神社 なぜ流されなかったのか?― 復興へ新たな伝承の場 熊谷航氏 - 論・談:中外日報

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大地震後の津波の被害を受けない神社仏閣の秘密

過去の津波を伴う大震災(大地震)や、2011年の東日本大震災での津波の被害を受けなかった神社仏閣が多数存在する事は有名ですが、神社仏閣の立地条件が教えてくれる先人たちからのメッセージとは?様々な情報を基に、津波の被害を受けない神社仏閣の秘密をまとめてみようと思います。

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