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【愛さずにいられない】黄金旅程~ステイゴールド

愛さずにいられない。決して"強い"馬ではなかったものの、JRAのキャッチコピーそのままに現役から引退後のい案にかけても多くの競馬ファンに愛される競走馬。

更新日: 2016年07月02日

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gongoさん

血統

父に初年度産駒からG1馬を輩出し、13年連続でリーディングサイアーとなるサンデーサイレンス。
母系もG1馬サッカーボーイを叔父に持つという良血馬だった。

1994年3月24日生 牡 黒鹿毛
父:サンデーサイレンス 母:ゴールデンサッシュ 母の父:デイクタス
馬 主:(有)社台レースホース 調教師:池江泰郎(栗東) 生産者:白老ファーム(白老)

主な勝ち鞍:阿寒湖特別

3歳(旧表記4歳)時の1997年に本競走(当時は900万円以下条件)で3勝目を挙げたステイゴールドは翌年の天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)とGI戦線で2着を続け注目をあびたが、以降中長距離で活躍しながらも勝ち星に恵まれず、2000年の目黒記念で優勝するまで26の重賞競走を「おもな勝ち鞍:阿寒湖特別」という看板を背負って走り続けたのである。

だいたい根幹距離の牡馬GⅠレースともなれば、重賞やオープンを勝っているのに、新聞やテレビを見ても「主な勝ち鞍:阿寒湖特別」というのはもはやネタ化されていました…

デビュー3戦目でコース外れ逸走、後の主戦・熊沢騎手は落馬

翌年2月の3戦目から、以後長く主戦騎手となる熊沢重文が手綱を取った。しかしこの競走では最終コーナーを曲がろうとせず、右回りのコースで左に旋回したため熊沢が落馬し競走を中止。

この落馬が気性難から来るものかどうかはともかく、ギャロップ発行の週間100名馬の写真も睨みが利いていてなかなかのものです。

種牡馬になってからの代表産駒オルフェーヴルの気性の荒さは言わずもがなですので、親父も相当なものを持っていたとお察しください。

"善戦マン"が定着。誰を相手にしても惜しい

この期間、実に21戦。約35日に1回走る計算。
これだけ走れば勝てそうなものの。

GⅠ:10戦(2着4回、3着2回) 
GⅡ:8戦(3着4回)
GⅢ:1戦(2着1回)
条件・OP:2戦(2着2回)

か、勝てない…

主戦乗り替わり…武豊でGⅡ目黒記念制覇

心を鬼にして、すべてをユタカ君に任そうと思いました

出典『優駿』2000年7月号、p.66

GⅠはおろかGⅡでも惜敗続きの主戦に対し業を煮やした池江調教師の苦渋の決断。

ステイゴールドが1位入線を果たすと場内はGⅡではほとんど起こらない拍手に場内が包まれました。
しかし初重賞勝利のステイゴールドの手綱を引いたのは、3戦目行こうずっと乗っていた熊沢騎手ではなく、武豊騎手でした。

まさか!?初の海外遠征で前年世界王者を下す!

今回も2着ならあるんじゃない?
みたいな空気はありましたが、まさかこんなにも力強い勝利をしてしまうとは思いもよりませんでした。

“善戦マン”という固定概念からか、彼の好走は想像できても勝利までは思いもよらなかった人がほとんどだろう

シルバーコレクター(異常なほど2着が多い)と呼ばれながらも結構ファンが多い。しかし今回の快挙を予想していた人はあまりいないだろう。

最大の失敗。覇王相手に1位入線するも進路妨害降着。

ドバイでの勝利後、さぞや大活躍するかと思いきや、宝塚記念では安心の4着。

秋初戦となった京都記念では1位入線もゴール前にナリタトップロードの進路を妨害し、その鞍上の渡邊騎手が落馬してしまいます。
当然ステイゴールドは失格。ナリタトップロードは天皇賞を見送り。
後味の悪いレースとなりました。

ラストラン~香港ヴァーズで初GⅠ制覇!

ファンの目頭を熱くさせたラストラン。
この年を最後に競争生活を引退したステイゴールドはこの勝利と国内でのこれまでの活躍が評価されJRA賞特別賞が授与されました。

まさに絵に描いたような大団円(武豊)

出典『ステイゴールド永遠の黄金』p.42

「映画でもドラマでも、二度とは見られないようなシーン」(池江泰郎)

出典『ステイゴールド永遠の黄金』p.46

ここまでドラマチックな幕切れはそうそうあるものではない

出典『優駿』2002年2月号、p.29

種牡馬としても注目される

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