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【サッカー・フットボール】異名を持つ有名サッカー選手をまとまてみました!!

サッカーの王様と言えば「ペレ」ですね。皇帝と言えば「ベッケンバウアー」。将軍と言えば「プラティニ」。そんな異名を持つ有名サッカー選手を紹介します。日本では『キング』と言えば・・・「KAZU(三浦知良)」ですね♪

更新日: 2019年06月14日

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我らが日本。1998年のフランス大会までFIFAワールドカップには縁がなかったが、初出場を決めてからは6大会連続で出場を果たしている。最高位はベスト16であり、まだベスト8の壁を打ち破っていない。近代になってアジアサッカーの最高峰に君臨するような劇的な成長を遂げた。

[国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場)]

日本でサッカーの聖地といえば、国立霞ヶ丘陸上競技場であった。毎年1月1日に天皇杯全日本サッカー選手権の決勝が開催され、高校サッカーの最高峰である全国高等学校サッカー選手権大会では開幕戦と準決勝、決勝の舞台となっていた。またクラブチーム世界一を決めるトヨタカップで数々の名勝負を生み出すなど、日本が世界に誇るサッカーの聖地として長きにわたって存在した。

[静岡県]

世界レベルでサッカー王国と言えばブラジル。最近は不調であるが、かつて国内レベルでサッカー王国と言えば「静岡」を指していた。当時の静岡の場合、高校サッカーの全国大会で1勝するより県予選を勝ち抜くほうが難しいと言われ、全国制覇した学校を何校も出し、さらには多くのJリーガーを輩出して、その中から多くの日本代表を送り出した実績が「王国」の称号を得てきた。

[サッカー日本代表チーム]

公益財団法人日本サッカー協会 (JFA) によって編成される日本のサッカー国家代表チーム。FIFAワールドカップには5回出場しており、最高成績は2002年大会と2010年大会のベスト16。AFCアジアカップでは最多となる4回の優勝を記録している。マスメディアでは横山謙三が代表監督となった際に「横山ジャパン」という呼称が使われるようになり、以降「監督名+ジャパン」という呼称が用いられ広く浸透している。フィリップ・トルシエの代表監督時代は「トルシエ・ニッポン」という呼称も使用されていた。

[女子サッカー日本代表チーム]

日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカーの日本代表チーム(年齢制限のないベストメンバーによる代表)。FIFA女子ワールドカップには全7大会に、オリンピックには5大会中4回に出場している。2011年のFIFA女子ワールドカップではアジア勢の代表チームとして初優勝した。

[杉山隆一]

国籍:日本

現役時代は強烈な左足のシュート、クロスを武器とする俊足の左ウイングとして活躍。ただ、実は右利きである。晩年はトップ下としてプレーすることが多かった。日本代表では釜本邦茂との名コンビで知られた。

[宮本征勝]

国籍:日本

サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。サッカー日本代表として44試合に出場し、1968年のメキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得した。その強靱な体力と背番号から、当時の人気漫画のヒーローになぞらえて「エイトマン」のニックネームで呼ばれた。

[尾崎加寿夫]

国籍:日本

ポジションはフォワード。奥寺康彦や風間八宏らと共に1980年代に西ドイツでプレーした、現在の海外組と言われる選手達の草分け的存在。日本リーグ通算78試合出場、20得点。国際Aマッチ17試合出場、3得点。

[吉村大志郎]

ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。帰化前の氏名はネルソン吉村。愛称のネコとはボールタッチの柔らかさがネコがボールとじゃれ合う姿に似ていたことに由来している。1976年までの間に国際Aマッチ通算45試合出場7得点を記録した。その後、怪我の影響とコーチ就任の要請を受けたこともあり32歳で現役を引退した。日本リーグでの通算成績は189試合出場30得点54アシスト。

[奥寺康彦]

国籍:日本

70年代当時、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガで活躍した初めての日本人選手。3つのクラブを渡り歩き計9年間プレーを続けレギュラーとして実績を残した。その正確無比の安定したプレースタイルで地元ドイツのファンから「東洋のコンピューター」というニックネームで呼ばれ、賞賛された。

[木村和司]

国籍:日本

ポジションはMF(攻撃的MF)またはFW(ウイング)。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。国際Aマッチ6試合連続ゴールという日本代表連続得点記録を持つ(2011年時点)。現役時代はフリーキックの名手としても知られた。

[森保一]

国籍:日本

1990年代のサンフレッチェ広島におけるバンディエラの一人。愛称は「ポイチ」。守備的ミッドフィルダーとして中盤の底で守備を最優先し、相手ボールを奪い攻撃の芽を摘んだり、また攻撃をディレイさせることに長けていた。日本に「ボランチ」というサッカー用語が定着するきっかけとなった選手である。現在はサッカー日本A代表の監督を務めている。

出典www.net

[加茂周]

国籍:日本

異名と言うか、日本代表監督も務めた加茂周さんの戦術方法。90年台にイタリアのACミランで勃興した4-4-2による「ゾーンディフェンス」+「プレッシング」の戦術を取り入れた戦術を採用したことから「ゾーンプレス」と呼ばれ、広く知られることとなった。

[三浦知良]

国籍:日本

言わずと知れた日本サッカー界のレジェンド。日本代表ゴール数では歴代2位の55ゴールをあげている。93年には日本人として初めてAFC年間最優秀選手にも選ばれた。

[中山雅史]

国籍:日本

現役時のポジションはFW。日本プロサッカー選手会名誉会長。ゴン中山の愛称で知られる。ほかに、中山隊長、隊長の愛称がある。1996年から2009年までジュビロ磐田でチームキャプテンを務めた。日本代表としてフランスワールドカップ、日韓ワールドカップにも出場。Jリーグ(J1)最優秀選手賞1度受賞、得点王2回、ベストイレブン4度受賞した経験を持ち。2つのギネス世界記録とJリーグシーズン最多得点、Jでの通算最多ゴール、J1での最年長記録、W杯本大会日本代表初ゴールなどの個人記録なども持つ。

[井原正巳]

国籍:日本

90年代の日本代表のディフェンスは井原と共にあった。その高いディフェンス能力から「アジアの壁」の異名をとった。95年にはカズに続いて日本人2人目のAFC年間最優秀選手に選出された。

[柱谷哲二]

国籍:日本

ヴェルディ川崎、日本代表等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍した。出場時の多くはキャプテンとしての出場であり、後方からチームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた。おそらく同時期に活躍していた世界的プレイヤー、マテウス(ドイツ)からの由来。

[北澤豪]

国籍:日本

三浦知良やラモス瑠偉、武田修宏、柱谷哲二、ビスマルクらと共にヴェルディ黄金時代を支える主力選手であった。日本代表としては1991-1999の間に活躍。旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルであり、技術的にはトラップ、ボレーが非常にうまかった。

[高木琢也]

国籍:日本

184 cm・85 kg(本人談)という恵まれた体格を生かしたポストプレーやヘディングを武器に得点を重ねたセンターフォワード。国際Aマッチでは44試合に出場し、27得点 (1992-1997)をあげている。

[礒貝洋光]

国籍:日本

典型的な天才肌タイプの選手であり、クラシックなゲームメーカー。運動量が少なくプレーのムラも多かったが、非凡なるパスセンスを持ち、両足共に高い精度を誇っていた。しかしプロ入り後天皇杯で大怪我をしてプレイのクオリティを下げる結果になってしまった。 ガンバ大阪時代には攻撃的MFとしてプレーしていたが、高校や大学時代にはFWとして、また浦和レッドダイヤモンズ時代には展開力を買われてボランチでプレーした経験も持つ。

[大榎克己&長谷川健太&堀池巧]

国籍:日本

1980年代前半に、静岡県の高校サッカーを賑わせた静岡県立清水東高等学校のサッカー部で活躍した、大榎克己、長谷川健太、堀池巧の3人(いずれも1965年度生まれ)を、三羽烏になぞらえた呼び名。

出典i2.wp.com

[石塚啓次]

国籍:日本

184cmという恵まれた体躯ながらスピーディであり細かな技をもつテクニシャンタイプとして同年代の前園真聖や山口貴之といった選手達に劣らぬ才能を持ちながらも、各年代の代表に選出される事は少なく、1996年のアトランタ五輪代表候補に選出されたものの、代表招集された後の合宿に現れず二度と招集される事が無かったという異端なエピソードを持つ。

[松波正信]

国籍:日本

Jリーグ「ガンバ大阪」一筋でプレーし、"ミスター・ガンバ"の愛称で親しまれた。日本代表への招集歴はあるが、意外にも試合の出場はない。

[福田正博]

国籍:日本

ポジションは主にFWで、背番号は9番。Jリーグが開幕した1993年から引退する2002年まで浦和レッズの象徴的存在として活躍し、サポーターには「ミスター・レッズ」、「大将」と呼ばれた。柔らかいボールタッチとスピードに乗ったドリブル突破からのチャンスメイク。瞬間的なスピードを生かしてディフェンスラインの裏に飛び込み自ら得点を決めることができる。20代後半の福田のプレーは鹿島時代のジーコをして「日本最高のプレーヤー」と言わしめた。

[澤登正朗]

国籍:日本

現役時代のポジションはMF。Jリーグの初代新人王。1999年にはベストイレブン、日本年間最優秀選手賞に選ばれた。清水エスパルスの歴代通算最多得点記録の保持者であり、サポーターからは「ミスター・エスパルス」と呼ばれている。日本代表にも選ばれ、1993年のドーハの悲劇を経験したメンバーの一人。ファルカン監督時代には背番号10番を付けてプレーした。

[小倉隆史&中西永輔&中田一三]

国籍:日本

四日市中央工業高校時代の、小倉隆史、中西永輔、中田一三の3人を指す。

[小倉隆史]

国籍:日本

四日市中央工業高校のエースとして、第70回全国高校サッカー選手権大会優勝。その後、名古屋グランパスエイト入団。93年にオランダ2部リーグ・エクセルシオールにレンタル移籍し、チーム得点王の活躍。日本代表に選出される。アトランタ五輪予選ではエースとして五輪本戦出場に大きく貢献するも、右足後十字靭帯を断裂しリハビリの日々を送る。復帰後はジェフ市原、東京ヴェルディ1969、コンサドーレ札幌に移籍。2005年、ヴァンフォーレ甲府で現役生活に幕を下ろした。得意の左足での強烈なシュートから、サッカーライターの金子達仁が命名した「レフティーモンスター」と呼ばれた。

[岡野雅行]

国籍:日本

繊細なテクニックは無いが、長髪をなびかせながら俊足を活かした裏への飛び出しを生かし、活躍した。ジョホールバルの歓喜での決勝ゴールは彼の右足からだった。

[鈴木隆行]

国籍:日本

1995年に鹿島アントラーズに入団、その後ジーコの目にとまり、世界各地でプレーした。"ノーゴール師匠"や"鈴木師匠"と呼ばれるようになってしまったが、フィジカルの高さを生かしたポストプレー、前線での献身的なプレイ、そしてあの2002年W杯ベルギー戦で挙げたゴールもあり、彼を"師匠"と呼ぶ際は賛辞・尊敬の念で使う者の方が現在は多いようだ。

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