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この記事は私がまとめました

タレントの山本梓(32)が1月28日に結婚していたことが2日、分かった。お相手はソーシャルゲーム業界で風雲児の異名を取った青年実業家、梶原吉広さん(34)。共通の友人の紹介で2年前に出会い、昨夏、交際に発展。多忙な仕事の合間を縫い、シンガポールを拠点に活動する梶原さんの元へ山本が訪れるなどして愛を育んできた。大安の16日に都内のホテルで披露宴を開く。

関係者によると、お相手は大手ソーシャルゲーム会社、gloops(グループス)の創業者で元社長、梶原吉広さん。2005年に3人で広告代理店を設立し、初年度で2億5000万円を売り上げ、それを元手にネット事業に参入。

「大争奪!!レジェンドカード」「大進撃!!ドラゴン騎士団」など100万人以上の登録者を持つ人気ソーシャルゲームを連発し、業界の風雲児として話題になった人物だ。12年に同社を365億円で海外企業に売却し、現在はシンガポールを拠点に手広く事業を展開している。

関係者によると、山本とは2年前に知人の紹介で知り合い、友人関係が続いていたが、山本の失恋を機に梶原さんが何かと相談に乗るようになり、昨夏から交際。11月に結婚を決意し、翌12月には両家のあいさつも済ませたという。

先月28日に2人で都内の区役所へ出向き、婚姻届を提出。梶原さんはシンガポールと日本を行き来する生活のため、日本に滞在中は同居生活を送っている。今月16日には都内のホテルで親族や友人を招いて披露宴を開く。

 山本は所属事務所を通じて結婚を認め、梶原さんについて「(人気漫画)『ワンピース』の主人公ルフィ似」と明かし、「おおらかで優しく、私のワガママを聞いてくれる頼れる兄のような人」と紹介。「性格も正反対なので、互いに刺激を受けながら二人で一つになって、支え合っていければ」と誓った。

梶原吉広社長インタビュー2011年

ソーシャルゲームのトップランナーとして押しも押されぬ存在となったgloopsですが、現在に至るまでどんな道のりを歩んできたのでしょうか?

もともとは2005年に、私を含む3人で広告代理店として創業しました。当初はゲームはおろかインターネット媒体でもなくて、紙の広告を扱っていました。

―どういったことがきっかけで、インターネットに携わることになったんですか?

当時、ちょうどmixiを始めとしたSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が流行りだしたころだったのですが、それを見て「これだ」と思ったのが始まりです。広告業事態もかなり好調で、初年度で2億5000万円くらい売上が出ていました。そこで得た資金を投入してSNSの分野に乗り込もうと思ったわけです。

3人で始めた会社で初年度2億5000万! インターネット事業をやらずにそのまま広告代理店でやっていこうとは思わなかったんですか?

どう転ぶかわからない分野でかなり冒険でしたが、人生一度しかないし、どうせなら何かの一番になりたかったので。ただ食べていくだけだったら広告だけやっていればよかったんですけどね。

覚悟をもって始めたインターネット事業ですが、具体的にはどんなプロジェクトを手掛けてきたのでしょうか?

最初は、Adobe社のFlex(フレックス)という技術を使ってパーソナルホームページとSNSの機能を組み合わせた“nendo.tv”というサービスを作りました。が、それが見事に外れて(笑)。その後、現在のMobageやGREEのような携帯電話向けのSNSである“REAL”というサービスの展開を始めました。それが2008年のことです。

創業してから3年目で、現在のモバイル事業にたどり着くわけですね。

ユーザーを求めて試行錯誤をくり返すうちに、そういうことになりました。ただ、REALもただのSNSではユーザーがまったく集まらなくて、テコ入れのために2009年に入ってから『渋谷クエスト』というゲームを始めたんです。当時は“ソーシャルゲーム”という言葉がなかったので、“本格ゲーム”と名乗っていましたが。

2009年の春にはすでにゲームを出していた、という点では、ほかのメーカーさんよりも早くから手掛けていたと言えるでしょうね。REALでの『渋谷クエスト』は、そこそこのヒットを記録しました。ただその後、はるかに大きな波がやってきました。それが、Mobage(当時モバゲータウン)のオープン化でした。われわれもその直後に『渋谷クエスト』をリリースしたのですが、わずか数日で会員が30万人も集まりました。

そのおかげで、サーバがたいへんなことになりまして。3日間で30回か40回くらいサーバがダウンしたんですが、そのたびに手動でアップをくり返しました。数日間はまったく寝られませんでしたね。当時は10人くらいでやっていて、そのメンバーで「俺、朝5時から10時まで見てるから、お前は10時から15時まで頼む」みたいな感じで、24時間体制で管理していました。

その後、海外で借りていたサーバを国内に全部移して増強したり、試行錯誤をくり返しました。あのころがいちばんたいへんでしたね。それからは広告もやめてソーシャルゲーム1本に事業を集中することになりました。

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