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異色の武将・古田織部とは!「織部好み」を生み出した芸術家

異色の武将・古田織部とは!「織部好み」を生み出した芸術家

更新日: 2014年04月17日

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goemonsanさん

古田織部(ふるた おりべ)とは?

古田 重然(ふるた しげなり、-しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。
茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。

17歳で織田信長に仕えますが、信長が本能寺で亡くなった後は、豊臣秀吉のもとで働き、小田原征伐でも大きな武功をあげています。

天正19年、利休は、秀吉の勘気にふれ、切腹させられる(70才)。利休亡き後、秀吉のもとで織部は、天下一の宗匠を引き継ぎ、「織部十作」とも伝えられるクラフトデザイナーをえらび、自由奔放に各地の陶工に新しい茶器に限らず、やきもの全般を創造させた。

彼が関わったり評価したりする芸術は大ブームを巻き起こす。

綾部は信長、秀吉、家康の元で働くが内通の疑い自刃

木村宗喜が豊臣氏に内通して京への放火を企んだとされる疑いで京都所司代の板倉勝重に捕らえられた。重然も冬の陣の頃から豊臣氏と内通しており、徳川方の軍議の秘密を大坂城内へ矢文で知らせたなどの嫌疑をかけられ、大坂落城後の6月11日(7月6日)に切腹を命じられた。

古田織部が流行らせた新しい芸術「織部好み」とは?

、「非対称」「ゆらぎ」「ファジー」「個性」「共生」「独創性」「自由」「多様」といった特徴や理念があり、時空を超えて現代にも通じる

織部焼とは?

織部焼(おりべやき)は、桃山時代の慶長10年(1605年)頃から元和年間(1615年-1624年)まで、主に美濃地方で生産された陶器。美濃焼の一種で、基本的に志野焼の後に造られた。


釉薬の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗が殆どであり、それ以外は食器類が大半を占める。
形・文様
整然とした端正な形を好み、抽象を重んじる他の茶器とは違い、歪んだ形の沓(くつかけ)茶碗や、市松模様や幾何学模様の絵付け、後代には扇子などの形をした食器や香炉など、具象的な物が多い。

古田織部の名が冠された焼物、織部焼。ダイナミックな形や斬新でアバンギャルドな色彩と文様が特徴で、16世紀後半から17世紀前半にかけて大流行しました。ところが、織部と織部焼の関係には謎が多く、両者の直接的な関係を示す証拠は見つかっていません。

織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。

古田織部は漫画ややゲームでも有名な武将

戦国時代、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将・古田織部を主人公として描いた歴史漫画作品。

タイトルにもなっている「へうげる(ひょうげる)」は「剽げる」とも書き、「ふざける」「おどける」の意

『へうげもの』(読みはひょうげもの、ラテン文字表記はHyouge-mono)は、山田芳裕による日本の漫画作品、またそれを原案としたアニメ。講談社刊『モーニング』にて隔号連載中。第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作。2011年(平成23年)春にNHK BSプレミアムにてアニメ化された。

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