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有田芳生氏、百田尚樹氏の「人間の屑(くず)」という表現に噛み付く。文学表現として「人間の屑」について

有田芳生議員だって「カンナ屑」と言ってる。「クズ発言」を大袈裟に反応 民主・有田議員は低レベル。

更新日: 2016年07月03日

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「永遠のゼロ」の作家、百田尚樹氏の『屑(くず)』という言葉について、『経営委員として適切な発言ですか?』と、安倍総理と、NHK会長に、感想を述べよとしつこく迫る有田芳生議員。

今日の夕刊フジ。 朝鮮日報、侮日新聞と有田芳生への、百田尚樹さんの反論です。 pic.twitter.com/Z1950Javjt

「クズ発言」を大袈裟に反応 民主・有田議員は低レベル

「クズ」というのは漢字で「屑」と書く。紙や布の切れ端で、使い物にならないという意味の言葉だ。決して人種差別でも人権に関わる発言でもない。少々、品のない悪口にすぎない。

(中略)

これを有田議員は問題発言として、予算委員会の席上で、

(中略)

安倍晋三総理に執拗に感想を求めた。おそらく「遺憾です」という言質を取って、それをネタにして、

(中略)

総理の任命責任」を追求したかったのであろうが、あまりにもレベルが低いと言わざるをえない。
 いやしくも国会議員なら、もっと本質的な発言を叩くべきではないか。

出典「クズ発言」を大袈裟に反応 民主・有田議員は低レベル 百田尚樹 夕刊フジ

引用元は、上のツイートの画像

細川護煕、舛添要一、宇都宮健児候補を「人間のくず」と街頭で罵倒した百田尚樹発言について予算委員会で質問した。その百田さんが「夕刊フジ」で「有田議員は低レベル」と遠吠えしている。百田さんを放送法との関連で国会に参考人招致する動きがある。直接に議論しょうじゃないか。ぜひおいで下さい。

2月3日 秋葉原における百田尚樹氏の発言

とにかく関西にいて思うことは、今回の都知事選、都知事になるには、田母神さんしかいません。
それ以外の候補、まあ10人以上は泡沫ですが、何人かの重要な候補と言われている人間ですが、私から見れば人間のクズみたいなもんです。
遠く関西から見ていますと、田母神さんに対する誹謗中傷が非常にひどいです。

出典【平成26年2月3日】田母神俊雄応援演説in秋葉原 百田尚樹氏

誰がが私の秋葉原での応援演説を文字起こししてくれています。 ln.is/seesaa.net/wAI…

参考、参議院議員としての「永遠のゼロ」を揶揄った有田芳生氏のTwitterの言葉遣い「腐れ外道」

注、これは非公式(引用)リツイートなので、文言を一切変更できない公式リツイートと異なり、有田芳生氏に編集権があり、文責も有田芳生氏にあります。

歴史観永遠のゼロはこの時代の兆し。すでに現実だ。“@whokilledxxxxx: レイシズムを具現化した逆鉤十字の旗を背中に背負うて今日のデモに参加した腐れ外道の顔だけはキッチリと覚えた。 pic.twitter.com/Mf0sJUmcqU

百田尚樹氏の説明する「屑」と同様な意味で使用したと思われる有田芳生氏の「屑」。百田尚樹氏の「屑」との文学表現的違いは?

ベラベラ、ベラベラ、カンナ屑のように観念言葉を吐く政治家がいるもんだなあ。

「ベラベラ」ではなく「ペラペラとカンナ屑のように」だった。作家の平林たい子さんがかつて某政治家について評した言葉だ。かつてもいまも「カンナ屑」のようにただただ饒舌な政治家がいる。それに影響されるのはメディア時代の宿痾であり、コメンテーター風情の影響力の行使だろう。すべてを疑え!

「人間の屑」やそれに類似した言い回しを用いる文学作品は古くからたくさん存在している

「K、そんなに、さびしいのか。K、おぼえて置くがいい。Kは、良妻賢母で、それから、僕は不良少年、ひとの屑(くず)だ。」
 太宰治『秋風記』(『愛と美について』収録)(1939年)

何が「私だって」だ。嘘も、いい加減にしろ。
おまえは、いま、人間の屑、ということになっているのだぞ。知らないのか。
 太宰治『鴎 ――ひそひそ聞える。なんだか聞える。』(1940年)

菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の屑(くず)よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。
 太宰治 『恥』(1942)

何だいべらぼうめ、女をこしらえちゃ悪いのかい、女をこしらえねえような奴は、人間の屑(くず)だい……というような悪口も聞え出す。
 中里介山 『大菩薩峠 みちりやの巻』 (1913年)

ルンペンの本来の意味は、ボロとか屑とかいう意味である。つまり、宿なし、失業者、浮浪者といった意味のルンペンとは、人間のボロ、人間の屑というわけであろう。宿がないということは、屑であるということだ。
 織田作之助 『夜光虫』 (1947年)

東京は、人間の屑の、掃溜めのやうな処だと、坂田のおばあさんは云つてゐたけれども、定子は、結局、田舎よりも東京がいゝといふ信念を持つてゐた。
 林芙美子 『愛する人達』 (著作年不明)

「不鍛煉(ふたんれん)」は「不覚」が、心掛の沸(たぎ)り足らないところから起るに比して又一段と罪の軽いもので、場数を踏まぬところから起る修行不足である。聞怯(ききお)じ、見崩れする奴ほど人間の屑(くず)は無いが、扨(さて)大抵の者は聞怯じもする、見崩れもするもので、
 幸田露伴 『蒲生氏郷』 (1925年)

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