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映画「大統領の執事の涙」のモデルは実在した!黒人執事ユージン・アレンの生涯

2014年2月15日公開の映画「大統領の執事の涙」。主人公の黒人執事セシル・ゲインズのモデルは実在していました。その生涯に迫ります。

更新日: 2014年02月13日

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muremureさん

映画「大統領の執事の涙」が公開されます

出典eiga.com

ホテル勤めの黒人セシル(フォレスト・ウィテカー)が、ホワイトハウスの配膳係として働く機会を得て、その後仕事ぶりが認められ執事長になるまでの過程と、7人もの大統領に仕えていた当時の社会の変化を描いた話題作。

セシル・ゲインズのモデルになった男性は?

34年間ホワイトハウスで歴代大統領に仕えた黒人執事。

彼は、20世紀の極めて重要な歴史上の瞬間の多くを目撃し、アメリカ初の黒人大統領であるバラク・オバマの大統領就任宣誓式には要人待遇で招待されました。

ユージン・アレン氏の生涯

1919年7月14日生まれ。
アフリカ系アメリカ人であるアレンは自主差別が根強いままの時代にヴァージニア州で育ちました。

彼は、白人専用リゾートで長年ウェイターとして働きました。

1952年、彼がホワイトハウスで働き始めた頃、思い切ってヴァージニア州に帰ると公衆トイレすら利用することができませんでした。
「私たちは何も持っていませんでした。」とアレンは当時の黒人系アメリカ人を語っていました。

アレンは「食器室」の仕事を任され、年間2,400ドルで働き始めました。
皿を洗い、食器棚にしまい、銀の食器を磨きました。
そして、そのうち執事に昇格することができたのです。

トルーマン大統領は彼を「ジーン(Gene)」と親しく呼んでいました。

フォード大統領は、彼とゴルフについて話すのが好きでした。

1963年にケネディ大統領が暗殺された日も執事として働いていました。
アレンの息子はこう語ります。
「私の父親はケネディ大統領が撃たれた日の夜遅く帰宅しました。しかし、もう一度コートを羽織り
『私は仕事に戻らなければならない。』と言った。
しかし、玄関では、彼は崩れ落ちて叫び始めました。
彼がそんな風に叫ぶのを私は初めて見ました。」

アレンは葬式に招待されましたが、『葬式の後に誰かホワイトハウスに来るかもしれないから』と、ホワイトハウスで仕事をしていたという。

レーガン大統領の頃、アレンは執事の最高位に就くことになりました。
レーガンは、アレンおよび彼の妻ヘレネを公式晩餐会にホワイトハウスのヘルムート・コールに敬意を表して招待しました。

アレンは8人の大統領のために懸命に働いた後に1986年に辞任しました。

2008年、黒人初となる大統領選を控えて彼はオバマ大統領に投票することを決めていました。
しかし、共に投票することを決めていた最愛の妻が選挙前日に亡くなってしまいました。

1942年にワシントンの誕生パーティーで会って以来、一人息子をもうけた幸せな65年間だったといいます。

ワシントンポストがこの話を記事に載せた所、反響が大きかったそうです。

オバマ大統領は見事当選し、黒人初の大統領としてアメリカを治めることになります。

そして、彼は2010年3月31日のメリーランドの病院で亡くなりました。
死因は腎不全。享年90歳でした。

アメリカの激動の時代を執事として支えたユージーン・アレン氏。

波乱万丈だった彼の人生が、映画でどのように描かれているのか楽しみですね。

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