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きっと驚愕するはず。忘れていた『モモ』の名言

ミヒャエル・エンデの名作『モモ』。ここでは主人公のモモの名言に限らず、ベッポじいさんやジジたち登場人物のことば、小説の中のことばやそれを評したことばも含めて、いくつになっても思い出したい、生活の指針となるようなことばをまとめます。

更新日: 2014年02月18日

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この記事は私がまとめました

ekizoさん

※ まっさらな気持ちで『モモ』を読みたい人、読み返したい人は、読んだ後でご覧ください。

ただし、重要なネタバレにならないようには、気を遣ったつもりです。

古い円形劇場の廃墟に、いつの間にか居ついてしまった身元不詳の少女、モモ。

最初、地元の人たちは心配して警察に引き渡そうか、などと考えますが、
そのうちにモモ無しでは暮らせぬほど、モモを気に入ります。

それは彼女の能力、「あいての話を聞く」ことのためでした。

たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。
 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

出典ミヒャエル・エンデ(1976)『モモ』、大島かおり訳(2005)岩波少年文庫、24ページ

モモには親友が二人できました。

ひとりは無口な道路掃除婦の、ベッポ。

「なあ、モモ、」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
 しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
 また一休みして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

出典同上、52-53ページ

『モモ』全編をつらぬく、時間についての考え方。

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

出典同上、83ページ

ところが、そんなのんびりした町に、灰色の影が忍び寄ってきます。

時間を節約しなさい、そしてその分の時間を貯蓄しなさい、と迫ってくる「時間どろぼう」たちです。

ある日、町の床屋、フージーさんのところにやってきたのは時間貯蓄銀行の外交員、つまり時間どろぼうでした。

「いいですか、フージーさん。あなたははさみと、おしゃべりと、せっけんのあわとに、あなたの人生を浪費しておいでだ。死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでもいうように、みんなにわすれられてしまう。もしもちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたがひつようとしているのは、時間だ。そうでしょう?」

出典同上、87ページ

フージーさんは納得し、それ以来、なにごとも効率的におこない、時間を倹約します。

しかし・・・

フージー氏はだんだんとおこりっぽい、おちつきのない人になってきました。というのは、ひとつ、ふにおちないことがあるからです。倹約した時間は、じっさい、手もとにすこしものこりませんでした。魔法のようにあとかたもなく消えてなくなってしまうのです。フージー氏の一日一日は、はじめはそれとわからないほど、けれどしだいにはっきりと、みじかくなってゆきました。あっというまに一週間たち、ひと月たち、一年たち、また一年、また一年と時がとびさってゆきます。

出典同上、101-102ページ

さて、モモのもう一人の親友が、ベッポとは対照的におしゃべりな、ジジ(ジロラモ)。

彼の空想力ばつぐんの出まかせ話は、人々を魅了します。特にモモにせがまれて語った、モモ姫とジローラモ王子の「魔法の鏡」のお話は、涙がでるほどロマンティックです。

そんな彼が、なぜか最近とつぜん忙しそうになった町の人々を嘆いて、円形劇場に集まった子どもたちを相手に話したのが次の言葉。

「いぜんにはな、みんなはモモのところに話を聞いてもらいによくきたもんだ。聞いてもらっているうちに、みんなはじぶんじしんを見つけだしたんだーーおれの言う意味がわかってもらえるかな。ところがいまじゃ、みんなはもうそんなことはしたがらない。いぜんにはな、みんなはおれの話を聞きにもよくきたもんだ。そしてじぶんじしんをわすれたもんだ。ところがそれもいまじゃしたがらない。そんなことにつかう時間がないって言っている。そしておまえら子どもたちのための時間もないって言うんだろ。これでなにか、わかることがありゃしないか? おかしいじゃないか、どういうことにつかう時間がなくなったのか、考えてみろよ!」

出典同上、118ページ

ストーリーは、モモたちと「時間どろぼう」の攻防を軸に、進んでゆきます。

ある事情から仲間たちと引き離されてしまったモモは、ある人物と会い、時間の奥義を知ることになります。

モモはじっくり考えてみました。
 「時間はあるーーそれはいずれにしろたしかだ。」思いにしずんでつぶやきました。「でも、さわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな? でも時間て、ちっともとまってないで、動いていく。すると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら? いや、ちがう! そうだ、わかった! 一種の音楽なのよーーいつでもひびいているから、人間がとりたてて聞きもしない音楽。でもあたしは、ときどき聞いていたような気がする。とってもしずかな音楽よ。」

出典同上、234ページ

そして、その人物は語ります。

「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」

出典同上、236ページ

モモは尋ねます。

「すると、もしあたしの心臓がいつか鼓動をやめてしまったら、どうなるの?」
 「そのときは、おまえの時間もおしまいになる。あるいは、こういうふうにも言えるかもしれないね。おまえじしんは、おまえの生きた昼夜と年月すべての時間をさかのぼってゆく、と。人生を逆にもどっていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門にさいごにはたどりつく。そしてその門をこんどはまた出ていくのだ。」
 「そのむこうはなんなの?」
 「そこは、おまえがこれまでになんどもかすかに聞きつけていたあの音楽の出てくるところだ。でもこんどは、おまえもその音楽にくわわる。おまえじしんがひとつの音になるのだよ。」

出典同上、236-237ページ

ほかにも名言や名場面が目白押しなのですが、このぐらいにして、最後に紹介したい言葉があります。

ひょんなきっかけで読むことになった、茨城大学教育学部の生越達教授による『モモ』の時間についての論文です。以下に簡単に引用します。ぜひ読んでみてください。

まずは、モモの話の聞き方の特徴である「待つ」という行為について。

待つとは、相手の存在を心のなかに入れ続けながら、それでも相手の応答をせかしたり、勝手に決めつけたりしないでおくことを意味している。したがって時間を持っているということは、自分のペースで時間を使うことをせず相手のペースのなかに自分の時間を差し出すことを意味していることになるだろう。待つことは自分の計画どおりに時間を使うことの断念を求める。

じゃあ、モモはカウンセラーみたいなものなんだろうか?

待つことは、それぞれの考えがまとまり言葉として「熟す」ことを助けるのである。モモに聴いてもらっていると、考えが熟していく。機が熟すための触媒、あるいは環境が待つことなのである。
 待つことは時間を持つことであった。そして時間を持つとは自分の時間を他者に与えることである。他者に時間を与えるということは、自分の時間を奪われるということである。つまり、自分のたてた計画どおりに生きることをしないということである。こう考えると、いわゆるカウンセリングにおける聴くことは、モモの聴くこととはまったく異なる事態であることがわかる。カウンセリングでは、たとえば50分という決められた時間で区切られた契約関係のなかで行われる。自分の時間を奪われることがないように現代社会にアレンジされた聴くことがカウンセリングだということができるだろう。

出典同上、241ページ

仕事や人生がつまらない原因は、もしかして・・・

計画的に仕事をすることは未来を生きることであるよりは未来を現在化してしまうことであり、したがってこの現在において仕事そのものを楽しむことでもなければ、見知らぬ他者と出会う可能性に開かれていることでもありえない。計画策定段階で想定した現在化した未来をこなしていくことなのである。仕事はいつも「こなす仕事」であるほかなくなってしまう(中略)
 これは「いい子」の生き方でもある。こうあらねばならない自分が決まっていて、生きることはそのあらねばならぬ姿との隙間を埋めていくことを意味する。そしてあらねばならぬ姿との隙間からつねに自己評価を行い、さらに頑張る。そこには現在を楽しむことや、不意打ち的他者と出会う可能性が閉ざされてしまっている。

出典同上、243ページ

もう一度、モモにとっての時間とは。

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