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【羽生結弦のコーチ】ブライアン・オーサー氏のドラマティックな経歴

ソチ五輪フィギュア男子で、日本男子フィギュアスケートとして初の金メダルを獲得した羽生結弦。彼を金メダルに導いたコーチ、ブライアン・オーサーは、とてもドラマティックな人生を送っていた!

更新日: 2014年02月25日

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pochityさん

現役選手としての活躍

1984年サラエボオリンピック男子シングル銀メダル。

1987年世界選手権優勝。

1988年カルガリーオリンピック男子シングル銀メダル。

1988年カルガリー五輪のエキシビジョン。
惜しくも銀メダルであったが、その演技は世界中を魅了した。

出典yaplog.jp

1988年カルガリー五輪では、ライバルであるアメリカ代表ブライアン・ボイタノと対決。
この戦いは「ブライアン対決(Battle of the Brians )」と呼ばれ、世界中から注目を集めた。

開会式でカナダ選手団の旗手を務めた1988年カルガリーオリンピックでは、アメリカ代表のブライアン・ボイタノとの対決に注目が集まり、ともにファーストネームがブライアンであることから「ブライアン対決(Battle of the Brians )」と称されたが、敗れて銀メダル。

引退後 ー元恋人からの告訴

引退後、テレビ映画「氷上のカルメン(Carmen on Ice)」に出演。
なんとその映画でエミー賞を受賞!

そんな輝かしい経歴に暗雲が立ち込め始めたのは、1998年。
元恋人から告訴され、同性愛者であることを暴露されてしまう…。

オーサー氏がゲイだということがばれてしまったのは、1998年に元のパートナー(男性)が慰謝料請求の裁判を起こしたことで、彼がゲイだとオープンに発覚されてしまいました。

名コーチの誕生

なんとか周囲の理解を得たオーサー氏が振付師として活動を始めたのは2000年頃。
李成江、本田武史、エルヴィス・ストイコなどの振り付けを手がける。

僕が移ったカナダのリンクには、その後世界チャンピオンになるジェフリー・バトル(カナダ)や、世界選手権で3度も優勝していたエルビス・ストイコ(カナダ)が、現在羽生結弦の指導をしているブライアン・オーサーコーチの指導を受けていました。そこに僕が入ったんです。

キム・ヨナは2007年からブライアン・オーサー氏に師事。
バンクーバー五輪金メダルという素晴らしい成果をあげる。

腰痛で苦しみやむを得ず3アクセルへの挑戦を断念し、精神的にも弱かった彼女を、あそこまで成長させた立役者だ。ちなみに、ブライアン・オーサー氏は、キム・ヨナのスケーティングの素質を見抜き、質を極める方法で勝負に挑む方がよりいいと、ヨナを説得したと言われている。もはや、名コーチと言ってもいい“ミスタートリプルアクセル”だ。

キム・ヨナを、世界で戦える選手に成長させたオーサー氏。
しかしその後、キム・ヨナとオーサー氏は契約上のトラブルの末、バンクーバー五輪後の2010年8月に喧嘩別れしてしまう。

“フィギュアの女帝”キム・ヨナが、冬季オリンピック金メダルを共に生み出したブライアン・オーサーコーチと、3年目に決別した。

フィギュアスケーターのキム・ヨナ選手とブライアン・オーサー監督が、決別をめぐってこれまでの問題や秘密を暴露し合うなど、事態は泥沼化の様相を呈している。

メディアやインターネットを通じて互いを攻撃し合うなど、両者の関係は泥沼化していく。
コーチとしての能力を開花させていったオーサー氏の経歴に、再び暗雲が…。

しかし、その2年後。
オーサー氏の指導を受けようと、日本からカナダに移住した人物がいた。
その人物との出会いが、オーサー氏のコーチとしての名声をさらに高めていくことになる。

1984年、88年と、2度の五輪で銀メダルを獲得したカナダの英雄。2010年バンクーバー五輪では韓国のキム・ヨナを指導し、五輪チャンピオンへと導いた。ここで一躍コーチとしての名声も得たが、実は指導者としてのキャリアはそれほど長くない。ブライアン・オーサーが日本人選手を本格的に教えるのは、初めてのことなのだ。

今年5月、「早く4回転サルコウを教えてくれ」とばかりに意気込んで門をくぐった羽生だったが、最初に与えられた試練は、スケーティングだけの毎日だった。

基礎を徹底的に叩き込まれた羽生。
その成果は、すぐにあらわれ始める。

フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルは6日、マリンメッセ福岡で第2日の競技を行い、男子はショートプログラム(SP)首位の羽生結弦がフリーでもトップの成績。自己ベストを更新する合計293.25点をマークして初優勝した。

SP「パリの散歩道」で101.45の超ハイスコア!
公式大会世界最高得点であるのと同時に、史上初の100点超えを達成した。
日本人としてはトリノ五輪金メダリストの荒川静香に続く2人目。
日本男子フィギュアスケートとして初の金メダルを獲得。

コーチとして2人のオリンピック金メダリストを輩出したのは彼が初めてであり、ショートプログラム採点で羽生が史上初の100点越えしたときには文字通り跳び上がって喜んでいた。

金妍児と羽生に共通しているのは、明確な戦略が授けられたことだ。
金妍児は、難易度よりも完成度を重視。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を計3度成功した浅田真央(中京大)に対し、出来栄え評価で加点を稼ぎまくり、驚異的な世界歴代最高点をたたき出した。
羽生には、高い演技構成点を誇るパトリック・チャン(カナダ)に対し、技術点勝負を挑ませた。加点が付く後半に連続ジャンプを集め、4回転もチャンの1種類に対し、2種類跳ばせた。

ブライアン・オーサーコーチは、「勝つ」ために明確な戦略を立てるという。
これが2人の金メダリストを輩出できた秘密かもしれない。

これからも、その戦略で、多くのメダリストを育てていくだろう。

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