1. まとめトップ

団塊・バブル・ゆとり…世代別の特徴&時代背景 【懐かしの〇〇】

自分の生まれた世代以外のことを知るきっかけになってもらえると。

更新日: 2014年02月25日

43 お気に入り 224904 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

iNOさん

■団塊の世代 (1947年~1949年)

日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代。
第二次世界大戦直後に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。

戦後の復興期、動員されていた兵士が復員し治安や食料供給も安定してくると、国民が子供を増やし育てるだけの余裕が生まれ、出生数が急速に上がった。戦時中の抑圧の反動もあったためか、この時期の出生率は他の時期と比較しても極端に高く、人口ピラミッドの構成にも大きな影響を残す程になった。特に1947~49年は合計特殊出生率が4.0を超えている(つまり一組の夫婦が全国平均で4人以上の子供を産んだ)。

日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気と失われた20年開始までの時代経験を共にしており、その突出した人口構成から良くも悪くも日本社会のありように多大な影響を及ぼしている世代である。

昭和33年、東京都港区に東京タワーが完成し、営業を開始した。高さは333メートルで、仏パリのエッフェル塔(約320メートル)を抜き、当時世界一だった。放送電波を送信する電波塔としてのほか、風向風速計などとしても利用されている。

「東京タワーができた翌年、僕たち家族は父に連れられてタワーに登った。エレベーターが展望台に向かって上昇していく時、透明の窓越しに東京の風景がパノラマ写真のように見えた。そして、赤く太い鉄梁が東京の街をしっかりと支えていた。それは大黒柱である父の存在のようにも思えた。」

日本の学生運動は、大正デモクラシーの時期に始まり、戦後になって盛んになった。
反戦運動、学費値上げ反対運動、学生会館の自治要求、反差別への取り組みなどがある。
日常的に彼ら活動家は、自治会や様々なサークルを拠点にして討論や学習をし、自前のビラ(アジビラ)やポスター、立て看板(タテカン)を作製し、授業前のクラスや昼休みの広場などで演説をし、自らの主張をアピールする。
普段は大学問題や政治問題に関心のない一般の学生も運動に加わり、全学的に運動が高揚する場合である。そうなればデモや授業ボイコット(ストライキ)、大衆団交、果てはバリケードによる建物占拠などが行われる。

音楽では10代にビートルズやその影響下で現れたグループ・サウンズの洗礼を受け、大学生はジャズ喫茶やゴーゴー喫茶を溜まり場にしてアングラ劇団を楽しむという青春だった。
このためビートルズ世代とも呼ばれるが、ほとんどの者はむしろグループサウンズの方を好み、ビートルズ・サウンドに触れていたのは少数派であったという。

【団塊の世代生まれの芸能人】
西田敏行、大竹まこと、堺正章、 ビートたけし、高田純次、梅沢富美男、泉ぴん子、由美かおる、木の実ナナ、五木ひろし、小田和正、井上陽水、沢田研二、武田鉄矢、南こうせつ、財津和夫、森山良子、和田アキ子、八代亜紀...他

■シラケ世代 (1950~1959)

日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた、政治的無関心が広まった世代。1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う若者が多かったと言われる。

1970年代後半以降、アニメやコンピュータゲームといったオタク系業界が急速に発展した。

1950年から1964年生まれからは、押井守・板野一郎・原恵一・河森正治・庵野秀明・今川泰宏・宮本茂・堀井雄二・深谷正一・黒須一雄・岩谷徹・遠藤雅伸・坂口博信などがアニメ、ゲームのクリエーターとして活躍。
また、この世代の田中芳樹・栗本薫・安田均・などがSF・ファンタジー・ライトノベル作家として活躍した。
作家・評論家としてなどオタク業界で広範囲に活躍した大塚英志や岡田斗司夫もこの世代である。この世代の中でも1955年から1964年生まれは「おたく第一世代」と呼ばれている。

文学では、川上弘美・村上龍などの純文学の担い手を生み、浅田次郎・あさのあつこ・石田衣良・大沢在昌・高村薫・東野圭吾・宮部みゆき・京極夏彦ら娯楽的な小説の大家を輩出した。

【しらけ世代生まれの芸能人】
明石家さんま、安倍晋三

■新人類世代 (1960~1964)

成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクションであるという立場をとるとされた。
音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、一種のファッションとしての地位を得た。

学界・言論界では中森明夫、野々村文宏、田口賢司、浅田彰(当時京都大学人文科学研究所助手)など。
芸能界では泉麻人、秋元康、石橋貴明、松田聖子、小泉今日子など。
野球界では、当時の西武ライオンズの選手が、ファッションや言動などこれまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた工藤公康、渡辺久信、清原和博が代表的な存在。

■バブル世代(1965~1969)

バブル世代は1965年から1969年生まれで、バブル景気の時代に就職をしている人です。正規雇用率が高く、非正規雇用者率が低いのが特徴です。矢沢永吉や横浜銀蝿などの影響をうけたリーゼントロックやツッパリファッションが流行、おニャン子クラブと同じ世代でもあります。全体的にコミュニケーション能力が高いものの、自分への高い評価を望む傾向にあります。

『金魂巻』で使用された「○金○ビ」が第1回流行語大賞となった。
この頃は空前の好景気で国内外・昼夜を分かたず猛烈に働くことが時代の趨勢となり、「24時間戦えますか」のCMコピーが流行した。
新たな価値観・感性を持った若者は「新人類」と称された。
ファッションでは「DCブランド」が持て囃され、その販売員は「マヌカン(ハウスマヌカン)」と呼ばれた。「ワンレン・ボディコン」の女性の一部が求める結婚相手は「三高」だとメディアは報じ、若手エリート・「ヤンエグ」(ヤング・エグゼクティブ。青年実業家や起業家)の服装はジョルジオ・アルマーニに代表されるソフトスーツであった。

また一部の男性は女性の気を引くべくプレゼントを贈ったり、高級レストランで接待したり、彼女たちを乗せる乗用車にお金を注ぎ込んだりしているとメディアでは伝えられ、このような一部男性は「アッシーくん」、「メッシーくん」、「ミツグくん」、「キープくん」などと蔑んで呼ばれた。そして彼らに対する正式な“彼氏”は「本命くん」とメディアは呼んだ。
そのほか男性を「CD」や「キャッシュカード」に喩えてみたり、働き盛りの男性を「亭主元気で留守がいい」と言ったり、定年退職を迎えた中年男性を「濡れ落ち葉」と呼んで揶揄するなど、前述のアッシーなどの流行語と合わせ、兎にも角にも激しい男性蔑視、マン・バッシングが吹き荒れたのがバブル時代のもう一つの顔だった。

タクシーの運転手の方が客を選べた時代だったため、タクシーがなかなか捕まらない。
タクシー運転手は近距離の客より長距離移動の客が欲しいので、近距離の客だと行く先を聞いてから「そこは行けません」と言って乗車拒否も当たり前のようにある時代だった。
ですから「俺はロング(長距離移動)の客だ!!」ということをアピールするために万札を振ってタクシーを止めていた。

スキー場の開発が相次いでなされたことと、1987年に映画『私をスキーに連れてって』が大ヒットしたこともあってスキーブームが起こり、苗場プリンスホテルなどが人気となり、リフト待ちに数時間かかるような事態も起きるほどであった。
さらに都心至近距離の千葉県船橋市に屋内スキー場「ザウス」ができたりもした。「ザウス」はバブル崩壊後の1993年のオープンであるが、スキー人口のピークの年でもあった。

高級車ブーム

日産・シーマやトヨタ・ソアラ、トヨタ・クラウンなどの「ハイソカー」と呼ばれた3ナンバーの国産高級車への人気集中が起きた。とくに1989年に税制改正され、3ナンバー車に以前のような重い課税がされなくなってからは、各メーカーがこぞって対象車種を出したことから、これらの3ナンバー車の販売台数が飛躍的に増加した。
また、1989年にアメリカで先行販売されたトヨタ・セルシオや日産・インフィニティQ45などを、日本での販売開始前にアメリカから「逆輸入」し、高値で販売する業者や、1990年に発売され納車まで1年以上待つこととなったホンダ・NSXを「即納可能」として高値で転売する業者も現れた。

また、これまでは一部の富裕層のステータスシンボルとされていた外国車も、その販売台数の急増から、都心部ではメルセデス・ベンツ 190Eが「コ(子)ベンツ」「赤坂のサニー」、BMW3シリーズが「六本木カローラ」などと揶揄されるほどに普及した。
特に高級外車は、東京都心や大阪市内などの大都市の道路でメルセデス・ベンツSクラスやポルシェ・911、ジャガー・XJなどが走っているのが全く日常の光景の一部となり、フェラーリやランボルギーニ、マセラティやデイムラー、さらにはロールス・ロイスなどの、大都市近郊においては特に珍しい存在ではなくなったのはこの頃以降のことである。

バブル期は西武百貨店とパルコを中核としたセゾングループが、セゾン文化と呼ばれる消費文化を牽引した。
そして大人は西武で、若者はパルコで買い物をするのが一種のステイタスになっていた。
西武とパルコのほかには、セゾン美術館、銀座セゾン劇場、パルコ劇場、ロフト、無印良品、アール・ヴィヴァンなどがあり、単にモノを売るだけではなく、文化やイメージを売るというスタイルは「イメージ戦略」と呼ばれ、当時は斬新とされた。
シブヤ西武SEED館には伝説のシュップ『カプセル』を設置し、デビュー間もない川久保玲(コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎、イッセイミヤケ、タケオキクチら、新進のデザイナーズブランドを展示した。

■団塊ジュニア世代 (1970~1974)

団塊ジュニアが生まれたのは、戦後30年を過ぎて高度経済成長が終焉し「安定成長」に移行する時期であった。
小学生時代は上の世代の校内暴力が深刻化していた時期で、学校では管理教育の締めつけが強まり、いじめや不登校が社会問題となった。
また、人口が多く、子供の頃より、受験戦争と呼ばれるほどの入学試験などの競争を強いられた。
大学入試に至っては、この世代以降「学歴不問」を打ち出す企業が目に見えて増え、「入りたい大学より入れる大学」、「現役は偶然、一浪は当然、二浪は平然(一浪は常識、二浪は普通とも)」「二浪で駄目なら専門学校」「国易私難」という言葉が飛び交った。

1 2