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本当の自分は一つじゃない…「分人」という考え方

「分人主義」を知ると、自分の内面やコミュニケーションを考える上で助けになるかもしれません。

更新日: 2018年05月04日

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midori0202さん

「分人主義」は、モヤモヤした気持ちに名前を与えて、
自分の考えを整理する助けになるのではないかと思います。

最近やたらと性格判断というか、診断というか、そういうのがある。 俺はその結果を見て、納得しつつも己のだめなところばかりが気になる。 しかし真っ直ぐに生きたいから、己を曲げたくない、どんなに間違っていても、理想を叶えたい。 だが矛盾している現状に腹が立つ。 自分が難しい存在である。

矛盾してる自分にむかつく。こんな性格いやや(>_<) 素直に思ってること言えたら良いんやけどな…

強がり 寂しがり 目立ちたがり 面倒臭がり 私の性格。矛盾だらけ。

「分人主義」においては、ひとりの個人が矛盾して見えることがあるのは「前提」になります。

作家・平野啓一郎さんが唱える「分人主義」

簡単に言えば、これまでも盛んに言われていた、「人間には複数の顔がある」に近い考え方

ただし「分人主義」は、ベースに「本当の自分」があって、他の「複数の顔」は仕方なく使っている(わざと演じている)…とは考えない。環境に応じて自然に出来ていくものだと考える。

一人の人間は分けられる、分かれていくという概念。

現実には、いろいろな顔を有していなければコミュニケーションできないのが人間

他者と接している様々な分人には実体があるが、「本当の自分」には、実体がない

「仕事をしている自分」「家族といる自分」「趣味に没頭している自分」「友人といる自分」「ネット上の自分」…それぞれが「分人」。そして「分人」は現実に起こり認識できるものである。全ての分人が「本当の自分」である。

例えば、こんな考え方

「学校で」「誰かに」否定されたとしてもそれはひとつの「分人」であり、同時に「塾」や「家族」「別の学校の友達」「ネット上の知り合い」に対する「分人」も存在する。
分けて考えると「自分を全て否定」する方が不自然にみえる。

思いつめてしまうとひとつのこと(ひとつの分人に起きたこと)に捉われてしまいがち。そうなる前に考えておくといいかもしれない。

たとえ、ある一人から嫌われても「分人」化によってほかの人とコミュニケーションをとれるなら、その人は生きることができます。

「個人」を単位として見れば、自殺は「自分を消す」行為だけど、「分人」として考えると、複数あるアイデンティティのある一部分を消して、別の理想的なアイデンティティを強化したいのかもしれない。

「分人」は他者との関係によって生じる

子供を見てると、一歳くらいになると、もう驚くほど自然に分人化します。親に対する態度と、保育園の友達に対する態度、保母さんに対する態度は全然違う。

「分けよう」としなくても人は勝手に「分けられていく」のかも。

人は、自分が心地いい分人になれる場所や相手をいくつか持っておくべきなんですよ。学校にいるときの自分は嫌だけど、塾にいる仲のいい友達といる自分はいきいきしてるとか、家族といる時の自分は好き、みたいな。

切り替えとしての分人を意識的に確保しておくのも手。ある環境でイライラしてきたら、別の環境へ。

恋人と別れたとか、転職したとか、それを全部ひとりの人間として固まりで考えるのではなく、分人単位で区切ればもっと生きやすくなるんじゃないかなと

何か望まないことが起きた時「私らしくなかった」と自分を責めるばかりでなく、「今回は自分のこういう部分が強すぎたな」とか、自分の一部をそれぞれきちんと見つめられたら現実に向き合いやすくなりそうです。

なぜ今「分人主義」が必要なのか

1980年代から中央教育審議会などにおいて「個性の重視」が唱えられるようになりました。しかし、教育にあたる側も「個性とは何か」は分かっていなかったはずです。

各人が自分に向いた職業をみつけていく義務があるともいえます。
「個性を大切に」とは、こうした義務を伴うので若者はプレッシャーを感じます。
社会の機能不全を恐れるがゆえに、「個性」なる言葉で社会的分業を強いる側面があるわけです。

職業を「選べる」時代になったが、何をやっても「自分で選んだ」ことになる、というのはプレッシャーでもある。

果たしてどのくらいの若者が自分の個性・適性をありのまま把握できるだろうか。そしてそれを把握した上でそれを活かしやすい場に身を置くか選べるだろうか。
更には「選んだ時の自分」と「今の自分」が一貫して全く同じと言えるだろうか。

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