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サッカー選手なんて大したことない まとめ

サッカー選手の「◯◯なんて大したことない」が好きなのでまとめてみました。一部最新の経歴を追記してあります。

更新日: 2014年03月12日

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moysさん

ディエゴ・フォルラン

フォルランなんてたいしたことない

地元の超名門大学を首席で卒業し
テニス、ゴルフの腕もプロ並で
実家はスペイン王家に繋がる超名門貴族の家系で
祖父は元サッカーウルグアイ代表監督
父は元サッカーウルグアイ代表、母は外科医で
12歳の時に下半身不随になった姉の高額な治療費捻出のために
プロサッカー選手になることを決意し
父に一年だけという約束でサッカークラブと契約し
その後とんとん拍子で活躍
2010年W杯ではMVPに輝いて母国で英雄となり
ディエゴフォルラン賞なるものが創設されて(第一回受賞者はカバーニ)
マンU所属のときにゴールした喜びのあまりユニフォームを破り脱いで、代わりのユニフォームが用意できず一時上半身裸のままプレーした

そんなどこにでもいる選手、それがフォルラン

駒野友一

駒野なんて大したことはない

中三のときに父親を無くして、
私立初芝橋本高、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島などからスカウトされたが、
寮住まい出来て経済的負担が最も少ない広島ユースに入り
休日でも友人と遊びに行かず、寮に残ってトップチームのビデオを見て研究し
プロ契約してから現在まで欠かさすことなく母親に仕送りをし続け
弟の大学の学費まで全額負担し
性格は純朴そのもので、森崎和幸曰く「今時珍しい生き物」で
左膝前十字靭帯損傷の療養中にエコノミークラス症候群にかかり
生命の危機に陥ったが、不屈の闘志で復活し、アテネ五輪代表に選出され
アテネ五輪ガーナ戦で鎖骨骨折、一ヵ月後ブドウ膜炎まで発症し失明の危機もあったが
それすら乗り越えて日本代表になった。

そんなドコにでもいるプレーヤー、それが駒野。

おそらく「◯◯なんて大したことない」の元祖
南アフリカのワールドカップのPK失敗で駒野選手に批判が集まる中で投下され、個人的に以後は批判が収束したんじゃないかと思うほどの名「たいしたことない」です。

田中達也

田中達也なんて大したことはない。

人見知りのくせにおしゃべり大好きで
16のときにサッカーの名門帝京高校に入学するが
100人中80番目の選手という屈辱的な位置づけをされて
紅白戦でも頻繁に潰され、得意のドリブルもまったく通用せず
周りのレベルの高さに絶望して
まれに巡って来たチャンスに胸躍らすも
途中出場からすぐに途中交代させられるという陵辱を受けて
辛い毎日に自殺も考える程追い詰められたが
だからこそ練習するんだと不屈の闘志で復活し
その後レギュラーを勝ち取り、高校サッカーでも活躍し
在学中にも関わらずFC東京に強化指定選手としてプロ登録され
卒業後はすぐにレッズに入団し、Jリーグでも大活躍し、アテネ五輪代表にも選出される
頑張りすぎる性格から怪我も少なくなく
特に2005年右足関節脱臼骨折という全治約6ヶ月の大怪我を負ったが
それすら乗り越えて日本代表になった。

そんなドコにでもいるプレーヤー、それが田中達也。

長友佑都

長友なんて大したことはない

中学、高校と選抜、国体に選ばれることもなく
もちろんプロや大学にスカウトされることもなく
スポーツ推薦はもらえず、片親に負担をかけないよう
学業による推薦で明治大学に入学した出来損ない

大学二年までサッカーの応援団として太鼓を叩き
サッカーすらまともにできず、プロになるなど夢のまた夢で
当時の知り合いには「俺のサインもらっておけば」と話すほどの口だけ番長

鍛えた体に大学の監督が気づいたおかげで、やっと試合で使われだしたのが2006年頃

そこから選抜、五輪代表に運よくたまたま選ばれ
遂にはA代表デビューまで果たした
代表デビュー戦では招待をした祖父母を感動のあまりに
泣き崩れさせるという親不孝っぷり
今では離婚した両親の代わりに、自分が家族の面倒を見ている偽善者

ガラガラのスタジアムの太鼓叩きから五年も経って
当時世界クラブ王者であり、セリエA五連覇中のインテルに
アジア人として初めて移籍する快挙
スナイデルやマテラッツィ、カッサーノ、サネッティ
サッカー界の暴れん坊から人格者まで、チームメイトから愛され
現在インテルの不動のレギュラー、キャプテンマークだって巻くこともある

高校、大学と筋力トレーニングだけは欠かさず
カップラーメンなどは一度も食べたことがないまま
人間がギリギリ生きていける数字の体脂肪率3.5%を守り
太鼓を叩きながらチャンスを待ってた馬鹿野郎

そんなどこにでもいる男。
それが長友佑都

小野伸二

小野なんてたいしたことはない

10人兄弟の母子家族に生まれ、両親が離婚してお父さんはいなく、一日中働くお母さんに育てられた
幼い頃は貧乏でサッカー少年団にも入れなかったが、グラウンドで一人でサッカーをしている小野を見かけたサッカー団の監督から「お金はいらないから是非入ってくれ」と言われる
小6のときには一人だけズバ抜けていて、10人抜きのゴールを決めたこともある
中学に進学するとき、当時進学予定だった今沢中学校にはサッカー部がなく、サッカーをやれるグラウンド自体がなかったが、それを聞きつけた静岡サッカー協会が今沢中学校にサッカー部を作らせ、大きなグラウンドも作らせた
高校進学では県内、県外合わせて50校以上の推薦がきて、13歳でU16の代表に入り、18歳でフランスワールドカップにも出場
シドニーオリンピックの予選では悪質なタックルで左ヒザのじん帯を断絶するという選手生命も危うい怪我も負ったが、それから見事復活し欧州クラブでは中心選手としてUEFAカップで優勝した
「いままで一緒に働いた中で、一番良いプレーヤー」(フェイエノールト時代の監督ファン・マルワイクのコメント)
「セードルフを見た時より、小野に会った時の方が衝撃を受けた」(元オランダ代表FWディルク・カイト)
「小野は天才。オランダ代表に小野より上手い選手はいなかった」(マンチェスター・ユナイテッドのFWファン・ペルシー)
世界的な名選手から賞賛されている
2012年にはオーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍
26試合で8ゴールを挙げ、チームリーグ参入初年度でのレギュラーシーズン優勝に貢献

そんなどこにでもいるプレイヤー、それが小野

カカ

カカなんて大したことはない

お父さんはエンジニアでお母さんは大学教授で
幼い頃から名門サンパウロでプレーし
小学生の頃サンパウロジュニアで日本の山形に短期滞在して
その時お世話になった老夫婦の恩を忘れず、
ずっと手紙でやり取りし
02年ワールドカップで日本に来たとき、
ブラジル代表戦のチケットを老夫婦に送り
その当時貰ったこいのぼりのおもちゃや5000円札を
今でも大切に持っていて
18歳の頃、プールで飛び込みをした時に脊髄を損傷し
視力がかなり落ちても夢を諦めずプロになり
イタリアの名門ACミランに移籍して 富と栄誉を手にして、
昔から付き合ってる幼馴染は
クリスチャン・ディオール・ブラジルの偉いさんのご令嬢で、
すんごい美人で料理が上手なのに、
メディアにしゃしゃり出たりせず、
ミラノの大学に在学中で、結婚の約束をしているのに
正式に結婚するまではセックスはしないと誓い、
それを頑なに守った。

そんなドコにでもいるプレーヤー、それがカカ。

ルイス・スアレス

スアレスなんて大したことはない

9歳のときに7人の子供を残して父親が蒸発して、
13歳になったときに家族を助けるために
実家から500km離れたウルグアイの名門
ナチオナル・モンテビデオに行き、
掃除の仕事をしながらユースに通ったものの
1年間は酒に溺れて14歳でアルコール中毒になるが
2005-2006シーズンの優勝に大きく貢献して
オランダのFCフローニンゲンへの移籍がきまり
翌年、FCフローニンゲンで10ゴールの活躍をして
名門アヤックスに移籍が決定して
アヤックスで年々ゴールを量産するようになり
2009-2010シーズンは33試合で35ゴールという快挙をなしとげ
歴代10位の若さでエールディビジで通算50得点を達成して、
2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会では
ウルグアイを40年ぶりにベスト4に導き
イングランドの名門リヴァプールに移籍してからもゴールを量産
2012-2013シーズンにはリーグ戦で30ゴール
2013-2014シーズンではプレミアリーグの現在得点王争いのトップ

そんなドコにでもいるプレーヤー、それがスアレス。

ポール・スコールズ

スコールズなんてたいしたことはない。

マンチェスターすぐ近くのサルフォードという街で生まれて、
子供のころ患っていた喘息を治すためにサッカーをはじめ、
後に「トレブル(三冠)」を達成するベッカム、ギグス、ネヴィル兄弟、バット等がいた
ユースチームのコーチから「今まで見てきた選手の中でも最高の天才」と評価され、
同期で最も早くトップチームに定着し出場停止中のカントナの穴を埋める活躍を見せ
以降マンUとイングランド代表の中盤に定着、
本職のCMFからサイド、セカンドトップまでを柔軟にこなすサッカーセンスと、
高い戦術眼、機動力、高精度のパス、強力なミドルシュートなど全ての能力を備え、
ジェラード、ランパードという世界最高レベルのCMFを抱えるイングランド代表でも
未だに代表復帰を希望する声が消えることはなく、
監督であるファーガソンやチームメイトであったベッカム、
OBのボビー・チャールトン、クライフ、ジダン、アンリ、ネドヴェドなどの
偉大な選手からその能力を高く評価され、サッカー関係者の間では
「ジダンに匹敵する才能の持ち主」という評価が一般化しているにも関わらず、
シャイで寡黙な性格から目立つことを好まないためメディアに登場することが少なく、
その実績に対する一般の人気や知名度が低く
「世界一過小評価されているフットボーラー」と言われているが、
本人はそのようなことを全く意に介せず、
息子と共に地元の3部チームの試合に行く事を何よりも楽しみにしている

そんなドコにでもいるちょっと小柄なフットボーラー、それがポール・スコールズ。

サントス

サントスなんて大したことはない。

ブラジルリーグ屈指の名門クラブで
かつてはペレやキングカズもプレーし
リベルタドーレス杯も制し日本にやってきた
FWはネイマールとボルジェスが強力な2トップを形成し
その後ろでガンソとエラーノが支える
ボランチの岡本と藤田も献身的なプレーを続け、
最後にはGK赤星が立ちはだかる。
J2オリジナル10の一員なのに、なかなかJ1昇格をせず兄貴と慕われ、
経営危機や赤帽による強奪を乗り越え、ついにJ1に昇格した。

そんなドコにでもあるクラブチーム、それがサガントス。

セルジオ越後

セルジオ越後なんて大したことはない。

両親は日本人で日系二世として生まれ、娘はタレントのエチゴ由衣で
18の頃、ブラジルの名門コリンチャンスと契約し、
日系二世として初めてブラジル一部リーグでプレーし、
同期のリベリーノとはブラジルへ帰る度に親交を続ける旧友で
今やロナウジーニョの代名詞のフェイントのエラシコの創始者であり
東京五輪の代表候補だったにも関わらず日系人を代表に
したくないチームのオーナーにプロ契約と引き換えに断念させられ
23歳の頃、将来への不安から一時プロから引退したものの
4年後に日本からの熱心なオファーを受けて現役復帰し
日本人選手として帰化を頼まれたものの母国で散々辛い目にあったのに
自分は中身はブラジル人だからと断り
引退したあと北海道から沖縄まで少年サッカー教室を開き続け
文部省から生涯スポーツ功労者に表彰された

そんなドコにでもいるおっさん、それがセルジオ越後。

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