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日本国内であった有名なUFO宇宙人遭遇事件まとめ

日本国内の有名な宇宙人UFO遭遇事件をまとめました

更新日: 2014年03月03日

ルサンさん

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日航ジャンボ機UFO遭遇事件

日航ジャンボ機UFO遭遇事件(にっこうジャンボきユーフォーそうぐうじけん)は、1986年11月17日に日本航空の貨物機が、アメリカのアラスカ州上空で未確認飛行物体(UFO)に遭遇しUFOに追跡された事件。

事件当日のJAL1628便

使用機材:ボーイング747-246F
コールサイン:Japan Air 1628
フライトプラン:パリ発アンカレジ経由東京行
コックピットクルー(年齢は全て事件当時) 機長:寺内 謙寿(47歳)
副操縦士:為藤 隆憲(39歳)
航空機関士:佃 善雄(33歳)

母船型UFOとの遭遇

1986年11月17日、パリ発アンカレッジ経由東京行きJL1628便、日本航空のボーイング747-246F貨物機が、アメリカアラスカ州のフェアバンクス上空の高度約10,000メートルを飛行中に、両端にライトを点灯させた巨大な母船型UFOに遭遇した(ただし、「母船型」と言っているのは寺内機長だけで、副操縦士は「光は見たが、機長の言うような形には見えなかった」と証言している)。

同機の寺内機長によると、UFOは自機の大きさの3~4倍にも匹敵する巨大な球形で、1時間弱の間、旋回して逃れようとした同機と併走するように移動し、機内の気象レーダーにもはっきりと写ったが、なぜか雲のような透明状のものとしてレーダー上では写っていたとのことである(金属製の物体なら赤く映るがUFOの像はグリーンであった)。

このUFOについては、米国連邦航空局(FAA)の地上レーダーと米軍のレーダー局からも捕捉され、刻々と占位を変えるUFOの相対方向を機長が報告する中で、米軍レーダー局からはそれに整合するレーダー反応が逐次報告された[1]。ただし、後述のキャラハン氏以外の証言では、レーダーには何も映っていなかったということである。この地上レーダー管制との会話において、管制局から「調査のため空軍機の飛行を依頼するか」との提案があったが、寺内機長は当該提案を断った。この提案を断ったことについては、後に機長自身による「非常に高度に発達した飛行機に対して、あるいは宇宙船に対して行動を取った場合に、彼らはものすごい技術を持っていますんでね。"なんか変なことでもされたんでは申し訳ない"という気持ちがありますもんで、即座に断りました」という発言があった。 その後、JL1628便がアラスカ行きのユナイテッド航空機と行き違ったところ、UFOは反転して今度はユナイテッド機の追尾を始め、同機がアラスカに着陸すると何処かに消失した。

なお、このUFO目撃事件については、「航空機の安全運航に影響がある」とされたことから、アンカレッジ着陸後、アメリカ連邦航空局(FAA)によって機長の事情聴取が行われ、寺内機長については酩酊などの可能性がないことが報告されている。

機長が事件の詳細を共同通信社に勤務する友人に話したことから、この事件を共同通信社が世界各国に向け配信、事件が公になり、当時日本をはじめとする各国のテレビニュースや全国紙、週刊誌などで大きく報道された。しかしながら、なぜかその直後に「UFOではなく惑星を見間違えたもの」とする解釈が報道された。また第一報の時点でも、副操縦士は、光は見たが飛行物体の形は確認できなかったと証言しており、航空機関士は何も見ていないと証言している。またさらに機長は、機内が照らされて熱も感じたと述べているが、副操縦士も機関士も、そんなことは無かったと否定している。 機長はこの事件の前後にもUFO目撃談を語っており、この事件の後でも再びアラスカ上空で「UFO」を目撃しているが、これに関しては、光柱現象の誤認であると認めている[2]。また、機上レーダーに雲状のものとして映ったことは、この時の「UFO」も、実際には氷晶を含んだ雲で光柱現象だった可能性を示している。 また、「F-15の飛行を依頼…」という会話は交信記録には無いと言われている。実際、外国の民間人にそのような判断を求めることは極めて不自然である。

この事件は、20世紀末までは「機長の錯覚」として人々の記憶から忘れら去られていた。しかし、2001年に、かつてのNASA関係者や退役軍人、政府関係者、航空メーカーの技術者などが『ディスクロジャープロジェクト』というUFOや宇宙人に関する情報公開を目的とした記者発表会をワシントンDCで開催し、本件については連邦航空局(FAA)職員であり事件当時を含む1981年~1988年にかけて事故調査部長だったジョン・キャラハンより、日航機長の報告を裏付ける証言が為された。

キャラハンによると、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは実際にレーダー上で確認され、機長の要請に呼応する形でFAAがレーダー追跡し管制対応と記録を行っていた[1]。その後事件がマスコミに漏れて騒ぎになったことから、FAAのアンカレジ支部は業務に支障を来たし、事件翌々月の1987年1月、対処をキャラハンが率いる事故調査部に一任した。キャラハンは全ての資料と記録をFAAの技術センターに移送させ、模擬管制室を用意して録音やデータを元に管制経過のリアルタイム再現を行った。これに立ち会って内容を知ったキャラハンは報告のためFAA本部に戻り、当時FAA局長だった退役海軍中将Donald D. Engenに再現時のレーダースクリーン状況を録画したビデオを見せた。するとEngenはその夜の予定を全てキャンセルし、「大統領に面会する」として出て行った。この二日後、FBI、CIA、および当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン直属の科学調査班が召集され、キャラハン他FAA関係者22名を含めた報告会議が開かれた[3][4][5]。この会議の終わりにおいて、参加者全員に対してCIAから緘口令が宣告され、公式には本事件は存在せず、この会議も開催されなかったこととされた[3][1]。このとき、FAAが会議に提出した資料やレーダー記録等はCIAらにより全て持ち去られたが、FAA側は他にも報告書や録音テープ、再現状況録画ビデオの原本等を保有しており、これらは気付かれず特に提出を命じられなかった。このためキャラハンらはこれらを保管し続け、後に一部を公表した[6][7]。

また、レーガン大統領はこのUFO遭遇事件の報道に関してマスコミに圧力をかけたといわれている。HAARPによる何らかの秘密実験との関連を指摘する説もある。

甲府UFO遭遇事件

1975年に山梨県甲府市で起きた、UFOと宇宙人を目撃したと報道された事件。日本で起きたUFOや宇宙人関連の目撃事件としては最も有名な部類に属する。

備考・疑問点

1975年2月23日午後6時頃、帰宅途中だった甲府市立山城小学校の生徒児童2名がオレンジ色の未確認飛行物体を発見したとされる。児童の話によるとUFOとされる物体は彼らを追いかけるような飛行をし、2人は逃げて物陰に隠れたという。これにより児童は未確認飛行物体を見失った。その後、二人はブドウ畑に降り立ったUFOを再度発見したと伝え、機体からはチョコレート色でしわしわの「のっぺらぼう」状態をした宇宙人が現れたと話した。児童のうち1名は背後に回りこんだ宇宙人に肩をたたかれ、その場で恐怖のあまり座り込んでしまい、もう1人はその場から逃げて家族を呼びに行ったが、家族が駆けつけたときには宇宙人は姿を消していた。しかし、消えていくUFOと着陸痕らしきものを児童の家族も目撃したと話したとされる。これらの報告を受けて放射能の専門技師である前田進は現地の調査を行った。その結果、UFOが着陸していたとされる場所からは人工的な残留放射能を検出したと一部のマスコミが報道した。しかしながら、放射能を人工とする根拠は示されていない。

目撃した児童と家族の具体的な証言にくわえ、甲府市環境センターの管理人がぶどう畑からUFOが飛び立つのを目撃した証言や、UFO着陸現場付近を車で走行中だった保険外交員の女性が、その宇宙人らしき人物と遭遇した証言等があり、以下に示される調査結果が出されている。

目撃された宇宙人が「帰ってきたウルトラマン」に出てくるバット星人のソフトビニール人形と似ているという指摘がある。また、子供のジョークを大人が真に受けて、子供たちを引くに引けなくさせると言うコティングリー妖精事件やフォックス姉妹のラップ音の事件と類似する構造が指摘されている。ブラジルでおこったヴァルジーニャ事件は、酔った少女の冗談をテレビ局が取り上げ放映したためにおこったが、この点では類似している。

一方で、甲府市環境センターの管理人がUFOが飛び立つのを目撃した証言や、UFO着陸現場付近を車で走行中だった保険外交員の女性が宇宙人らしき人物と遭遇した証言もあるが、こうした証言を集めたのが既にインチキがばれていたアダムスキーを信奉する雑誌であり、その正確性や公平性が高いとは言えない。

また、「UFO」の目撃情報は総合すると旅客機の飛行時間とコースに一致している上に、南山宏が指摘するように、上には鳥除けのネットが張られ、支柱に囲まれたブドウ畑に、どうやってUFOが着陸したのかと言う点で辻褄が合わない(支柱が倒れていたのは確かだが、目撃証言の大きさに対して小さすぎるし、そもそもブドウの木が被害を受けていない)。検出された放射能も、自然界のレベルを超えたものではないと言われている。従って、宇宙人の宇宙船がブドウ畑に着陸し付近を歩行探索したとされる話は、信頼性が低い。

介良(けら)UFO捕獲事件

1972年、高知県高知市東部の介良地区であったとされる、当時中学生(複数)が遭遇した両手に乗るほどのサイズの小型未確認飛行物体捕獲事件である。

ある日、中学生の友達グループ数人が田んぼのなかで地上1m程のところに静止していたハンドボール大で色とりどりに発光する物体を発見する。気になった中学生達が翌日、同じ田園に行くと、前日と同じ発光する物体の下に灰皿のような奇妙な物体が発見される。その物体は灰皿そっくりであったが、底面中央の正方形の中に直径3ミリほどの穴が多数開いていてまわりに古代壁画のような図柄が描かれていた。

グループのうちの一人が、家へ持ち帰ってその物体を調べようと考え、たんすに収納しておいたが、翌日になると姿を消して元あった場所にもどっていた。ふたたび友人とともにその物体を確保し、調査のため分解しようとしたり、内部を観察したり水を注ぎこむなどといった実験をする。しかし傷一つつかず、ヤカン2個分の水を飲み込んだという。そのあとも何度か、収納しておいてもまた逃げて元の田んぼにもどり、それをまた確保するという事をくりかえした。最後に一人がひもできつく縛って運ぼうとするが、途中でハンドボール大の発光する物体が出現し何らかの力により引っ張られ、気づいたときには物体は消失していた。この物体は写真をとろうとしてもシャッターがおりなかったり、フィルムが真っ黒になったりしたため、ボヤけた写真が一枚とれたのみであった。[1](ピントが合っており物体が識別できる写真は全て再現模型を映したものである。)

物的証拠はなく、これらの中学生たちの言葉のみにより事実であると主張されている事件である。なお、作家遠藤周作がこの事件に興味を持ち高知まで出向き中学生らを取材。後にエッセイにまとめている。

この事件の特徴の1つに、UFOの裏面に描かれていた模様の独特さがある。そこには石器時代のカナヅチ様の古代の壁画を思わせるような意味不明の図柄や『静海波』と呼ばれる魚の鱗状の規則正しい文様が描かれていた。

図形が表す意味については、弘法大師が杖で突いて滝が出現した伝承を図案化したものではないかという説がある。

作家の清水一夫が、後に事件の目撃者のインタビューを取っている。その際、目撃者の二人がUFOの大きさを巡って真剣な言い争いを始めた。作り話なら口裏を合わせるのが普通なため「これは本当に何かあったんだな」という印象を受けた、と清水は語っている。

水産庁調査船「開洋丸」UFO遭遇事件

1984年12月18日、南アメリカ大陸の南端、大西洋上のフォークランド諸島近辺での水産庁調査船開洋丸のUFO遭遇事件である

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