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村田・桑田氏を救ったゴッドハンド「ジョーブ博士」が死去

米大リーグ、ドジャースは6日、球団の医療部門に長く携わってきたフランク・ジョーブ博士が同日朝、カリフォルニア州サンタモニカで死去したと発表した。

更新日: 2014年03月07日

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syatohanさん

米国のプロ野球で投手の肘靱帯を修復する手術を初めて成功させたスポーツ医学の権威、フランク・ジョーブ博士が6日、死去した。

◎看護兵を経て、ドジャースのチームドクターに

高校卒業後、陸軍に入隊。第2次世界大戦では看護兵として従軍。軍医の勧めで除隊後に医学の道へ進んだ。

◎初めて肘の靱帯再建手術をした、ドジャースのトミー・ジョン

初めて大リーグの選手に肘の靱帯(じんたい)再建手術をしたのは、39年前の1974年9月25日だった。患者はチームドクターを務めていたドジャースの左腕、トミー・ジョン氏

1974年7月17日のエクスポズ戦で、左肘の腱を断裂する大怪我を負う。当初選手生命はおろか、日常生活にも支障を来しかねないほどの大怪我と診断され、再起は絶望視された

怪我からの復活劇から、あだ名は「バイオニック・トミー」。

◎怪我からの復活!「バイオニック・トミー」

手術後の1975年、1シーズンをリハビリに充てて完全休養。76年に復帰し20勝を挙げた。

◎この手術が「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになる

ジョンの手術以降、同様に肩や肘を故障していた数多くのプロ野球選手に対して同様の手術を行い、多くの選手が故障から復活した。米国では現在、この手術をトミー・ジョン手術と呼んでいる。

◎研究熱心な「フランク・ジョーブ博士」

クリニックでの診察後に連日ドジャースタジアムへ行き、七回まで観戦してから帰宅するのが日課になった。「選手の動きを見ておくと参考になることが多い」。週4日は手術で、それ以外の日は解剖などの研究に費やした。

◎日本人では、「マサカリ投法」村田兆治も

82年、右ヒジの靭帯を傷めてしまい、再起不能の宣告を受ける。再起をかけて治療に挑むが良薬はなく、米国のフランク・ジョーブ博士を頼った。

当時の日本プロ野球界では、利き腕を痛めて手術を受けても絶対に復帰できないと思われていました。今でこそ、手術を受けて復帰した選手は増えましたが、当時は誰もいない。

手術後に驚異的な回復を見せ3年後に17勝をあげ、見事カムバックする。

復帰後、中6日の日曜日登板というローテーションを取り、「サンデー兆治」と呼ばれ、勝ち星をひとつずつ積み重ね、1989年5月13日に200勝を達成。

◎「桑田真澄」もジョーブの手によって復活!

1995年6月15日、阪神タイガース戦の3回表において、湯舟敏郎の放った三塁線沿いの小フライ捕球の際に右肘を強打、その後も6回途中に降板するまで遜色無い投球を続けていたが、後の検査で側副靭帯断裂の重傷を負っていたことが判明。

◎ジョーブか日本の医師に頼むか迷っていた…

「ジョーブさんに手術のことについて正直に話をしました。『いま、日本の医師の実力はすごいそうです。日本の医師は、ジョーブさんの時代は終わった、とも言っています』と。普通なら、世界的な医師ですし、怒るんじゃないかと思いましたが違いました。

◎桑田はジョーブ医師の手術に自らの野球人生を賭けた

『それでいいのです』と言うんです。『それぐらいの意気込みがないと医師の世界では一流になれないんだよ』と、あくまで僕の言葉に耳を傾けてくれました」

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