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【ウクライナ情勢】クリミアでロシア海軍が閉塞作戦、退役艦艇を自沈?|日露戦争時に旅順港で日本も実施

ロシア海軍がウクライナ南部クリミア・ドヌズラフ湾で閉塞作戦を行ったとの報道が。これはかつて日露戦争時に旅順港で日本が実施した作戦。どういった作戦かまとめました。

更新日: 2014年03月19日

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vnandbさん

クリミアでロシア海軍が閉塞作戦との報道

クリミア半島西部のドヌズラフ湾では、黒海に通じる湾の出入り口にロシア海軍の退役した艦艇が横倒しの状態で沈められています。これについて、ウクライナ国防省は、今月5日にロシア軍がみずから沈めたもので、湾内に停泊しているウクライナ海軍の艦艇の動きを封じ込めるねらいがあると批判しています。

ロシア海軍は6日、大型の老朽船(1973年就役=8,565トン、全長173メートル)を爆破してここに沈めた。水深が浅いため船は船腹をみじめにさらしている。湾内のウクライナ海軍艦船は「袋のネズミ」状態だ。海上戦術のひとつである閉塞作戦である。

閉塞作戦とは?

閉塞作戦(へいそくさくせん)とは、港湾の入り口に大型船舶を沈没させて港内の船舶を内部に閉じ込める海上封鎖の一種である。主に軍港に対して実施された。

かつて、日露戦争時に旅順港で3回にわたり日本が実施しました。

旅順港に立てこもったロシア艦隊を壊滅できない日本海軍連合艦隊は、港の入口を封じてしまう「旅順港口閉塞作戦」を決定しました。

第一次閉塞作戦は、1904年2月24日未明に実施された。5隻の老朽船と77名の志願兵を集めて決行したが、ロシア軍の沿岸砲台が閉塞部隊に激しい砲撃を浴びせたため、作戦は失敗した。機関兵1名が死亡した。

第二次閉塞作戦は、3月27日未明に決行された。4隻の閉塞船を投入して実行されたが、またもやロシア軍に察知されて失敗した。この作戦においては、閉塞船「福井丸」を指揮した広瀬武夫少佐(のち中佐に特進)が戦死し、のちに軍神とされ崇められた。また、杉野孫七上等兵曹(没後、兵曹長)、信号兵曹、機関兵が戦死している。

第三次閉塞作戦は、5月2日夜に実施された。12隻もの閉塞船を用いた最大規模の作戦であったが、天候不順と陸上砲台からの迎撃で失敗する。この際、野村勉少佐、向菊太郎少佐、白石葭江少佐、湯浅竹次郎少佐、高柳直夫少佐、内田弘大尉、糸山貞次大尉、山本親三大尉、笠原三郎大尉、高橋静大尉、寺島貞太郎機関少監、矢野研一機関少監、岩瀬正機関少監、清水機関少監、青木好次大機関士のほか、多数の准士官、下士及び卒らも戦死又は行方不明となっている。

第二次閉塞作戦で戦死した広瀬武夫少佐は軍神に

NHKでも放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも広瀬武夫少佐は出てきましたね。
閉塞作戦もドラマでやってました。

広瀬武夫
日本初の「軍神」となり、出身地の大分県竹田市には1935年(昭和10年)に岡田啓介(当時の内閣総理大臣)らと地元の黒川健士ほか数百名の手により広瀬を祀る広瀬神社が創建された。また文部省唱歌の題材にもなる。また、直撃を受けたさい、近くにいた兵のそばを飛び散った肉片がかすめていった。その痕跡がくっきりと残った兵の帽子が靖国神社遊就館に奉納されており、時折展示されている。

NHKの「坂の上の雲」では藤本隆宏さんが熱演していました。

ロシアが閉塞作戦を実施した狙いは?

湾内に籠る軍艦を撃破するには、日露戦争の時代とは異なり、現代では航空戦力やミサイルなどの攻撃手段もあります。

現代にあえて実施したというのは、直接戦闘を避ける狙いがあるのでは?と推測します。
ロシアが直接戦闘を避けるのは、この問題の深刻化を避け、経済的な影響を最小限に留めたいという動機があるのではないでしょうか?

今回、ロシア軍は軍事的要衝であるクリミア半島の確保という目標を、迅速に先手を打つことで、直接的な戦闘を避けながら達成しつつあると感じます。

このまま、直接交戦することなく、ロシア軍のクリミア確保が既成事実化した場合、この閉塞作戦はこの一連の動きの象徴的な作戦になる気がしますね。

2014/3/18、ロシア大統領、クリミア編入を表明

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