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桶川女子大生ストーカー殺人事件【小松和人】

1999年10月26日、埼玉県桶川市のJR桶川駅前(おけがわマイン付近)で発生。女子大生(当時21歳)が元交際相手の小松和人(当時27歳)などのストーカーグループにストーカー行為をされたあげく、殺害された事件である。

更新日: 2014年08月27日

win-winさん

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桶川女子大生ストーカー殺人事件

桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)とは、1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市の東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線桶川駅前で、女子大生(当時21歳)が元交際相手(当時27歳)とその兄が雇った男によって殺害された事件である。

概要

被害者がこれらのグループから監視・中傷・脅迫・プライバシーの侵害等のストーカー行為を受けていたために、「ストーカー殺人事件」と呼ばれることが多い。またこの事件がきっかけとなって、「ストーカー規制法」が制定された。
この事件は警察の怠慢な捜査も発覚した事件でもある。被害者とその家族は、幾度となく、管轄の埼玉県警上尾警察署(以下上尾署)に相談し告訴状を提出していた。しかし上尾署側は捜査をせずにこれを放置し、被害者の家族に告訴の取り下げを要求した。上尾署の不正は写真週刊誌・フォーカスが明らかにした。また、告訴状を改竄していたことは内部調査で明らかになった。最後に埼玉県警が不正捜査を認めて謝罪することとなったが、遺族が埼玉県警を相手に国家賠償請求訴訟を起こすことになった。
改竄に関わった署員は懲戒免職になり、のちに有罪判決を受けた。
栃木リンチ殺人事件、新潟少女監禁事件に続き、それまで希薄だった警察という権力に対する非難・バッシングが顕在化していくきっかけとなった事件である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

不安

1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市のJR桶川駅西口前のスーパー脇の路上で、上尾市在住の跡見学園女子大2年・S子さん(21歳)が男にナイフで左胸と脇腹を刺された。男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。
 S子さんは大学に向かう途中に、自転車置場に自転車をとめたところを襲われたものと見られた。
 
 当初は通り魔の犯罪とも見られた事件だが、家族や友人の話から1人の男の名が浮上した。
 男は、以前にS子さんと交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)のことである。小松はこの年の1月頃にS子さんと知り合い、交際と始めていたが、別れ話を切り出されると、執拗に嫌がらせを繰り返していた。いわゆる「ストーカー」という行為である。ストーカーはそれまでにTVドラマなどで取り上げられたりして、一般の人々にその意味合いは知られていたが、実際に殺人事件にまで発展するケースは稀だった。
 和人はS子さんの前に交際していた女性に対しても同じような嫌がらせをしていたようだった。その和人も、事件後から行方をくらませていた。

 ただ和人は身長180cmで「羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような色男」らしく、目撃者の証言から「短髪、小太り、青いシャツ、身長170cmくらい」だというS子さんを刺した男とはどうも特徴が一致しなかった。
 小松の経営していたとされるヘルスのあるマンションの一室は、看板などは残っているものの、もぬけの殻だった。

 12月19日、小松和人の兄、小松武史(元消防庁職員 当時32歳)が経営する風俗店の店主・久保田祥史(当時34歳)が殺人容疑で逮捕された。久保田はS子さんを刺したという男の目撃証言とぴったり合っており、和人ともつながりがあった。
 その翌日には武史、伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)の3人も逮捕された。ちなみにこの4人の居場所をつきとめたのは警察ではなく、写真週刊誌「フォーカス」だった。彼らは事件が大々的に報道されると、店を閉めていたという。
 武史は8月頃に和人からS子さん殺害を依頼され、約2000万円を払って久保田に殺害を持ちかけた。ちなみに武史が兼業で風俗店を経営していたことは、職場(消防庁)では誰にも知られていなかった。

 年が明けて、2000年1月16日、S子さんに対する中傷ビラなどによる名誉毀損容疑で12人も逮捕された。
 だが首謀者と見られる小松和人だけは行方がわからず、指名手配した。武史は「和人は自殺するつもりだ」と言って彼の行きそうな場所を教えていた。

 1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で、男性の水死体がハクチョウを撮りに来ていたアマチュアカメラマンによって発見された。遺体は小松和人で、死後2、3日経過しており、自殺と見られた。その理由は首のまわりに浴衣の紐が巻かれていたことや、手首にためらい傷、体内から睡眠薬が検出されたからだった。
 和人は事件直前に沖縄へわたり、その後名古屋に潜伏した後、北海道へ来ていた。

http://yabusaka.moo.jp/okegawa.htm

愛・憎しみ・狂気

1999年1月、和人とS子さんは大宮駅東口のゲームセンターで知り合った。声をかけてきた和人はこの時、名前を「誠」、職業は外車ディーラー、年齢を23歳と詐称していた。確かに年よりは若く見える男だった。

 やがて2人は交際を始める。最初は優しい男だった。
 和人は常に札束を持ち歩き、高級ブランド品をプレゼントするなどしていた。それをS子さんが遠慮すると、「俺の気持ちをなぜ受け取れないんだ!」と怒鳴り出したという。
 また3月20日に池袋の和人のマンションに遊びに行った時、はなぜか室内にビデオカメラが仕掛けられていた。S子さんがそのことを尋ねると、和人は「お前、俺に逆らうのか。なら、今までプレゼントした洋服代として100万円支払え!」と言って怒りだし、壁を何度も殴りつけて穴を開けたという。和人はさらに「返さなければ風俗で働け」、「俺と別れるんだったら、お前の親がどうなっても知らないよ。リストラさせてやる」と脅してきたため、S子さんは恐怖にかられたものの、仕方なく交際を続けた。

 その日から、和人は頻繁に電話をかけてくるようになった。30分おきに電話して、彼女の生活を知ろうとした。S子さんが出ないと、自宅や友人のところに電話をかけた。
 S子さんが愛犬の散歩中にかかってきた電話では、「俺を放っておいて、犬の散歩してるのか。おまえの犬も殺してやるぞ」と怒鳴った。

 3月24日、S子さん、友人に「私、殺されるかもしれない」と話す。

 4月、S子さんは和人に嫌われるために、強烈なパーマをかけた。しかし、S子さんの友人づてに事情を聞いた和人にはこの作戦はバレていた。

 4月21日、和人は「お前は折れとだけ付き合うんだよ。その誠意をきちんと見せろ」と、S子さんに携帯電話を2つに折るように命令した。S子さんは言われた通りにし、友人の番号メモリーを失うことになった。

 6月14日、異常な和人の愛に我慢できなくなったS子さんは池袋駅構内の喫茶店で別れ話を切り出す。それまでにも何度か「別れて欲しい」と頼んでいたが、父親の勤め先などの情報を手に入れており、「リストラさせてやる。そうすりゃ、小学生と浪人生の弟達は学校に行けなくなっちゃうよ」、「それでも別れるというなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す」と脅されていた。
 この日の別れ話はS子さんにとって、決死の告白だったはずだ。これに対して、和人は「弁護士に相談する」と言って電話をかけた。S子さんが電話をかけると、弁護士と名乗る男は「今からお宅に伺います」と言って電話を切った。

その夜、和人と武史、柳直之(当時29歳)の3人がS子さん宅にあがりこんだ。
 和人の上司と名乗った武史が言う。
「和人が会社の金を500万円横領して、お宅の娘に貢いだので半分の250万円を支払え。しかもこいつ(和人)を精神的に不安定にした。病院の診断書があるんだ。とにかく誠意を見せろ」
 父親が帰宅してきて、「女しかいないところに上がり込んでいるのはおかしいじゃないか。警察がいる前で話そう」と一喝されると、男達は「会社に内容証明付きの文書を送りつけるから、覚えておけ」と吐いてようやく帰っていった。この時、S子さんはこのやりとりをカセットテープに録音していた。
 和人はその帰り道、仲間に「このままじゃ気が済まない。S子とセックスしている時の写真があるから、それをバラ撒こう。それに、レイプしてビデオに撮影しよう。柳さん、やってみない?成功報酬として500万円出すからさ」と持ちかけた。

翌15日、S子さんと母親は、前夜に録音したカセットテープを持参して上尾署に相談に訪れた。しかし、署員は「事件か民事かギリギリだな。警察は難しいよ。あんたもいい思いしたんじゃないの」と、真剣に対応しなかった。

 7月13日、S子さん宅の近所などで、中傷ビラがばらまかれた。ビラはS子さんの顔写真、実名、「WANTED」「天にかわっておしおきよ!!」という見出し、それから彼女を誹謗中傷する台詞もある手の込んだものだった。このビラは専門の業者が作ったもので、S子さんの通う大学近くや最寄の駅前にもあった。
 またS子さんの顔写真、「大人の男性募集」というメッセージ、電話番号が記載されたカードが都内でもばらまかれており、インターネットにも同様の書きこみがあった。ちなみにこの頃和人はアリバイづくりのために沖縄に滞在していた。
 近所の人からビラについて知らされたS子さんの母親は上尾署に向かったが、簡単に事情聴取しただけで帰された。母子はその後も何度も警察署に相談したが、「大学の試験があるんでしょう?終わってからでいいじゃない。一週間後に来てよ」などと相手にされなかった。

 7月下旬、S子さんは上尾署に訪れ、「犯人は小松和人に間違いありません」と名誉毀損容疑で告訴。だが警察は捜査をした気配はなかった。

 8月下旬、S子さんの父親の勤務先や、その本社にも中傷文書届く。その封書は550通にも及ぶ。このことがあって父親は警察に相談に行ったが、「警察は忙しいんですよ」とまたもまずい対応をした。

 9月、上尾署係員は仕事が増えるのを嫌がり、S子さんの「告訴」を「被害届」に改ざん。S子さんの母親に「告訴取り下げ」を要請した。

 そんななかで事件は起こった。
 事件後、上尾署では捜査ミスを隠すために嘘の調書を作成していた。

 S子さんは、和人を中心とした何人もの男に散々名誉を傷つけられたうえ、殺害された。しかも、警察には放置され、事件直後の報道では、「ブランド品依存症の女子大生」とされるなど、誤報も目立った。S子さんとその家族は、つまり、二重、三重の被害者となっていたと言える。S子さんが、もしもの時のために小松による殺害を示唆した遺書のようなメモを残していたことが悲しい。「いつか殺される」という不安はかなりのものだったのだろう。
 
http://yabusaka.moo.jp/okegawa.htm

犯人追跡は1人のジャーナリストだった

この事件を正面から捉えて果敢な調査をしたのがFOCUSの清水潔記者だった。彼は詩織さんの友人から「詩織は小松と警察に殺されたんです」という言葉から衝撃を受けて調査を開始した。

次第に、和人の正体が判明していく。和人は池袋を中心に風俗店を数件経営していた。さらに、詩織さんを刺殺した犯人の人相から風俗店の従業員だった保田祥史(当時34歳)であることをつきとめた。さらに同僚の伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)も共犯であることをつきとめる。清水氏は某記者を経由して警察に連絡。警察もようやく動き出した。

12月19日、警察はついに久保田を逮捕した。取調べで「和人の実兄で小松武史(当時33歳)から悪い女がいるから殺してほしいと持ちかけられた」と供述。詩織さん殺害の実行犯は久保田、逃走用の車の運転は川上、詩織さんが自宅から出るところを見張っていたのが伊藤だった。さらに犯行後、殺しの報酬として武史から3人に1800万円を受け取っていたことが判明した。尚、詩織さん宅に乗り込んできたのは和人と2人の男、それは武史と久保田であったことも判明した。

だが、肝心の和人の行方は掴めなかった。沖縄に潜伏しているという噂があったが、実は北海道へ逃亡していた。12月27日、屈斜路湖に身投げして自殺していた。凍死した死体を検証した結果、和人であることが確認された。

共犯の4人は埼玉地裁から久保田祥史に懲役18年、伊藤嘉孝と川上聡に懲役15年を言い渡され刑が確定。小松武史は無期懲役の判決を不服として控訴した。

平成17年12月20日、東京高裁は主犯格である小松武史に対して「自ら手を下さずに、共犯者に多額の報酬を支払っており首謀者だ」として無期懲役とした一審の埼玉地裁判決を支持し小松武史の控訴を棄却した。

だが、事件の本質は和人が実行犯にどのような指示をしたのか?この背景の解明なくして事件の全面解決とはいえないのだが、警察はこの線の捜査に関しては消極的だった。詩織さんが悩んだあげく上尾署に相談した時、明らかに脅迫であり住居不法侵入であることが明確なテープまで持参しているのに警察は動かなかった。この時、警察が和人に何らかの行動を起こしていれば、詩織さんは今頃幸せな家庭を築いていたと思うと残念であり、また警察に対する憤りを禁じえない。

詩織さんにとって不幸だったのは、【何故あのときプリクラの機械が壊れていたのか】、【所轄が上尾警察署だったこと】、【犯人のあまりにも異常な性格】という3つが重なったことであろう。

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage60.htm

上尾署の担当警察官による、ずさんな対応と裏工作

上尾署の担当警察官による、ずさんな対応と裏工作

・ストーカー被害の告訴状を被害届に改ざん

・結果として捜査せず、殺人事件が起きてしまう

・火消しのためにマスコミに意図的な情報を流し被害者にも非があったという報道をさせる

・犯人を週刊誌記者に先に特定されてしまう

・その記者から情報提供を受けるも犯人を逮捕する気配なし

・実行犯は逮捕するも、主犯は逃亡しその後ヤクザがらみで何かあったらしく「自殺」

・めちゃくちゃな操作が国会で暴露されるも、数名の警察官を懲戒するだけでおしまい

・遺族が訴えを起こすと、一転「お前たちは金がほしいから訴えているんだろう」

・殺人事件の捜査のために押収した資料を警察が自己弁護に使う

・被害者が生命の危機を感じて予め記した遺書は、遺書ではなく妄想を書き綴った手紙という警察の主張

・しかし、主犯の遺書は間違い無く遺書である

警察官処分

この事件で、杜撰な対応をした警察官は以下の処分が下された

桐敏男、古田裕一、本多剛の3人を懲戒免職処分

西村浩司埼玉県警本部長(当時55歳)を減給10%(1ヶ月)

茂木邦英県警刑事部主席調査官(当時48歳/当時・上尾署刑事生活安全担当次長)を減給10%(4ヶ月)

横内泉刑事部長(当時40歳)を減給5%(1ヶ月)

渡部兼光上尾署長(当時55歳)を減給10%(2ヶ月)

山田効上尾署刑事生活安全担当次長(当時46歳)を減給10%(1ヶ月)他

犯人グループへの処罰

2001年7月17日
久保田に懲役18年、見張り役の伊藤嘉孝に懲役15年の実刑判決が下される。
2002年6月27日
車の運転手役の川上聡に懲役15年実刑判決が下される。
2006年9月5日
武史に対して、最高裁第二小法廷で無期懲役が確定。
なお、和人に関しては、名誉毀損罪の共犯とされたが、殺人罪の共犯とはされなかった。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その後

2000年10月26日
遺族が殺人や名誉毀損に関与した加害者およびその家族に対して損害賠償を起こす。
2000年11月24日
「ストーカー行為等の規制等に関する法律」が可決。
2000年12月22日
遺族が埼玉県警に対して、国家賠償請求訴訟を起こす。
ところが裁判になったとたん、埼玉県警は意味不明な反論をし始める。
2003年2月16日
埼玉県警側に遺族に対して、計550万円の支払いを命じたが、双方とも控訴。
2005年1月26日
控訴を棄却。後の最高裁でも上告が棄却したため、判決が確定。
2006年3月31日
加害者側に対して、計1億250万円を支払いを命じた。
和人に関しては、先ほど述べた通り、刑事訴訟では殺人罪の共犯とは認定されなかったが、民事訴訟では殺人の責任があるとしている。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

関連書籍

ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた……。埼玉県の桶川駅前で白昼起こった女子大生猪野詩織さん殺害事件。彼女の悲痛な「遺言」は、迷宮入りが囁かれる中、警察とマスコミにより歪められるかに見えた。だがその遺言を信じ、執念の取材を続けた記者が辿り着いた意外な事件の深層、警察の闇とは。「記者の教科書」と絶賛された、事件ノンフィクションの金字塔!

あれから1年、FOCUS記者が描き出す事件の全貌!1999年10月26日、埼玉県の桶川駅前で女子大生が殺された。犯人は逃亡、警察捜査は進まず、事件は解決から程遠いかに見えた。だがひとりの記者が、被害者の遺した言葉だけを頼りに取材を続け、やがて警察より先に犯人に辿りつく―取材の過程を刻明に描出し、事件の深層を抉り出す。衝撃のノンフィクション。

本書は、「ストーカー」というきわめて現代的なテーマを取材する過程で、「権力の腐敗」というもう1つの時代の病弊をえぐり出すに至る放送ジャーナリストの活動を、時系列的に記述したドキュメントだ。番組制作という時間的な制約もあって、冒頭から緊迫した記述が続いている。警察への質問状提出、その回答と当事者取材との食い違い、そして放映。錯綜する警察の再回答と展開する両者の攻防はスリリングなものだ。

動画で見る「桶川女子大生ストーカー殺人事件」

2012年9月26日 - 日本テレビのザ!世界仰天ニュースで『桶川女子大生ストーカー殺人事件の真相!警察の大失態』が放送され、長崎で起こった別のストーカー殺人事件や被害者遺族のインタビューも取り上げた。

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事件・事故の話題などを中心にまとめています。

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