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【巖流】悲運の天才剣士『佐々木小次郎』は、実は謎の多い人物だった!?

剣客。生没年不詳。小説や映画で宮本武蔵と決闘することで有名であるが,実像には不明な点が多い。流名が〈巌流(がんりゆう)〉であるところから,小次郎のことを巌流とも呼ぶ。越前国浄教寺(一説に周防(すおう)国岩田)の生れで,中条流の名人富田勢源(とだせいげん)の高弟というのが通説である。

更新日: 2019年01月15日

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Quoll-x-llvさん

【かんたん目次】

1.佐々木小次郎とは?
2.小次郎は美青年ではなかった?
3.小次郎の師匠は?
4.小次郎の生まれはどこ?
5.巌流島はどこにある?
6.巌流島の決闘の時、小次郎は何歳だった?
7.小次郎は“聾唖(ろうあ)”の剣士だった?
8.小次郎の必殺技は? → 燕返し
9.実は武蔵の一撃をくらった後、小次郎はしばらく生きていた?
10.小次郎には妻がいた?
11.小次郎は実は暗殺された?
12.小次郎のお墓はどこにある?
13.佐々木小次郎の能力を数値化するとどうなる?
14.ドラマや映画、アニメなど各メディアでの小次郎役って誰が演じた??

■観光スポット
■おまけ

1.佐々木小次郎とは?

宮本武蔵の宿敵で、巌流島の戦いが有名

しかし、実は、生没も、出生地も、名前についても詳細については不明な点が多い人物です

そもそも、佐々木と言う姓名も・・・

「小倉碑文」には、小次郎の名は「岩流(巖流)」としか書かれていません。文書に「佐々木」の姓が登場するのは、武蔵の死後130年経った1776年に書かれた『二天記』が初めてで、それまでに佐々木の姓は記録になく、『二天記』が準拠した『武公伝』には「小次郎」とあるのみ。

小次郎は武蔵と同い年で、聾唖(耳の聞こえない)剣士として描かれています。

勝者が歴史を作ると言われており・・・

実際の「佐々木小次郎」は「佐々木小次郎」と言う名ではなかったかもしれませんし、めちゃくちゃ強かったかもしれませんし、あまり強くなかったのかもしれませんし(勝者武蔵が自分を大きく見せる為に小次郎を強敵とした)、美青年ではなくブサ面だったかもしれませんし、青年ではなく高齢だったかもしれません。そもそも佐々木小次郎という人物が存在しなかった可能性も否定できませんし(モデルとなった人はいるでしょうが)、真実は闇の中で、勝者が歴史を作るのです。

「海賊が悪!!? 海軍が正義!!? そんなものはいくらでも塗り替えられて来た…!!!
平和を知らねーガキ共と戦争を知らねーガキ共との価値観は違う
頂点に立つものが善悪を塗り替える!!
今この場所こそ中立だ!!
正義は勝つって!!そりゃあそうだろう!!勝者だけが正義だ!!」

勝者が歴史を作った!?真実は闇の中・・・

・・・とは言え、一般的な簡単プロフィール(笑)

佐々木小次郎は、慶長17年(1612)4月13日、巌流島で宮本武蔵と歴史に残る決闘を演じた剣豪である。当時西国第一の剣豪だったといわれる。

吉川英治の『宮本武蔵』では、小次郎は前髪立の美青年で、物干し竿といわれるほどの長剣を背負い、“燕返し”という秘剣をつかったとされている。

宮本武蔵の死後120年ほどして書かれた武蔵の伝記『二天記』によれば、小次郎は越前の生まれで、同国の中条流の剣豪・富田勢源の家人となり、幼少のころから兵法の稽古に励み、勢源の打太刀をつとめるほどになった。勢源といえば小太刀の名手である。稽古でも相手に3尺以上の大太刀を持たせ、自分は小太刀で戦ったという。小次郎は大太刀を使ったが、勢源の小太刀に対してまずまずの技能を発揮した。

師匠は富田勢源?

(生没年不詳)

戦国時代の剣豪。条流(後に冨田流とも呼ばれる)の遣い手。

小次郎はさらに鍛錬を続け、勝つことを工夫したので、高弟たちさえも小次郎の太刀先に及ばなくなった。最後に勢源の弟・富田治部左衛門景政と勝負し、これにも打ち勝った。これを機に、小次郎は勢源のもとを立ち去ったのである。

こののち、小次郎は自らの流派を巌流と呼び、諸国をめぐり、高名の武芸者と数度勝負をしたが一度も負けなかった。

小次郎が豊前小倉にやってきたとき、その評判を聞いた藩主・細川忠興が小次郎を小倉に留め、小倉では小次郎の門弟となる者が増えた。

ここに武蔵がやってきて、お互いの腕前を競うために、巌流島で決闘ということになった。このとき小次郎は18才だったと『二天記』は記している。

2.小次郎は美青年ではなかった?

色んな漫画でもアニメでも実写版でもゲームでも、とにかく美青年として登場しています。

写真も残っていないのでハッキリとはわかりませんが、“前髪立の美青年”というのは吉川英治さんの作ったイメージが広まったものです。

江戸時代の絵本などでは、武蔵のほうが美青年で、小次郎は髭だらけの豪傑風に描かれています。

(左)宮本武蔵、(右)佐々木小次郎

中央が佐々木小次郎、右端の白い顔が宮本武蔵

3.小次郎の師匠は?

「二天記」で「佐々木小次郎は富田勢源の弟子で18歳」と書いてあるのですが、本当に「富田勢源の弟子」だったら、18歳どころか、70歳を超えるおじいちゃんだったということになります。

富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎の弟子?
(「宮本武蔵」吉川英治/作や、漫画バガボンドではこの説をモチーフにしています)

ただ、鐘捲自斎の弟子だったとしても巌流島決闘時のん年齢は50歳かそれ以上だったいう噂も?

4.小次郎の生まれはどこ?

1776年(安永5年)に熊本藩の豊田景英が編纂した『二天記』では佐々木小次郎の生まれは越前国宇坂庄浄教寺村(現福井県福井市浄教寺町)と記されており、秘剣「燕返し」は一乗滝(福井県)で身につけたとされている。

九州生まれという説もある。細川家が小倉に入部する以前から居住していた国人衆佐々木一族の出だというものだ。

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