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ニルヴァーナ (Nirvana) ボーカル カート・コバーンKurt Cobainをまとめました!

ニルヴァーナ (Nirvana) は、1987年に結成された、アメリカのバンド。バンド名には、仏教用語の「涅槃の境地」という意味合いと「生け贄」という意味合いがある。

更新日: 2014年03月13日

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otokudaisukiさん

出典prcm.jp

カート・コバーン
クリス・ノヴォセリック
デイヴ・グロール

アーロン・バークハード
デイル・クローヴァー
デイヴ・フォスター
チャド・チャニング
ジェイソン・エヴァーマン
ダン・ピーターズ
パット・スメア

出典ameblo.jp

ニルヴァーナでボーカルとリードギターを担当し、アルバム『ネヴァーマインド』の成功で一躍ロックスターの仲間入りを果たすものの、1994年自宅にてショットガンで自殺。27歳没。

出典japa.la

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第45位。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第12位、2011年の改訂版では第73位。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位

ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープを聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していた。

1989年、ニルヴァーナは最初のアルバム『ブリーチ』をレコーディングする。同作はインディーレーベルのサブ・ポップからリリースされた。

1991年、ゲフィン・レコードに移籍したニルヴァーナは、メジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』をレコーディングする。

彼らはメジャーでの最初のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていたとされる。元々、アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じており、メディアの伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、彼自身『ネヴァーマインド』制作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたことで自身にも強い憤りを感じていた。

そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。

その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病と薬物中毒に苦しみ、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月8日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が引用されている。

没年齢の27歳は、ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソンや、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。

後にデイヴ・グロールはカートの死を振り返り「カートが死んだ翌日のことを今でも覚えているけど、『彼はいなくなってしまったんだ』と思ったんだよ。『一体どうやったら人間がそうやってただ消えてしまえるんだ。狂ってる』ってね。カートは本当に突然いなくなってしまったわけだからね」と話している

配偶者はホールのコートニー・ラブ。娘はフランシス・ビーン。コートニーとは1992年2月に結婚。式を通してカートはパジャマ姿であった。忘れ形見のフランシスは2011年現在、モデルを務めている。一方で1993年、雑誌「アドボゲイド」でのインタビューで「俺はバイセクシャルかも知れない」と発言している。

アルバム『ネヴァーマインド』の成功後も音楽業界の商業主義やマスメディアの誇張報道などに反発し、社会に求められた偶像としてではなく、ありのままの自分を常に表現するスタンスを保ち続けた姿勢は、「グランジの精神」として後進に強い影響を与えた。グランジのパイオニアとも言えるが、自身は双極性障害と薬物により苦しむ。

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特に好きなアーティストにピクシーズ、メルヴィンズ、ソニック・ユース、マッドハニー、サウンドガーデン[11]などのグランジバンド以外にも、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、初期のエアロスミス、キッス、エコー&ザ・バニーメン、ブラック・サバス、クイーン、AC/DC、セックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴァセリンズなどのロックバンドを挙げている。彼が好んで聴いていた数々のバンドの曲が話題になり、例としてヴァセリンズやミート・パペッツはバンド・作品ともに注目されることになり、ライブでも共演を果たしている。

一番好きなアルバムにはイギー&ストゥージスの「ロー・パワー」(邦題:淫力魔人)を挙げた。特にR.E.M.は「一度でいいからR.E.M.みたいな曲を書いてみたい」と言わせるほどだった。また、キッスのポスターを部屋に飾っていた時期もあり、キッスの楽曲「Do You Love Me」をライブでカヴァーしたこともある。

彼が穿いていたボロボロになったジーンズに古着のネルシャツ・緑のカーディガンなどはニルヴァーナや音楽のジャンルとしてのグランジを好きな層以外からも、当時の流行としてグランジ(薄汚れた)と呼ばれる新しいファッションの定義として生まれた。「グランジ・イズ・デッド」と書かれたTシャツや、ダニエル・ジョンストンのイラストがプリントされたTシャツは、彼が着ていたということで有名になる。

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