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プロ登山家の栗城史多が頑張る姿

プロの登山家として活動している栗城史多さんについてまとめました。

更新日: 2018年05月24日

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この記事は私がまとめました

misukiruさん

*2018年5月21日に栗城史多さんが死去したと発表がありました。将来の有望な登山家と言われていたのに、大変に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。

指を切断したのちにヒマラヤに登頂

凍傷により両手9本の指・第二関節から先を失った登山家の栗城史多氏が24日、自身のブログを通じて、中国とパキスタンとの国境にある山・ブロードピーク(8047メートル)の登頂成功を報告した。

登頂から一夜明けたきょう25日には、ブログを通じて、「現地時間19:20(日本23:20)頃、栗城が無事に6,900m地点まで下山しました」と報告。

栗城史多さん

2004年の大学3年生の時に海外初遠征で単独で北米最高峰のマッキンリー(6194m)に向かう。以降、6大陸の最高峰に登頂し、2007年からはヒマラヤ8000m峰に挑戦。登山中に行うインターネット生中継を通じて、多くの人と「冒険の共有」をして一歩を越える勇気を伝えることを目指す。

栗城は北海道で生まれた。登山に目覚める前は、上京し、フリーター生活やニートをしていた。その後、北海道で付き合っていた彼女が「公務員がいい」というので、試験勉強もした。

09年から「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始め、同年ダウラギリ(8167m)の単独・無酸素登頂と6500m地点からのインターネット中継に成功。世界最高峰エベレスト(8848m)には登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に単独・無酸素で挑戦している。12年秋にもエベレストに単独・無酸素で挑戦する予定。

エベレストの登山

今までの企画としては、たとえば2009年に初めてエベレストから中継したときは、7500m地点でカラオケを2曲歌ったりとか、6000m地点のベースキャンプ(中国側)で流しそうめんをやったんですよ。

1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、大学3年のとき、単独で北米最高峰のマッキンリーを登る。その後、6大陸の最高峰に登頂。2007年以降はヒマラヤの8000m峰に挑戦している。07年、自らの登山の動画配信をスタート。

9本の指に凍傷を負ってしまった栗城は現在、9本すべての第二関節から先を切断しなくてはならない可能性を抱えながら治療にあたっている。

栗城隊のスケジュール

登頂予定日の2ヶ月程度前にはネパール入りすることが必要になるのが普通であるが、栗城隊のスケジュールは似鳥社長のアドバイスにも関わらず次のようなものであった。

2011年春のシシャパンマ遠征
4月30日カトマンズ入り 5月24日登頂予定
2011年秋のエベレスト遠征
8月29日カトマンズ入り 10月5日登頂予定
2012年春のシシャパンマ遠征
4月29日カトマンズ入り 5月27日登頂予定
2012年秋のエベレスト遠征
8月28日カトマンズ入り 10月5日登頂予定

一般的登山家は、72日間(約2ヶ月)もの日程で、じっくりとチャレンジをする事が普通です。

2012年10月に登頂の失敗

今回のルートは1963年にアメリカ隊が初登頂したルート。図のBC,C1,C2…と登っていく。C2まではノーマルルートと共通。

'09年から毎年アタックし、4度目の挑戦となった今回の登頂は、8000m付近で撤退を決めた。ジェットストリームと呼ばれる〝風の塊〟に襲われ、命の危険を感じたからだ。

僕はけっこう慎重派で、7000m地点で2日間風が弱まるのを待ち続けて、最後のチャンスはここしかないというところで向かっていったんですが、どんどん風が強くなっていって、8070mくらいのところで下山を考えたんです。

今月18日に自身通算4度目の挑戦となるエベレスト登頂を断念した登山家の栗城史多さん。深刻な凍傷を負い、無念のうちに下山した栗城さんを次に待ち構えていたのは、自身の“指の切断”という過酷な現実だった。

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