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韓国が反日になった理由を歴史から分かりやすく理解するまとめ

本当に日本統治時代の影響で韓国人は日本人を憎んでいるのでしょうか?その背景を理解するには、終戦から現在の韓国に至る複雑で残酷な悲劇の歴史を理解する必要があります。大国の思惑で操作された政治体制や思想は韓国や日本に今でも残されているのです。

更新日: 2017年08月20日

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在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は警察官や北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体(「西北青年団」)を済州島に送り込み、白色テロを行わせた。

軍政は、鎮圧行動を正当化できるような暴動を求めていました。そのためには、合法的なストライキでは不十分でした。白色テロとは、政府側が支援して行うテロのことです。右翼青年団体を送り込みテロ行為をさせるという、非合法な弾圧が米軍主導で行われました。

住民の不満を背景に力を増していた南朝鮮労働党は、1948年4月3日、島民を中心とした武装蜂起を起こす。

南朝鮮労働党は、ゲリラ戦で対抗するようになります。しかし、この動きはそもそも白色テロを企画した米軍にとって期待した蜂起でした。虐殺の口実を得ることができるからです。

韓国軍は、島民の住む村を襲うと若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては、数週間に渡って輪姦、虐待を繰り返した後に惨殺しました。

済州島は、政治犯の流刑地としての歴史を持ち、本土から差別されていました。また、島であるため本土に影響が飛び火しにくいという地勢にあります。この済州島は、米国による粛清の始まりとして非常に都合の良い土地でした。

韓国政府の弾圧に対して、軍の内部からも反乱が起きる

あまりにひどい韓国政府の弾圧に対して、軍の内部からの反乱が発生します。済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、反乱が起きたのです。

韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。

多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となった

この時期に弾圧を逃れた者たちは、共産党勢力または親日とみなされた者たちだった。創氏改名により日本名をもち、日本語教育を受けた彼らは、日本へ逃亡し、多くの在日朝鮮人が生まれた。

反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも及びました。李承晩は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧されました。残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続きます。

事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害されました。多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となりました。

南朝鮮労働党への韓国政府の迫害に対抗すべく、金日成は朝鮮人民軍を創設

もう一つの勢力、金日成は南半部(北緯38度線以南)への送電を停止

後に北朝鮮を建国する金日成もまた、朝鮮半島の朝鮮民族全体での自立を訴える政治家の1人でした。

南朝鮮における労働党迫害、米国主導の南朝鮮分離の動きをうけて、彼は南朝鮮への送電を停止して対抗しました。

米国によるテロ・暗殺の動きは、北朝鮮にも波及しました。

ドロドロの情勢の中で米国主導で大韓民国が成立

アメリカ軍政が最も嫌った左派の排除に成功した状態で、1948年5月10日、総選挙が大反対の中で強行された。各地で反対派による武装闘争が展開されることになる。

国連監視下で行われた選挙

「国連監視下」決して、公平とも公正ともいえない、選挙がかぶった冠でした。

総選挙によって李承晩と韓民党は制憲議会の多数を制しました。そこで制定された第一共和国憲法は議会が大統領を選出すると定めていました。

終戦から3年、米国傀儡政権の誕生でした。

大韓民国憲法とともに「反民族行為処罰法」が制定された。

統治機構は日本の朝鮮総督府を引き継いでいましたが、あまりにドロドロした状況で作られた親米独裁政権を維持するためには、「親日」勢力を行政から除去する必要がありました。すでに軍での反乱まで経験していた「新政権」は、積極的に思想弾圧を進め、暴力を行使してでも、親日派や共産主義勢力を徹底的に排除するしか選択肢がありませんでした。

アメリカ軍政庁傘下の韓国教育評議会(Council for Korean Education)が組み立てた教育制度を、全国で完全に実施する。アメリカとの強固な同盟関係を求める一方で、北朝鮮や日本を敵視する政策を実施した。

日本統治時代に朝鮮発展に貢献した主要人物は親日反民族行為者に認定され、罰せられることになりました。また、調査のために反民族行為特別調査委員会が置かれ、武装した特別司法警察職員が該当者を逮捕尋問することが法的に認められるようになるなど、親日と認定されること自体が社会的なリスクを伴うようになっていきました。

大韓民国に対抗して北朝鮮も成立

金日成は米国主導の大韓民国樹立に対抗し9月9日にソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させた。この結果、北緯38度線は占領国が引いた占領境界線ではなく、事実上当事国間の「国境」となった。

大韓民国の建国宣言まで、金日成は国家を名乗ることはなかったことに注意しましょう。ソ連の指導のもとで、統治機構を安定させることがもともとは彼の目標であり、北朝鮮を分離独立させようという動きはそもそもありませんでした。米国主導での南朝鮮分離は、金日成に国家建設の決断をさせることになったのです。

もともと、モスクワ三国外相会議での合意内容は、最長5年間の信託統治でした。それまでに基盤を安定させ、朝鮮人による全体選挙が行われるというのが約束されたストーリーでした。

しかし、米国は、強硬に米国主導で大韓民国が強引に成立させることを選びました。正面から「民主的」な選挙を行うことで親米でない政権が樹立されることは絶対に受け入れませんでした。

こうして、南北分離が固定化してしまうことになりました。

国連もまた、米国の操り人形としてふるまっていました。国連の謳う民族自決の原理は、いとも簡単に無視されてしまったのです。

大韓民国樹立後の国家統制

1948年、大韓民国刑法制定に5年先駆けて「韓国の国家保安を脅かすような反国家活動を規制することで国家の安全と国民の生存・自由を確保することを目的」と謳う、国家保安法が成立。

『国家保安を脅かすような反国家活動を規制する』

『国家の安全と国民の生存・自由を確保する』

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