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中田英寿って、どんだけすごい選手なの?

日本サッカーの歴史において、絶対に絶対に外すことのできない選手の一人といえば、“中田ヒデ”こと中田英寿。全盛期の中田英寿を知らない人が増えてきたので、これまでの経歴などをまとめておきました。

更新日: 2018年06月10日

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Albeltさん

中田英寿とは

小学3年生、8歳のときに『キャプテン翼』の影響でサッカーを始めた。

当時あこがれていたのは、翼ではなく日向小次郎だったという。

中学校3年生のとき、U-15日本代表選出。世界への第一歩を踏み出して以後は、全ての年代別日本代表に選出

中学生時代にU-15の代表として海外遠征をしてから、世界の舞台を意識したという。

高校は韮崎高校に入学。高校2年の時には第72回全国高等学校サッカー選手権大会出場。

高校在籍中から、将来セリエAへの移籍を考えてイタリア語の勉強を始めたという。

ペルージャ入りが決まった直後、空港でイタリアメディアからの取材に対し、
「何喋ってんの?何言ってるのか全然分かんない!言葉分かんないだよ!怒」
とカメラの前で声を荒げ、戸惑いを隠さなかったにも関わらず、それから1年後にはイタリア語でマスコミのインタビューもこなすまでになったという。

U-17、 U-19日本代表で別格を見せた中田英はプロから注目され、Jリーグに加盟する全12クラブ(当時)のうち11クラブからオファーを受け、平塚ベルマーレへ入団

ちなみにオファーしなかったクラブは東京Vだそうです。

どうしてベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)を選んだかというと当時の平塚はそれほど強くなく、このチームで活躍できれば、次のステップ(海外への移籍)につながるからと考えた。

U-17、20などの年代ですでに世界大会を経験した中田英寿は鳴り物入りでベルマーレ平塚へ入団。チームには欠かせぬ存在として大活躍した。

1996年アトランタ五輪に出場し、後に「マイアミの奇跡」といわれるブラジル五輪代表戦勝利に貢献。

1997年に韓国との親善試合でフル代表に初招集され、衝撃的な先発デビューを飾った。以後日本代表に定着

アジア第3代表決定戦となったプレーオフ・イラン戦では、中山雅史、城彰二、岡野雅行の上げた全てのゴールの決定機を作る活躍で勝利に大貢献。日本を初めてW杯へ導いた。

日本の初出場となった1998年フランスW杯では、海外のスカウトの注目を集めるために髪を茶髪に染めたという。

W杯で日本は3連敗になったものの、中田のプレーは世界で評価され、セリエAの昇格チーム「ペルージャ」へ移籍

当初は、日本マネーが目的の移籍だったが、開幕戦で強豪ユベントス相手にいきなり2ゴール。
「スポンサー目当てでやって来れた日本人」と見ていた現地の目を一変させた。

結果的にゲームは3-4で敗れたが、「NAKATA」の名はイタリア中にとどろいたという。

ユベントスは、ジダン、デルピエロ、インザーギ、ダービッツ、デシャンなど世界最強メ­ンバー。凄すぎる2発で衝撃デビュー。当時のセリエAは世界最高リーグだった。

ペルージャの中心選手として10ゴールをマーク。イタリアの有力スポーツ誌グエリン・スポリティーボが選出するセリエA初年度の外国人選手を対象にしたセリエAサプライズ賞に選ばれるなど世界最高峰のレベルを誇るセリエAで非常に高い評価を得る外国人の一人となっていた。

その活躍が認められ、シーズン途中に強豪ローマへ移籍。

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