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「松坂世代」は終わったのか。生き残りをかける男たちの現在

1998年、怪物・松坂大輔を擁する横浜高校が春夏連覇を達成。数々の名選手を生んだ1980年生まれの「松坂世代」。今年34歳になる彼らは、今まさに勝負所を迎えている。

更新日: 2014年05月26日

REVAMAVERさん

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激闘の夏から15年…

怪物・松坂大輔を擁し、87年のPL学園以来となる春夏連覇を目指すチームは、社会現象ともいえるほどのブームを巻き起こした。

準々決勝のPL学園戦は球史に残る延長17回の激闘を制した。準決勝の明徳義塾戦は6点差を終盤の2イニングで逆転。

5万5000の大観衆がしびれた。横浜(東神奈川)対京都成章(京都)の決勝。横浜のエース松坂大輔(3年)がノーヒットノーランの快挙で春夏連覇を決めた。

決勝戦でのノーヒット・ノーランは59年ぶりの大記録だった。

「松坂世代」は終わったのか

「松坂世代」と呼ばれる男たち。一時は90人近くがプロ野球チームに所属していたが、これまで多くの選手がユニホームを脱いでいる。

夢を実現させ、目標を達成した者がいる。一方で、新たな目標に向かって走り出した人間もいる。

現在、彼らが差し掛かっている30代という年齢は、消耗した肩、肘など肉体のあちらこちらに異変を感じる時期でもある。

念願のメジャーデビューを目指して。

高校時代は浜田高校(島根)のエースとして甲子園に出場。

写真の持ち主は、和田だ。和田はこのとき、松坂に一緒に写真を撮ってほしいとせがんだ大勢の球児たちの中の、一人だった。

和田にとっての松坂は、雲の上の存在だった。そして、松坂にとっての和田は、早大に進んでからもその他大勢の一人に過ぎなかった。しかし、やがて和田が頭角を現す。

早稲田大学に進学した和田は、江川卓の持っていた東京六大学野球連盟奪三振記録443を更新。

2003年。自由獲得枠で当時の福岡ダイエーホークスに入団。プロ9年間で107勝。球界を代表するサウスポーに成長し…、何より、“福岡”のファンのハートをつかんだ。

2011年、メジャー挑戦を表明。

2012年にボルチモア・オリオールズに移籍した和田は、同年春のキャンプで左肘を痛めて開幕後に靭帯の修復手術を受けた。

昨年末、シカゴ・カブスとのマイナー契約を発表。

カブスはキャンプに招待選手として参加できるだけでなく、チームの先発4、5番手が決まっていないとあって、チャンスは大きい。

和田「来年は結果を残し続けていかないといけない立場で、結果がでなければすぐ切られる立場。やるしかない」

23日、カブスはマイナー契約を結んでいた和田を自由契約にしたと発表。和田はさらなる苦境に立たされることとなった。

「松坂の球を見て、投手を辞めた」

東福岡高校時代は、投手として3年の春夏に甲子園出場。春のセンバツでは横浜高校の松坂大輔と投げ合い、三回戦で敗退した。

いくつかの球団から誘いがかかった。しかし松坂の幻影を振り払うようにして、村田は大学(日大)に進んだ。大学では野手一本で行こうと最初から決めていた。

村田「大輔の投げる球を見て、自分は投手から野手へ転向しようと決めたわけですし、いわゆる松坂世代、投手は大輔、野手は村田と言われるようになりたいですね」

大学通算20本塁打。この記録は東都リーグ史上、通算2位タイにあたる。同じ年代には巨人の木佐貫洋(亜大)や広島の永川勝浩(同)らがいた。

2002年のドラフト会議で横浜ベイスターズに入団。その後、巨人へ移籍した。

横浜から移籍した'12年。5月1日の広島戦で第76代4番となり、シーズンでは64試合で大役を任された。

(昨季は)全試合に出場し、打率3割1分6厘、87打点、25本塁打。8月にはセ・リーグの月間最多安打を更新する46安打を放つなど活躍し、リーグ連覇に大きく貢献した。

“戦力外”から再起を図る

幼少期、汎発性円形脱毛症にかかった。現在はほぼ克服しているが、「当時の苦労を忘れないように」「同じ病気で苦しむ人に勇気を与えるために」と、毎日自分で剃刀を当ててスキンヘッドにし続けている。

帝京高校で主将を務め、80回選手権では3回戦で和田投手擁する浜田高校に敗れたものの、8回表には同点に追いつくバックスクリーンへの2ランホームランを叩き込んだ。

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REVAMAVERさん

スポーツのこぼれ話をまとめています。