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LEADERSが描いたトヨタ自動車と住友銀行(西国銀行)の50年来の因縁と確執

トヨタ自動車の豊田喜一郎がドッジライン不況で苦境に立たされた際、住友銀行(西国銀行)の融資拒否や貸し剥がしによる50年来の因縁と確執を現代に伝える・・。

更新日: 2016年12月31日

UgqWDIさん

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ドラマの主人公のモデルは豊田喜一郎

1937年(昭和12年)「トヨタ自動車工業株式会社」が設立

ドッチ・ラインによる金融引締めでトヨタもピーンチ 1947年

ドラマの中では戦後4年間で煙草が2円から160円、80倍になるハイパーインフレ。
これを押さえるため、金融引締めを行う事に・・・。

効果

インフレ(戦後インフレ)は収まったが、逆にデフレが進行し、失業や倒産が相次ぐ「ドッジ不況」(安定不況)が引き起こされた。1950年7月6日に東京証券取引所の修正平均株価(現:日経平均株価)は算出来の安値となる85.25円を記録。これは現在にいたるまで史上最安値となっている

頭の良い宣伝部が居た会社では、ドッジラインで不況になって売れずに工場に多量プールされているクルマの写真を撮って《益々躍進の〇〇自動車》みたいなコピー付けて朝鮮戦争による特需の好況時に広告打ったんだよ♪ #LEADERS

今TBSでやってるリーダーズだけど、金融引き締めってドッジラインのことだけど、結構大雑把な扱いされててどうなんよと葉思った。しかもこれマッカーサー指令ではないはず。

トヨタ救済のため、日銀名古屋支店斡旋で、銀行団結成

この時代、後々に残る痛恨事として、トヨタ自動車との関係がある。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより、トヨタ自動車は経営危機に陥った。トヨタの倒産は東海経済に危機的状況をもたらすと判断した日銀名古屋支店・高梨壮夫支店長(後に日銀理事)の斡旋により、当時の社長豊田喜一郎は辞任し、帝国銀行(後の三井銀行)・東海銀行を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社が設立される再建策が決定された。

住友銀行は融資拒否! 機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない

しかし、当時、帝銀・東海と共に主力銀行の一つであった住友銀行(当時は大阪銀行)は、「機屋[2]に貸せても、鍛冶屋には貸せない」とにべもなく峻拒、貸出金の回収に走り取引を打ち切った。当時、トヨタとの取引銀行は都銀・地銀含め25行あったが、取引を断絶したのは住銀のみである[3]。

西国銀行の「はたやには貸せても、鍛冶屋には貸せない」 これは住友銀行がトヨタに実際に言ったこと。 そしてこのツケを住友銀行は数年経ってから払うことになる。 #tbs

この交渉過程で心労がたたり、豊田喜一郎は1952年3月に急逝

朝鮮戦争勃発で戦争特需! その一方、住友銀行は東海経済界で苦戦

その後、朝鮮戦争勃発による特需景気をきっかけに、トヨタ自動車は順調に経営再建を果たし日本を代表する製造業となった。再建策をまとめた高梨・日銀名古屋支店長は後に日銀理事を経て、トヨタの強い推薦で日本自動車連盟初代会長に招かれた。また、帝銀の支援をきっかけにトヨタは三井グループ入りすることになる(もっとも、豊田家と三井家は経営危機以前より縁戚関係にあった)。反面、取引を断絶した住銀に対しては、石田退三や歴代のトヨタ社長が取引再開を許さず、加えて名古屋を中心とする東海経済界では”住銀はいざとなったら頼りにならない”との風評が広がり、同地で住銀が苦戦する遠因となった。

住友銀行がお膳立てした日産プリンスの救済策をトヨタは拒否!

なおトヨタの経営危機から15年後の1965年、当時業界6位で経営危機に瀕していたプリンス自動車に対して、同社のメインバンクである住銀・堀田庄三頭取は小川邦彦専務をプリンス自動車社長に派遣し、トヨタへの救済合併と取引再開を画策した。しかし、当時のトヨタ会長石田退三は「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」とこれを拒否している。15年前の経営危機の際、喜一郎が緊急融資に駆けずり回る中、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と言い放ったのが、他ならぬ当時の住銀名古屋支店長・小川であり、融資担当常務・堀田であった(プリンス自動車は1966年、日産自動車に吸収された)。

住銀「機屋に貸せても鍛冶屋には貸せない」→朝鮮特需でトヨタ成長→住銀「プリンスちゃんが死にそうなの!助けて!」→トヨタ「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」→倍返し完了 #tbs

ちなみに、トヨタの恨みは凄まじく、経営危機を乗り越えた15年後、プリンス自動車が経営危機に陥った。同社のメインバンクは住友銀行。住友銀行はトヨタに対し救済合併を銀行取引再開を懇願する。しかし石田退三会長は「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」と救済合併も取引再開も拒否した。

およそ50年もの間、住友銀行は、トヨタ自動車に出入り禁止になってしまったのである・・。

トヨタ自動車と住友銀行との取引再開が本格化するのは、三井銀行の後身さくら銀行との合併により三井住友銀行(存続会社は住銀)が発足してからである。

西国銀行のモデルは旧三菱銀行&旧住友銀行。二行とも三菱がメインバンクの東海銀行がUFJを経て合併するまで、住友は三井銀行と合併するまで、50年以上も日本のトップ企業であるトヨタが口座を開設することはなかった。 #LEADERS

実例を上げると。トヨタが経営難で倒産しかけた時に融資として手を差し伸べたのが東海銀行と帝国銀行(後の三井銀行・さくら銀行)であるが、救難要請に応じなかった住友銀行や川崎製鉄は名前の通り長きに渡って出禁になっていたりする。

@Nakajacs0n せやで~住友銀行!そこから50年間SMBCになるまで東海圏で商売できなくなった模様

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