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この記事は私がまとめました

mrbcourseさん

静岡市清水区で起きた袴田事件で袴田巌死刑囚の再審が決定しました。

警察や検察によって証拠が捏造されていたという

袴田さんは拷問も受けていた

袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。

それゆえに釈放後は長期入院をすることに

そしてこの冤罪のきっかけになった人物こそ今回取り上げる紅林麻雄です

袴田事件には紅林自体は関わっていませんでしたが、その部下が拷問を起こしました。

当初は表彰も受けるエースだったが、実際には「紅林捜査法」と呼ばれる悪辣な手法で事件を作り上げていった。

①拷問

袴田事件同様自白を得るために数多くの拷問法をあみだし「拷問王」と呼ばれる

②供述調書の捏造

「犯人がいなければ作ればいい」そういう考えのもとに事件を「創作」もしました。

アリバイが出てきそうになった場合は、犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画や被疑者が推理マニアであることなどの傍証を積み重ねる手法で、アリバイを否定しようとした。

③「真犯人」からワイロ

二俣事件では真犯人と思われる人物から金品をもらっていたそうです。

紅林警部がその人物からお金をもらうところを紅林の部下から聞かされた

紅林はこうして4件もの事件で冤罪を作り上げていったのです。

※先述の通り、袴田事件には紅林は関与していません。

ちなみに紅林はこれらの悪行により事実上クビとなり、直後に死亡しました。

紅林警部は1963年7月末日付けで警察を辞め、
わずか1ヶ月半後の9月16日、脳出血で亡くなりました。

まさに悪徳警官の代名詞というべき存在です。もちろんネットでも悪評の嵐です。

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