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元々は呪いだった!?意外と知らない「お花見」の由来

みなさんお花見はもう行きましたか?花びらが散り始めている今日このごろですが、お花見がいつ始まったかご存知でしょうか。サクラに対して特別な感情を持つ日本人でも、「お花見」の由来には疎いもの。そんなわけで、「お花見」はいったいどのような歴史を持つのか簡単にまとめてみました。

更新日: 2014年04月11日

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はむいちさん

花見らしくなったのは意外にも新しく、平安時代から!
ではもともとどんな意味をもった行事だったのでしょうか
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
江戸時代
と、「桜」がもつ役割をまとめてみました。

◆元々は呪術!?サクラには神様がいらっしゃる!

お寺とサクラのセットはよく見ますよね

花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事だったようである。

厄祓い全般はもとより、豊作祈願なども担っていたようです。

八百万の神の中に、山や田の神「サ」神が存在しました。「クラ」とは神が鎮まる座を意味し、サ神がその根元に鎮座したとされる木を「サクラ」と呼ぶようになったということです。

ちなみに「かまくら」も「神くら」から来ているようです(諸説あり)

野山に出かけ花を愛で、その下で楽しむことで、厄を祓(はら)い神さまと過ごすとされていた。

◆やけに優雅なので平安貴族たちは・・・・

ただ優雅な日々を送るだけの人たちは

奈良時代から平安時代にかけて、貴族たちの間で行われた花を見ながら歌を詠む会が「花見」の起源とされます。

万葉集など、この時代にはサクラをテーマにした歌が多いようです。

平安の貴族たちは桜の花に心を躍らせ、桜を愛でては歌を詠み、宴を開いて楽しみました。

お花見の文化は貴族から武士へ

戦で傷ついた心を癒してくれたのでしょうか

鎌倉時代に入ると、貴族の楽しみであった桜の下の宴はあらゆる階層に広まり、武士や町人の間でも行われるようになりました。京都の寺社や山々に山桜が植えられたのもこの時代といわれています。

時代は前後しますが、豊臣秀吉の花見は有名ですよね

太閤秀吉公は文禄三年(1594)の春、5000人の家来を連れて吉水院(現吉水神社)を「花見の本陣」として「吉野の大花見の会」を5日間「お能の会・歌会・お茶会・仮装行列)盛大な宴が行われた。

やっと庶民に浸透!現代のようなお花見が定着します

風情漂う和の風景ですね

江戸時代になると、春の行楽として花見が庶民の間にも広がっていき、桜を見ながら酒を酌み交わすというスタイルになっていきました。

その時には、金持ちも貧乏な人もそれぞれ仲間を作って、お弁当を持って出かけました。桜の下では、飲めや歌えやの大騒ぎ。
 「茶番」と呼ばれる劇をする人たちもいました。

いつの時代もすることは同じですねw

お花見を通じて知る、そのような人々の工夫や心の豊かさ。
 その心が、現代の私達に知らず知らずのうちに受け継がれているのでしょう。お花見をしている人々の表情は、皆豊かです。

そしてこの時期には「あのサクラ」が作られたのです!

もちろんみなさんこのサクラはご存知ですよね?

江戸後期には染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が、エドヒガンとオオシマサクラの交配種「吉野桜」を作りました。

当初は桜で名高い奈良県吉野にあやかり「吉野桜」という名でしたが、吉野山の山桜と間違えやすいため「染井吉野」と改名されました。

三代将軍家光が上野や隅田河畔に桜を植え、八代将軍吉宗は飛鳥山を桜の名所にし、花見の場も増えました。園芸が盛んなこの時代に品種改良が進んだことで、身近な場所で花見が楽しめるようになったのです。

ただし、染井吉野は観賞用として交配したため、自力で繁殖することができません。全国にある染井吉野は、一本の原木から接ぎ木や挿し木で増やした、いわば“クローン”。

近い将来寿命を迎えてしまうので、その対応が課題になっています。

ソメイヨシノが楽しめるのもあと数年かもしれません。帰り道にちょっとでも、今年の桜を眺めてみてはいかがでしょうか。

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