1. まとめトップ

【暴力団】山口組 歴代組長ってどんな人?

日本最大規模の指定暴力団。その山口組の歴代組長はどんな人なのだろう?初代~6代目(2014現在)までをまとめてみました。

更新日: 2014年04月15日

22 お気に入り 1463631 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

ooo163oooさん

◆山口組(やまぐちぐみ)とは

設立年:1915年
設立場所:兵庫県神戸市兵庫区西出町
設立者:山口春吉
本部:〒657-0067
兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1

兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、日本最大規模の指定暴力団。

構成員数は2012年の時点で約13,100人、準構成員数は約14,600人の合計約27,700人であり、その人数は全暴力団構成員・準構成員数約63,200人のうちの43.8%を占めている

◆初代(1915年 - 1925年)

1881年 - 1938年1月17日

57歳で死去。 墓所は神戸市北区の鵯越墓園内。

山口組創設者の初代・山口春吉氏は元漁師なのである。
淡路島の漁師だったが見切りをつけて神戸に労務者として移住。
港湾荷役に従事して山口組を創設

初代山口組組長、山口春吉が大正4年、約50人の沖仲仕を集めて、神戸市内で山口組の代紋をかかげたのが始まりといわれています。

◆2代目(1925年 - 1942年)

出典ameblo.jp

1902年 - 1942年10月4日
41歳で死去。

山口組初代組長山口春吉の長男として生まれる。

1925年、23歳で二代目組長を継承後、新進気鋭の若親分(切戸の親分としてその名を響かせる)として港湾事業や歓楽街、また相撲界から浪曲界・歌謡界へと興行面にも進出する。

横綱玉錦三右衛門と義兄弟の盃を交わした。これにより、玉錦の経営していた二所ノ関部屋には山口組の紹介で入門した力士が数多くいたと言われている。

◆3代目(1946年 - 1981年)

山口組二代目組長山口登の弟秀雄と同級生だったことから、秀雄の誘いで叔父の家を出て、二代目山口組のゴンゾウ部屋に世話になる。

山口春吉の舎弟に暴力を振るった大長政吉を福原遊廓で襲撃し、鉄瓶で殴打して頭を割る。その報復で山口組に殴り込みをかけた大長八郎(政吉の弟)を返り討ち、日本刀で刺殺。このため殺人罪で逮捕起訴され、神戸地裁で懲役8年の実刑判決を受ける。

山口組を全国規模の組織に育て、警察庁から広域暴力団の指定を受けた。

1950年代から60年代にかけて傘下の団体が全国へ進出、各地で抗争事件を引き起こした。

とにかく武勇伝など話題には事欠かない人物だったようです。

◆4代目(1984年 - 1985年)

数百人の部隊と共に福岡に乗り込んで検挙された1962年の「博多事件」などで、山健組組長・山本健一から信頼され、1971年、山本の若頭就任に伴い若頭補佐に昇格。

1981年7月の組長・田岡、1982年2月の若頭・山本の相次ぐ死で、同年6月、若頭補佐・山本 広(山広組組長)が組長代行に就任。 若頭には竹中正久が就任し、竹中は若頭就任間もない同年8月に逮捕され、翌83年6月まで勾留された。

翌1985年1月26日、竹中は神戸の山口組新本部の上棟式の後、大阪府吹田市のマンションで、待ち伏せていた一和会 二代目山広組系組員に銃撃され、意識不明のまま翌27日に死亡した。

竹中に同行していた若頭・中山勝正(豪友会会長)も射殺され、山口組は短期間の間に、再びトップとナンバー2を失う事態となった。

◆5代目(1989年 - 2005年)

1941年〈昭和16年〉1月8日 - 2012年〈平成24年〉12月1日

1989年(平成元年)、一和会との抗争を終結させて、同年4月27日、五代目山口組組長に就任した。組長在任中は若頭・宅見勝らの方針もあり警察との対立を避け、ブロック制導入などの合理化・統制化を勧め拡大路線を推進し続けた。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では救援に手間取る行政機関よりも早く近隣住民への防災用品や緊急食料の配布を本部事務所にて行った。その模様はイタリアのマスメディアにて「マフィアが救援活動」と報じられ、被災者からも感謝の声があった。この救援活動は世界中で報道されている。

1 2