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現代はディスコミュニケーションの時代

人は、他の人と、ことばによってふれ合おうなどとはしていないのだ、ということを。人は自分を守るために、人と距離を置くために、ことばで柵を作り煙幕を張り、生活の便利のための計算をやりとりし、感じたことを見せないためにしゃべる。ことばはウソを吐く、いやウソを吐くためにこそあるらしい、ということを。

健常者にとって
ことばとは、
情報処理のゲーム
なのであって、
からだの芯に
うずくものとは
回路がつながってはいない
 
根元的に
ことばはウソである。
 
ウソとウソをつなげ、
無限にウソを
組あげてゆく

出典竹内敏晴「癒える力」(晶文社)

1.他人のことが考えられない、つまり、想像力の欠如。

 2.知り合いになるとそれが全く変わってしまう。つまり、自分の視野に入ってくる人間しか「人間」として認められない。

 3.様々な不適応の形があるが、基本的にそれは全て人間関係に対する適応過剰ないし適応不能、つまり岸田秀の言うところの対人知覚障害として発現する。

そもそもヒトのコミュニケーションとは

「人間は複雑である」

これは正確には「他人は複雑である」ということであり、以下のようになる。

他人の意識は絶対的に不透明であり、コントロール不能である

端的に言うならば、他人の意識を 100% 理解することなど絶対にありえない、ということだ。自分から見て、他人は、つねに思いがけないこと(訳の分からないこと)をする可能性を持った存在であるということ、どんなにコミュニケーションの技法を尽くしたとしても、他人のことを完全に理解することなどできないということだ(全く理解できないのではない)。時折、「腹を割って話せば人間は分かりあえる」といったことを言う人がいるが、もし「分かりあえる」というのが100%理解しあえるということであれば、それは全くの嘘である。

…そんなに安易には人間は分かりあえないということを出発点とする。分かりたくても完全に分かりあえないからこそ、人間の様々な営みがあり、そしてその難しさがある、と考える。

福井県立大学・経済学部 田中求之

これまでコミュニケーション論において焦点をあてられてきたのは情報の伝達的側面であった。どのような方法によれば相手に情報が伝わるかを課題に、機械における情報伝達プロセスをシミュレートする形で検討がなされてきた。だが、情報化社会が進展する今日、このような戦略は有効性を失いつつある。情報が膨大化、価値観が多様化することで、人間間の情報伝達においては情報が正確には伝わらないことが基本となってしまったからだ。それでも人間はコミュニケーション動物であり、いかなる形であれ他者と関わりあい続ける欲求がなくなることはない。本論ではF.マルチネの、コミュニケーション機能のオルタネティブである表出的側面についての議論を検討することで、情報が伝わらない現代人における新しいコミュニケーションの有り様を提示している。

目次抜粋

 1 人間の場合、メッセージが相手に正確に伝わることはない

 2 問題点1:無意識情報の存在がノイズを常態化させる

 3 問題点2:ことばの意味は多様でコード厳密化は不可能

四 コミュニケーションとは、表出の繰り返しによって「正確な伝達」を偽装し続けること

 1 伝達のリアリティを担う表出

 2 人との信頼関係は表出の側面に多く依存している

コミュニケーションの理想的側面に注目すると、現実の多くのコミュニケーションがじつはディスコミュニケーションであるという帰納になる。つまりコミュニケーションとしてみなされている諸々の現象はじっさいにはコミュニケーションの理想的局面を満たしていないのだからディスコミュニケーションである…

異文化間コミュニケーションといわれる現象も、少し考えればわかるように、コミュニケーションについてのコードが集団や社会の文化によって異なるために「意味の共有」と「相互理解」のできない状態が問題とされている。これもディスコミュニケーションである。

 したがって、現代社会における人間のコミュニケーションを考えることは、ディスコミュニケーションの現実に思いをいたすことである。そして、このことはたんに対話的コミュニケーションだけにあてはまるのでなく、マス・コミュニケーションや組織コミュニケーションやジャーナリズムについてもあてはまる

「孤独感の発達理論」というのがある。子どもは「自分と他人はわかりあえるもの」と思って他人がわかってくれることを期待する,青年期に「他人とは究極的にはわかりあえない」ことに気づいて失望し孤独に陥る,成人期以降に「わかりあえなくてもわかりあう努力をすること」に価値をおくようになる。

コミュニケーションギャップ

世界の文化を類型化し対比する主要な研究から「コンテクスト」「時間感覚」「結論の位置」「視線」「対面距離」「身体接触」「あいづち」に視点をおいたものをとりあげる。また、コミュニケーションギャップの具体例をいくつか挙げ、上記研究及び他の複数の視点から考察を行うと、1つの例にも様々な文化背景の要因が関わっていることがわかる。われわれは現代社会の異文化間コミュニケーションにおける非言語の重要性を一層注視しなければならない。ネット社会の発展の中で、文化背景を軽視した言語だけのコミュニケーションが増えることで、不要な誤解や摩擦が増え、時に極端な情報が伝わっている。誤解や無理解はそのままにしておくと偏見に変わる。 理由や文化背景を正しく知り、また、説明する努力が求められる。メッセージの送り手は、送る相手の文化スタイルに合わせないとメッセージの内容が正しく伝わらない、ということを再認識することが必要だ。そのため自文化を深く知り、異文化の相手に正確に説明することと、接触する相手の文化について事前の理解を深めた上でコミュニケーションすることが肝要である。

したがって、リスクコミュニケーションは非専門家を賢くするためや効率的な対策が実行できるようにするためのものではなく、異文化交流がその本質なのです。

 わたくしは専門家と非専門家がコミュニケートして、その過程でもって非専門家を教育していくものなのかと誤解しておりました。以前読んだ本にあった「リスクコミュニケーションはお互いの信頼の向上を持って成功とする」の意味が、ここに来てようやく理解できたのでした。

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石部統久@mototchen 1963 岡山県笠岡市出身玉島育ち岡山市在住の男 糖尿病、鬱病で服薬 後縦靭帯骨化症
https://mobile.twitter.com/mototchen

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