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個人的 滝村国家論 引用抜粋

個人的に興味のある滝村国家論 引用抜粋です。

更新日: 2018年07月27日

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mototchenさん

滝村隆一

対象の内的特質〔本質〕を把握するためには、まずその直接の現象上の多様に錯綜した具体的な諸形態や諸態様を可能なかぎりおさえながら、それら個別的、特殊的諸契機の背後の、直接眼にはみえない内的な論理的連関を探り、統一的な論理構造としての把握を踏まえた、構造論的な把握と抽象を通じて、本質規定〔概念〕を導きだすわけです。ですから本質規定というのは、対象の構造論的な把握と抽象を通じて絞りだされた、いわばエキスのような代物であって、それ自体をふり回しても、ほとんど意味はありません。たとえ偉大な先人・大家のものを借りてきても、自分でつくったものでないから、とくに応用的な問題をつきつけられれば、まったく対処するすべがありません。
 さてこうして本質概念に到達すれば、つぎには人々にそれを伝えねばなりませんから、これを叙述するという作業がまっています

対象の単なる外面的な特徴や実相をたんねんに拾いあげ、つぎにはそれらを内的深部で規定している構造論的諸契機へと、だんだんに分析を深めていく、研究主体としての人間の認識の進展過程とはちょうど逆の順序で、いわば結論から、つまりもっとも本質的で一般的かつ抽象的な諸概念から、より具体的で特殊的、個別的な諸概念へと論理的に移行していくという順序で、叙述していくことになります。これがいわゆる上向法とか上向的論理展開といわれるものです

権力とは規範としての意思による支配である。滝村隆一

社会主義国家について

なぜ〈専制国家—社会主義〉体制なのか?
 一 あらゆる革命は専制国家によってのみ可能である
 二 「社会主義」革命の特異性
 三 「社会主義」専制国家出現の理論的根拠
  (1) 政治形態分析の前提としての〈三権分立制〉論
  (2) パリ・コンミューンと革命的権力構成
  (3) 「民主集中制」とは何か?
  (4) レーニンと「民主主義」概念の混乱

出典「社会主義」専制国家論  −体制崩壊の制度分析   滝村隆一    試行1992.5.NO71 P107−138

「社会主義」体制の崩壊とマルクス主義
1 制度としての「社会主義」について
  「社会主義」はどうして専制国家になるのか?
    「議会の道を通じて社会主義へ」の実現はありえない
  レーニンの「三権分立」否定と民主集中制
    マルクスもわからなかった「三権分立」の本質
    パリ・コンミューン原則にもとづいた「民主集中制」の正体
  あらゆる組織は専制的に編成されている
    なぜ〈近代〉以降の国家は専制的でないのか
    議会制民主主義はこうして生まれた
  「三権分立」制の根拠
2 思想・理論としてのマルクス主義について
  マルクス主義の社会観人間観
  「個人」が死んでも社会はなくならない
    専門家否定の発想
    マルクスの未来の共産主義社会に対する枠組みへの疑問
  マルクス思想のエンゲルスによる通俗化
    単純なエンゲルスの反映論と宗教消滅論
  みごとなマルクスの社会構成理論
    国家の死滅はありえない
    唯物史観の手本−『ブリュメール十八日』と『革命のスペイン』
  マルクス理論の歪曲と曲解

出典世紀末「時代」を読む  滝村隆一・芹沢俊介 春秋社1992年12月25日第1刷ISBN4−393−33128−1

このレーニン的党組織は、専制的国家権力のすべての構成諸機関と、社会全体のすみずみまで張り巡らせられることによって、世界史上かつて存在したことのない、強力無比の監視・脅迫・密偵組織としても作動しつづける

ずっと力の強い敵にうちかつことは、敵のあいだのあらゆる『ひび』をじょうずに利用して、はじめてなしとげることができる


過去のいかなる〈専制〉権力よりも、より強力な〈専制〉的国家権力をつくりあげる

国家論関係論文 抜粋

「私は彼らと違い、他人様とりわけ優れた古典的大家たちがすでに定立したまっとうな原理や方法を、労せずしてつまり先人がやったと同じ様に自らの力で直接歴史的=現実的事象からつかみ直すことなしに、安易に受け入れたこと(これを借用という)など、ただの一度もない」
「私自身によって再確認・再措定され、また新たに創出された自前のものである」

「国家意志論」を継承発展させたのが滝村隆一(『マルクス主義国家論』他)
〈狭義の国家〉=〈国家権力〉――〈共同体―内―国家〉
〈広義の国家〉=〈国家〉――――〈共同体―即―国家〉
 歴史的位相を異にする〈原始的〉社会以来の共同体が、他共同体〈種族〉との直接的関係〈交通関係〉をもつに至ったとき、それはすべて〈国家〉として構成される(あるいはされざるをえない)という事実を国家論の根本発想とする〈共同体―即―国家〉説


2 「国家」と「社会」との関係について

■国家と社会

 〈国家〉は〈市民社会〉という・現実的生活諸関係の総体としての実在的土台の、〈政治制度〉的表現=〈観念的・イデオロギー的〉外皮にすぎない……饅頭の中身であるアンコと皮の関係
 国家は内外危難に対する社会総体の政治組織。いわば社会というアンコを包んだ饅頭の皮が国家。近代的・資本主義的(帝国主義)国家の対外国家理念は、一般に支配階級の経済的「共同利害」を体現した、対外経済政策の上品なオブラート程度で、それ以上の擬装された超階級的な「共同利害」、超越的な国家意志は希薄。

社会

「社会」とは何かといったら,そういう生活手段の再生産です。…海の中だろうが,地の底だろうが,…宇宙にいようが,生活の資料さえ確実に獲得できればいいんです。(だから)土地とか海とかが(絶対必要なものとして)はじめから直接関係してくるわけではないんです。その意味において人間の規模が問題なんです(規模がないと,さまざまな必要なものを確保できない)。

国家

〈国家〉とは何かというと,生理的再生産(子孫を残す)という意味あいだけでなく,生活の再生産,食料とか燃料とか生活手段を生産するか,あるいは…略奪でも交換でもいいけど,とにかく生活資料(物資)を安定的に供給できるかどうかが大問題なんです。もう少しわかりやすくいうと,〈国家〉とは実体的には社会そのものなんです。

滝村国家論の唯物史観

「唯物史観は、人間の観念的な原動力以外の別の Macht のうちに歴史的な出来事の究極の原因を求めるてんで、ヘーゲルを受け継いではいるが、ヘーゲルのように観念的な Macht ではなく現実的な Macht の中に、すなわち大衆としてまた階級としての Macht の中に Kraft を探求することによって発見されたのである。」

国家的諸契機の理論的検討を含んだ国家論の原理的体系化において,アジア的・古代的・中世的な世界史的国家構成が必要とされるのは,それにより,〈近代〉に到ってはじめて発展的に完成される国家的支配の全構造を,立体的に解明することができる,逆言すれば,より発展的に完成された国家的支配のレヴェルから,アジア的・古代的・中世的な世界史国家を構成することによってはじめて,それらを形成・発展しつつある未熟な国家,すなわち特異な完結性をもった歴史的国家として,大きく全構造論的に把握することも可能だという点にある。従って,一般には機械的に分離・切断されている近代国家論の究明とそれ以前の世界史的国家の理論的検討とは,実は同一の作業に他ならない

西洋 絶対君主

「西欧『絶対君主』は、最大の封建領主がその他の領主権力(封建的大 Macht と呼ぶ)を次々に支配征服して、最強の『現世的 Macht』として『第三権力』にまでせりあがっていく一方、従来の観念的な『来世的 Macht』としての法王・教会権力の支配から分離独立してこれを追放・圧迫し、法王に替わって自ら神の子の地位に進出し、こうして封建体制においては多元的な形態で表現されていた二つの支配の系列を機構的に一元化することによって、『現世的・来世的支配』を同時に遂行する『政治的・宗教的支配者』として登場した。」

滝村隆一『新版 革命とコンミューン』イザラ書房、p.95

政治的意志

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