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【家康没後400年】 徳川家臣(の子孫)が集まる会が、今でも存在するって知ってる?

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更新日: 2018年12月15日

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徳川家臣団大会・本年度第1回講演会

徳川時代の歴史的意義を研究・発信する徳川みらい学会は16日、2018年度の徳川家臣団大会・本年度第1回講演会(静岡商工会議所、静岡市共催)を静岡市葵区で開いた。幕臣の子孫など約500人が詰めかけた。

徳川家臣団の子孫が作る5つの団体

1 柳営会

江戸幕府で活躍した先祖の業績を誇りに思う子孫が、德川御宗家を中心に結集し、正しい目で江戸時代を見直し、先祖を偲び、その精神を引き継ぎたいという目的で集まった

会の最重要行事として、当会発足の契機となった日光東照宮例大祭の5月17日には御宗家のお供をし、昇殿参拝をしています。また、東照公の御命日4月17日には、久能山東照宮にも同様なお供をしています。

2 開陽丸(かいようまる)子孫の会

会員資格
本会の会員は次の資格の少なくともひとつを備える者とする。
1 開陽丸の生涯に関わった人の子孫であることを明らかにできる。
2 開陽丸の発掘や保存に関わった(特別会員)
3 開陽丸に関する研究、あるいは情報の普及に関わった(特別会員)
4 その他役員会で定める者

本会は、開陽丸の歴史を正しく後世に伝えること、及び会員相互の親睦を深めることを目的とする

ちなみに開陽丸とは?

開陽丸は1866年10月オランダでつくられ、1867年3月日本に到着しました。
それからその時の政府・徳川幕府の旗艦として働くのですが、徳川幕府が力を失い天皇が政治の実権を握るようになり、徳川の家臣たちは開陽丸を奪い北海道へ逃亡します。
その抵抗も長続きせず最後には開陽丸も江差で座礁・沈没したのです。

3 咸臨丸(かんりんまる)子孫の会

咸臨丸の乗組員や関係の合った人々の子孫を「正会員」とし、咸臨丸やその歴史に関心をもち、会の活動に賛同する人々を「特別会員」としています。

咸臨丸ゆかりの地の訪問、関連の催しへの参加・協力、講演会活動、関係資料の発掘・収集など活発に活動しています。

ちなみに咸臨丸とは?

開国の嵐が吹きすさぶ中、1860年(安政7年)、木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛目的の随伴艦として太平洋を渡る偉業を成し遂げるなど、幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍しました。

戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、木古内町のサラキ岬沖で座礁。

現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、乗船者は難を逃れましたが、咸臨丸はその数日後に破船沈没しました。

4 万延元年遣米使節(まんえんがんねんけんべいしせつ)子孫の会

本会は万延元年遣米使節団77名の子孫を『正会員』とし、その歴史に関心を持ち会の活動に賛同する人々を『特別会員』とする。

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