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【ミステリー】織田信長の首は静岡に眠っている!?

戦国武将として最も有名な一人である織田信長。本能寺の変にて没したのはあまりにも有名ですが、その後のことは多くが謎に包まれています。

更新日: 2014年05月07日

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■誰もが知っている戦国武将の一人、織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。

生き様にあこがれを抱く人も多いはず。

なかぬなら 殺してしまへ 時鳥(ホトトギス)

信長の人柄を表しているとされているが、実は信長自身が詠んだ詩ではない。

■本能寺の変での死も、あまりにも有名

織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都・本能寺に宿泊していた主君信長と後継者の信忠を襲い、自殺させたクーデター

天下統一を目前にして重臣明智光秀に反旗を許し、本能寺で自害した。

■しかし、遺体は見つからなかった

光秀の娘婿・明智秀満が信長の遺体を探したが見つからなかった。

■原志摩守が信長の首を持ち出した?

本能寺の変で信長公と一緒に死んだ原一族が残した「原家記」。原志摩守が混乱の中から父と兄、それに信長公の首を持ち出し、山道伝いに駿河にたどりつき、 富士郡本門寺の本堂裏手に三つの首を埋めた

1582年(天正10年)6月、織田信長の首を収めたと伝えられている。
首塚にはヒイラギの木が植えられ、推定樹齢450~500年とされ、静岡県の天然記念物に指定されている。

天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺の変にて討ち死にした織田信長公の首を、囲碁の名人といわれた本因坊日海の指示により、原志摩守宗安が父・胤重と兄・孫八郎清安の首と共に炎上する本能寺より持ち出し、ここ富士山を望む西山・本門寺に納め首塚を建立し、大柊の木を植えて祀った

古くから地元では信長公の首塚が本堂奥の大柊のもとに安置されているということが口伝としてあった。

炎上する本能寺より持ち出し信長の首を、ここ駿河の当山に納め首塚を築き柊を植えたもの

■富士宮にゆかりもある信長公

富士宮市の浅間大社東側には、御殿町と呼ばれる場所があり、当時、信長公が腰掛けた「富士見石」など、信長公が富士の麓の富士宮市(大宮)を訪れたと思わせる史跡や地名が残っている。

天正10年(1582)4月12日の頃の信長公記(第15巻)の記載を見ると現在の山梨県本栖湖付近から、静岡県富士宮市の朝霧高原に入り、武田家討伐の成功と雄大な富士山をはじめて見た嬉しさからか、小姓と馬を走らせて楽しんだことや、白糸の滝、上井出の人穴、その昔、源頼朝公が富士の巻き狩り際に陣を張った狩宿などに立ち寄ったと記されている。

■今も信長公の供養際が開かれる

諸説あるようですね

火薬が備蓄されており、信長の遺体が爆散してしまったためと考えられる。しかしながら、密かに脱出し別の場所で自害したという説や、信長を慕う僧侶と配下によって人知れず埋葬されたという説もある。なお、最後まで信長に付き従っていた者の中に黒人の家来弥助がいた。彼は光秀に捕らえられたものの後に放免、消息不明となった。

非常にロマンを感じます。

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