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【閲覧注意】絶対に行ってはいけない10の心霊スポット【怨念祟り】

幽霊は見たことあるよ。普通にいるでしょ。 あたりまえじゃん。 今生きてる人間より、 死んだ人間のほうが多いんだから。 それを生きてる人間しかいるわけないなんて思うのは失礼極まりないよ 二宮和也

更新日: 2016年10月27日

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moratoriumさん

●心霊スポットとは

幽霊や妖怪の出現地、または超常現象が起こるなどとされる場所を指す、近年用いられるようになった俗称である。恐怖スポットや怪奇スポットとも言う。

墓地、古戦場、自殺の名所(樹海、岬、橋)、山中のトンネルや峠など、霊が出るという都市伝説的な噂がたっている場所や、病院や学校の跡といったいわゆる廃墟と呼ばれる建物、旧道・廃道になって雰囲気がある荒れた場所、あるいは過去に忌まわしい事件・事故が起こった場所などが“心霊スポット”とされるようになることが多い。

全国の有名な心霊スポット↓

●慰霊の森(岩手郡雫石町)

岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。ほぼ空中分解だった為、おおよその衝突場所が慰霊の地となっている。生存者は1名のみ。日本で最怖の心霊スポットといわれている。

●藻南公園・花魁淵(札幌市南区)

明治時代、吉原遊郭から北海道に連れてこられた花魁(おいらん)が、人生を悲観して当時の薄野遊郭(現在のすすきの)を飛び出した。そして、追っ手に怯えながらさまよったあげく、現在の藻南公園の崖(がけ)にたどりついたのである。遊女は、これまでの自分の艱難を思い出し、さらには追っ手に見つけられたあとにされるであろう加虐に怯え、その場で豊平川に身を投げて自殺してしまった。遊女がいないことに気がついた主人は、追っ手をやり彼女を探したが、ついに下駄以外見つけることはできなかった。その後、なぜか遺体が上がることはなかったという。彼女が飛び降りた崖は、いつしか花魁淵と呼ばれるようになった。

花魁淵と呼ばれるようになった理由については諸説あり、前述した女性が実在したのかという謎と同様に、その真偽は不明である。ただ、花魁淵付近では溺死者や自殺者があとを絶たず、彼らの霊を慰めるために、1948年(昭和23年)には三十三観音像が、1950年(昭和25年)には宝性地蔵尊がそれぞれ建立された。

●黒塚(福島県二本松市)

安達ヶ原に伝わる多くの旅人を虐殺した鬼婆の墓。他、真弓山観世寺の敷地内には黒塚の鬼婆像や、鬼婆の住んでいた岩屋、血で染まった包丁を洗ったという出刃洗いの池、さらには旅人の虐殺に使った道具である出刃包丁も宝物庫に展示されている。鬼婆の伝説は以下のように伝わっている。

神亀丙寅の年(726年)の頃。紀州の僧・東光坊祐慶が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。岩屋には一人の老婆が住んでいた。祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、これから薪を拾いに行くと言い、奥の部屋を決して見てはいけないと祐慶に言い残して岩屋から出て行った。しかし、祐慶が好奇心から戸を開けて奥の部屋をのぞくと、そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食うという鬼婆の噂を思い出し、あの老婆こそが件の鬼婆だと感付き、岩屋から逃げ出した。

しばらくして岩屋に戻って来た老婆は祐慶の逃走に気付き、恐ろしい鬼婆の姿となって猛烈な速さで追いかけて来た。祐慶のすぐ後ろまでせまる鬼婆。絶体絶命の中、祐慶は旅の荷物の中から如意輪観世音菩薩を取り出して必死に経を唱えた。すると祐慶の菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めた。

●犬鳴峠(福岡県宮若市)

「犬鳴トンネル近くに、法治が及ばない恐ろしい集落『犬鳴村』があり、そこに立ち入ったものは生きては戻れない」という都市伝説がある。

○日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。
○村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。
○旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。
○全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。
○若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。

実際の犬鳴村は林業などを主産業としていたが、産業を取り巻く事情の変化などにより廃れた。集落の中心地は犬鳴ダムの建設により、湖底に沈んだ。元居住者は周囲の集落へ移転。犬鳴の地名には現在一人だけ住民票を持つという居住者がいる。

1988年12月にデートに使う目的で車を窃盗しようとしていた少年ら5人が、偶然見つけた知人工員(当時20歳)を拉致し、リンチの末両手両足を縛り、旧犬鳴トンネルで全身にガソリンを浴びせ焼殺する事件が起こった。その後犯人グループは逮捕され、主犯は無期懲役判決を受けている。

2000年には犬鳴ダムで死体遺棄事件が発生する。

また峠周辺は交通の難所であり、冬場の積雪や路面凍結が多いため、交通事故も多く発生している。

●常紋トンネル(北海道北見市)

本トンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという。

1968年(昭和43年)の十勝沖地震で壁面が損傷し、1970年(昭和45年)にその改修工事の際、壁から立ったままの人骨が発見された。また入口付近でも大量の人骨が発見された。人骨の一部には外力による損傷が見られたという。これにより「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼らの亡霊がトンネルや信号場に出る」という鉄道員間の噂の一部、「常紋トンネルには人柱が埋まっている」が事実であることが確認された。

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