1. まとめトップ

木村政彦はガチで強かったのか?

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称される木村政彦は本当にガチで強かったのか?小川直也、斉藤仁、山下泰裕や東京五輪で日本柔道界をどん底へ突き落としたヘーシンクよりも木村政彦の方が強いと信じられているのはなぜなのか?

更新日: 2019年06月02日

65 お気に入り 842732 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

coco3nnさん

1917年9月10日 熊本県飽託郡川尻町 出身
身長170センチ 体重85キロ
全日本選手権13年連続保持。公式戦15年無敗。

意外と大きくないと思われる方もいるでしょうが、当時の日本人の中では大柄な方です。

今より遙かに柔道の競技人口が多かったのにこの記録は尋常ではないです。

ちなみに、拓大予科時代に高専柔道大会に大将として出場し、全国優勝に導いていることから寝技も凄かったということになります。

全盛期の写真ですが、人をぶん投げるために作られた異様な肩幅です。マンガ「グラップラー刃牙」の範馬勇一郎みたいな体です。

練習量

木村の練習量にはその激しさから、様々な逸話定評がある。拓大に入ってからの木村の練習量は10時間を超えた。拓大での稽古だけではなく、他大学や警視庁、皇宮警察などを回って乱取り稽古をしていた。夜になると、師の牛島にならい大木に帯を巻いて一日1000回打ち込みをし、遂にはその大木を一本枯らしてしまった。「寝ている時は練習をしていない」と考え、睡眠時間を3時間にし、しかも睡眠中にもイメージトレーニングをしていた。木村はこの全日本選手権の前後でも公式戦で負けておらず、15年間ものあいだ不敗を通した。剛柔流空手と松濤館空手の道場にも通い打撃技を習っていた。特に剛柔流空手においては、師範代を務めるほどの腕だった。
戦後は米兵のヘビー級ボクサーとスパーリング中心の練習をこなしてボクシング習得にも挑戦した。

これだけじゃなくバーベルを持ち上げるウエィトトレーニングもしてるんですね。異常です。

数々の逸話

大外刈りは強烈で、この技での失神者が続出のため、練習での使用を禁じられた。

腕絡みは、どのような体勢(上から、下から、あるいは立ったままの姿勢から)でも取ることができ、脱臼する者が続出したと言う。

「寝てる間は、練習できないので進歩しない」と、睡眠時間を少なくし、寝ている間でさえイメージトレーニングを行っていた。

夏の暑い日、師匠の牛島が木村に団扇で扇いでくれと言うと、木村はその場にあった畳を持ち上げ、それを扇のように仰いで牛島を驚かせた。

当時の電車のつり革はアルミ製だったが、悪戯で握り潰した。

武道(合気道)家 塩田剛三(マンガ「グラップラー刃牙」の渋川剛気のモデル)と腕相撲をしたことがある。塩田曰く『3回やって、2回自分が勝ち、最後は自分が手を抜いて負けてやった』。

1959年(昭和34)に、ブラジルでグレーシー柔術のエリオ・グレーシーの元弟子のヴァルデマー・サンタナと柔道のジャケット・マッチで対戦し、2連勝。

サンタナの裸でバーリトゥード(グローブ無しの打撃あり)での対戦の要求にも応じ、前々日に左膝を痛め、まともに歩けない状態だったにもかかわらず、試合内容で圧倒し、40分戦っての引き分けでした。

試合前夜には短刀で切腹の練習をしてから試合に臨んだとされ、決死の覚悟で勝負に挑んだという。

格闘家の証言

遠藤幸吉 柔道家。120Kgの巨漢で大山倍達とアメリカに渡りプロレスラーと試合をしたことで有名。のちにプロレスに転向して力道山とタッグを組む。「それは君、強いなんてもんじゃないよ。(中略)実際に稽古をつけてもらった私たちから言わせてもらうと、木村さんの強さは別格です。組んだ瞬間、石みたいに硬くて動かないんです。巨大な岩みたいにまったく動かない。(中略) でも動かないんだから、一センチも動かないんだから、どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられない。」

大山倍達も実際に木村の試合を観戦しているが「木村の全盛期であればヘーシンクもルスカも3分ももたないと断言できる」と述べている。

エリオ・グレイシー「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘られぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」

塩田剛三「 まあ、今の若い人間にそれだけ稽古をしろと言っても無理だろうな。
今の柔道の連中じゃ、木村にはかなわない。 今やらしても、山下や斎藤あたりはコロンコロンやられるよ。
大外刈りひとつとっても、切れが違う。 今のような体力の競い合いじゃなくて、木村は技で投げていた。 どんなでかい奴でも、一発でふっとんでいたからな。」

戦後の木村政彦

実は戦争での出兵後、戦後の闇屋での商売、プロ柔道への進出などを行い、毎晩酒と女に手を出してまともに稽古をしない日々が続きます。

「最初は引き分けで後は勝ったり負けたりを繰り返す」というブックを力道山が破って、突如ガチを仕掛けたといわれています。この動画も木村が金的蹴りを出したことに怒って力道山が張り手(掌底)を出した風になってますが、かなり編集されています。実際の活字媒体(新聞、スポーツ新聞)の試合経過記録とはかなり異なっていて、このシーンより前に力道山がガチをしかけているようです。
それに戸惑う木村が怒って金的を出しましたが本気で蹴ってはいないでしょう。そして油断して張り手(掌底)をモロに食らっています。

対エリオ・グレイシー

やけにお互い素直に組み合うなぁと思ったんですが、実は、このビデオ映像はかなり省略されているそうです。この試合はラウンド制で第1ラウンドで既に木村が圧倒して、エリオはフラフラだったそうです。大外刈りが決まったのは第2ラウンドです。この試合の決め技「腕がらみ」は、ブラジルではこれ以来「キムラロック」と呼ばれています。プロ柔道の巡業が始まると、酒と女に手を出して10年ほどまともに稽古をしていなかったといわれ、実際かなり筋力が落ちているのにこの強さです。

対力道山

プロレスで最初からお互いガチのケンカで戦うことは100%ありません。
突如ガチになっても寝技で何とかなると思って前日まで酒を大量に飲んでいた木村の油断が招いた結果です。

1 2 3