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君は伝説のキックボクサー立嶋篤史を知っているか?

伝説のキックボクサーでキックボクシング界のカリスマ、あの魔裟斗選手も尊敬して止まない立嶋篤史選手についてまとめました。

更新日: 2017年02月04日

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この記事は私がまとめました

3takuさん

◆パーソナルデータ

身長 173cm
体重 57kg

軽量級の選手です。

戦い続ける立嶋篤史選手の姿は人の心を引き付ける。 pic.twitter.com/6Aojk1Jy2w

こちらが立嶋篤史さん。

◆プロデビュー

中学卒業後単身タイに渡りムエタイの修業をする。

相当なチャレンジ精神の持ち主ですね。

1988年7月、16歳で後楽園ホールのリングに上がりKO勝ちで日本公式デビュー

1990年代前半に活躍

その後トッププロとなり、1990年代前半に大活躍します。

◆キックボクシング冬の時代に活躍

彼は活躍したキックボクシング界の時代背景を追ってみます。

沢村忠が一世を風靡し、日本でキックボクシングブームが沸き起こった

日本においてキックボクシングは、1960年代後半から一大ブームとなりました。

日本テレビやTBSの放送打ち切り、沢村忠の休業(のち引退)で興行成績・人気はみるみる下降した。

一大ブームを誇ったキックボクシングでしたが、エース・沢村忠が1976年に引退した後は人気が下降し、遅くとも1980年代初頭には完全な下火となりました。

1993年の第1回からフジテレビで放送され、1996年の大会から全国ネットとゴールデンタイム放送に格上げされた。

その後、空手道場・正道会館主導のもと進められた格闘イベント『K-1』が、1990年代後半頃から一大ブームとなります。
最初のブーム終焉からK-1ブームが始まるまでの間を、俗にキックボクシング冬の時代といいます。
つまり立嶋選手は、キックボクシング冬の時代最後期に活躍したキックボクサーということになります。

◆トップキックボクサー、更にはカリスマへ

日本キックボクシング界最初の1千万円プレーヤー

立嶋選手は、全日本キックボクシング連盟に所属し1枚看板と言える活躍をしていきます。
そしてキックボクシングの世界では破格の1000万円プレーヤーにまで成長しました。

試合前の選手コール時には日本刀で居合い斬りのパフォーマンスをすることが恒例

このパフォーマンスも、とても人気でした。

こちらが居合い斬りパフォーマンスの動画。

「キック界のカリスマ」という異名がある。

まさにキックボクシング界のカリスマでした。

ライバル前田憲作

ライバルはシュートボクシング出身の前田憲作で、初戦は敗退、2戦目は勝利した。
ルックスの良い前田憲作は女性に人気でしたが、立嶋選手は男性に人気がありました。

※ちなみに前田憲作は、K-1ミドル級でミスターストイックとして魔裟斗のライバルだった小比類巻貴之のセコンドにいたので、顔を見たことのある人もいるかと思います。

◆その後

K-1ブームが巻き起こった後も立嶋選手は軽量級キックボクサーとして活躍を続けたが、次第に第一線級の舞台からは後退していく。

全日本キックボクシング連盟から離脱。

そして、2001年には長年所属していた全日本キックボクシング連盟から離脱します。

◆ライバルたちの引退

2002年10月11日、「K-1 WORLD MAX 2002」でミロスラフ・サフラ相手に引退試合を行い、判定勝ち。

かつてのライバル・前田憲作は2002年に引退。
もうひとりのライバル・佐藤孝也は2001年2月に引退した。

◆カリスマから伝説へ・・・

ライバルたちの引退後も立嶋選手は現役を続けていたが・・・

2003年12月、自転車で練習に行く途中に交通事故に遭い全治11か月の重傷を負った

まさかの交通事故で、立嶋篤史は表舞台から消えることとなる。

2009年9月20日、6年3か月ぶり37歳での復帰

誰もがそのまま引退かと思ていたが、37歳にしてまさかの復帰。
カリスマは伝説となった。

その後、今現在も現役キックボクサーとして活動しています。
最近では、かつてのライバル達が育てた選手などと戦うこと多いようです。

◆立嶋篤史選手のインタビュー

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